高千穂観光ガイド
宮崎県西臼杵郡高千穂町
豊かな自然や日本の原風景が広がる高千穂町。天照大神がお隠れになった天岩戸をご神体とする天岩戸神社や高千穂八十八社の総社の高千穂神社、自然が織りなす美しい峡谷高千穂峡など、地域に残る神話や伝説の魅力を紹介しながら案内します。
いちき串木野観光ガイド会
鹿児島県いちき串木野市
いちき串木野観光ガイド会は、地域密着型のガイドです。観光スポットをはじめ、歴史や地域資源を地域性あふれる魅力的なガイドで分かりやすく、面白くご紹介します。本市観光の際には、是非ご利用ください。ガイド一同、おもてなしの心を持ってご案内いたします。
長崎観光コンベンション協会 長崎さるく
長崎県長崎市
長崎の観光地といえば、グラバー園や眼鏡橋、大浦天主堂や平和公園などを思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、小さな路地を入ったところ、曲がりくねった石畳の坂道を上りきったところにこそ、長崎の本当の魅力は眠っています。長崎の良さを味わうのは、まちを歩くのが一番なのです。「さるく」とは、まちをぶらぶら歩くという意味の長崎弁。まち歩き観光「長崎さるく」では、長崎名物・ガイド付きまち歩きツアーをご用意しています。さらに、進化を続ける「長崎さるく」の楽しさは、まち歩きだけではありません。長崎ならではの歴史や文化、歳時記を味わっていただく「まち体験」こそが「長崎さるく」の醍醐味です。ぜひまちなかに残る建物や橋、そしてそこで過ごした先人たちに思いを馳せながら、長崎のまちをさるいてください。たとえ歩くのが苦手な方でも、きっと長崎の魅力が感じられる「さるく」が見つかるはずです。
養老町観光ボランティアガイド
岐阜県養老郡養老町
歴史や観光のほかに、植物や地質の説明もしています。養老が大好きなガイドたちと歩けば、楽しみも膨らみます。
唐津よかばいガイドの会
佐賀県唐津市
シンボルの唐津城をはじめ、勇壮な曳山が並ぶ曳山展示場、レトロな外観の旧唐津銀行など、唐津には魅力的な観光スポットがいっぱい。どこに行くか迷ったら、知識豊富なガイドと楽しむ街歩きがおすすめです。説明を聞きながら巡れば、往時の情景がありありと目に浮かぶはず。歴史ロマンあふれる唐津を、ゆっくり探索してみませんか?
安心院おもてなしガイドの会
大分県宇佐市
観光協会安心院支部では、ボランティアガイドが鏝絵見学や写真撮影希望の方に鏝絵の制作工程、歴史、特徴などのご案内をしています 中心街の約30ヶ所程度にある「鏝絵」の見学、仏教説話の地獄極楽を生前体験できる、ミステリアスな「地獄極楽」など、名所や旧跡もご案内しています。 また、巨石群のストーンサークルがなぞめく「京石」はペトログラフも発見されて話題となっています。 ペトログラフ=通常は岩絵と呼ばれる。また線刻(画・文字)と呼ばれたり、岩面彫刻、岩石線画、岩面陰刻と訳されることもある。
九里半歴史文化回廊
岐阜県大垣市
九里半街道は、揖斐川の支流である牧田川上流の船附・栗笠・烏江の濃州三湊(岐阜県養老町)から米原の朝妻湊まで至る街道で、距離がおよそ九里半(38km)あることから九里半街道といわれた。水運と陸運を利用して、名古屋や伊勢方面の荷物を関西・北陸方面へ一番短く、早く、安く運べるルートであった。2軒の問屋(五井家)のある所が中心地となり、江戸時代栄えた。また、関ケ原の南に位置する大垣市上石津町牧田地区は、関が原合戦の舞台の一つとしても有名である。西軍だった薩摩の島津隊が負けを確信して、隊を退くのに敵の大軍の中を突破して薩摩に生き帰ったという話しがあり、その合戦の舞台となった地域である。
奥州市世界遺産登録候補地ガイドの会
岩手県奥州市
長者ヶ原廃寺跡は、藤原清衡が中尊寺を建立する前から衣川の地に仏教文化が華開いていたことを伝えるとともに、平泉文化の成り立ちを窺う上で重要な遺跡です。
白石市観光まちあるきガイド
宮城県白石市
藩政時代そのままの流路が残されており、市内の至るところに水流を見ることができ、せせらぎが聞こえます。
ひじ町ツーリズム協会
大分県速見郡日出町
歴史に詳しいガイドさんと歩く! 烏喪に城下町ウォーク 海景と湧水に育まれた海の城下町ひじは、豊臣家ゆかりの美しく静かな城址エリアを中心にその風情を感じることができます。 ゆっくりとのんびり歩きながら、見どころを案内します。
つがる縄文遺跡案内人
青森県つがる市
青森県津軽半島のつがる市に所在し、岩木川沿岸の標高10~15mの丘陵上に立地していて、海進期に形成された内湾である古十三湖(こ・じゅうさんこ)に面し、漁労及び貝の採取に適していました。定住発展期前半の貝塚を伴う集落であり、内湾地域における生業や集落の様子を示す重要な遺跡です。
二ツ森貝塚ボランティアガイドの会
青森県上北郡七戸町
太平洋岸の小川原湖西岸の標高30メートルの段丘上に立地します。海進期に形成された湖沼地帯の最奥部で、漁労や貝の採取などが行われ、竪穴建物跡や貯蔵穴が多数見つかっており、大規模な集落でありました。定住発展期前半を中心とした大規模な貝塚を伴う集落であり、湖沼地帯における生業や、海進・海退など環境変化への適応の実態を示す重要な遺跡です。