小京都と呼ばれる伊賀上野。江戸時代に築かれた城下町の街並みがいまも色濃く残され、凛とした情緒にあふれています。伊賀忍者、俳聖・松尾芭蕉翁などに触れながら伊賀上野の主な観光スポットを訪れます。
趣き豊かな歴史の風情をたっぷりと残す上野公園。園内には四季折々の景観と共に、上野城、俳聖殿、忍者屋敷など名所・旧跡が数多くあり、ガイドとともに巡ります。
多門櫓を見た後、本丸・西出丸・二ノ丸を回ります。
江戸時代、東海道五十三次の宿場町として、参勤交代や伊勢参りの宿場町で賑わった関宿。関宿には、旧東海道の宿場町の中で唯一、往時の面影を今に伝える歴史的な町並みが残り、昭和59年国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
太平洋岸の小川原湖西岸の標高30メートルの段丘上に立地します。海進期に形成された湖沼地帯の最奥部で、漁労や貝の採取などが行われ、竪穴建物跡や貯蔵穴が多数見つかっており、大規模な集落でありました。定住発展期前半を中心とした大規模な貝塚を伴う集落であり、湖沼地帯における生業や、海進・海退など環境変化への適応の実態を示す重要な遺跡です。
七里の渡し、桑名城址の九華公園、春日神社を巡ります。
大正2年に完成した六華苑には、鹿鳴館を設計したイギリス人建築家ジョサイア・コンドルによる4層の塔屋を持つ洋館と、和風建築およびその前庭の池泉回遊式庭園などがあり、明治・大正期を代表する貴重な建造物として国の重要文化財に指定されています。
南北朝時代、南朝方の武将・南部師行(もろゆき)が建武元年(1334)に築城して以来、領地替えまでの約300年間、八戸地方の中心として栄えました。主殿や工房・納屋・馬屋などの建物が忠実に復原され、安土桃山時代の根城の面影を現代に伝えています。
青森県津軽半島のつがる市に所在し、岩木川沿岸の標高10~15mの丘陵上に立地していて、海進期に形成された内湾である古十三湖(こ・じゅうさんこ)に面し、台地上には土坑墓が多数群集する墓域が長期間にわたって構築されて広がっています。定住成熟期後半の大規模な共同墓地であり、高度な精神文化を示すとともに、内湾地域の汽水域における生業及び高い精神性による祭祀・儀礼の在り方を示す重要な遺跡です。
青森県津軽半島のつがる市に所在し、岩木川沿岸の標高10~15mの丘陵上に立地していて、海進期に形成された内湾である古十三湖(こ・じゅうさんこ)に面し、漁労及び貝の採取に適していました。定住発展期前半の貝塚を伴う集落であり、内湾地域における生業や集落の様子を示す重要な遺跡です。
片倉家御廟所、伊達家・片倉家にゆかりのある少納言喜多と田村家の墓地、白石城下の水源や伊達政宗が白石城を攻略した際に布陣した陣場山等を巡ります。
会津の昔の商家などから当時の営みが感じられます♪
「街並みとことんコース」は、出雲崎の歴史を深く知りたい人向けのガイドツアーです。街並みの史跡を詳しくご覧になりたい方におすすめです。
シアターや展示品で天体について学べる奥州宇宙遊学館や、初代観測所長でZ項を発見した木村榮の記念館、間近で見ることのできる巨大なアンテナなど、見所がたくさんあります。
小牧野遺跡見学ツアーは、環状列石(ストーンサークル)を特徴とする約4000年前の縄文遺跡を無料で案内します。ツアーは5月1日から11月15日まで開催され、予約は開催日の14日前までに受け付けています。北海道・北東北の縄文遺跡群の概要や小牧野遺跡の詳細などを紹介します。小牧野遺跡は、環状列石や土坑墓、住居跡、捨て場跡などがあり、展望所からは周辺の景色を一望できます。
奈良時代から平安時代頃にかけて、陸奥国と下野国の国境に設けられた関で、人や物資の往来を取り締まる検問所の機能を果たしていたと考えらます。
奥州の抑えにふさわしい奥州関門の名城と謳われ、日本100名城に選定される小峰城は、1632年に初代白河藩主・丹羽長重が4年の歳月をかけ、石垣を多用した近世城郭に大改修しました。
至徳元年(1384)に蘆名直盛が築いた東黒川館を起源とし、文禄2年(1593)に蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を立てて「鶴ヶ城」と命名しました。
日本各地で行われた戊辰戦争の中でも、もっとも過酷な戦いの一つであったと言われている「北越戊辰戦争」。長岡出身の河井継之助がどのように新政府軍に立ち向かったのか?まちなかでその足跡をたどります。