尾鷲神社・金剛寺を回った後、世界遺産に登録されていないまちなかの熊野古道を歩きます。住宅が立ち並ぶ風景の中から、歴史・文化を感じ、知られざる熊野古道に触れていきます。
天正12(1584)年に南伊勢12万石の大名として入ってきた蒲生氏郷が築いた城や町を巡ります。
天正12(1584)年に南伊勢12万石の大名として入ってきた蒲生氏郷が築いた城下町を巡ります。自由に商売ができる制度を作り、江戸時代には三大商人の一つとして名をはせた松阪商人(伊勢商人)のすごさに触れます。
鳥羽湾が一望できる日和山に登ったあと、賀多神社・江戸川乱歩館・御木本幸吉生家跡などの旧市街地を歩き、最後に鳥羽城跡になる城山公園へ行く。
中世の農村景観が体感でき、かつ中尊寺建立に大きく関ったこの地をじっくり徒歩でご案内します。
白鳥舘遺跡は、平泉の中心地から北東に約5㎞、北上川の西岸に位置する遺跡です。北上川は、「政治・行政上の拠点」である平泉を支える重要な交通基盤で、北上川なくしては都市「平泉」の発展はあり得ませんでした。白鳥舘遺跡は北上川の蛇行部に突き出した半島状の丘陵地帯にあり、川湊には最適な場所でした。
長者ヶ原廃寺跡は、藤原清衡が中尊寺を建立する前から衣川の地に仏教文化が華開いていたことを伝えるとともに、平泉文化の成り立ちを窺う上で重要な遺跡です。
伊勢市の中心部、高倉山を背にして鎮まります豊受大神宮は、豊受大御神をお祀りしています。豊受大御神は内宮の天照大御神のお食事を司る御饌都神であり、衣食住、産業の守り神としても崇敬されています。鳥居をくぐり、玉砂利を踏みしめてやさしい木漏れ日のさす参道を歩くと清々しい気持ちに満ちあふれます。
およそ2000年前、垂仁天皇の御代から五十鈴川のほとりに鎮まります皇大神宮は皇室の御祖先であり、我々国民から総氏神のように崇められる天照大御神をお祀りしています。内宮の入口である宇治橋をわたり、玉砂利を敷き詰めた長い参道を進むとそこは神域。「心のふるさと」と称される日本の原風景が広がります。
小京都と呼ばれる伊賀上野。江戸時代に築かれた城下町の街並みがいまも色濃く残され、凛とした情緒にあふれています。伊賀忍者、俳聖・松尾芭蕉翁などに触れながら伊賀上野の主な観光スポットを訪れます。
趣き豊かな歴史の風情をたっぷりと残す上野公園。園内には四季折々の景観と共に、上野城、俳聖殿、忍者屋敷など名所・旧跡が数多くあり、ガイドとともに巡ります。
多門櫓を見た後、本丸・西出丸・二ノ丸を回ります。
江戸時代、東海道五十三次の宿場町として、参勤交代や伊勢参りの宿場町で賑わった関宿。関宿には、旧東海道の宿場町の中で唯一、往時の面影を今に伝える歴史的な町並みが残り、昭和59年国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
太平洋岸の小川原湖西岸の標高30メートルの段丘上に立地します。海進期に形成された湖沼地帯の最奥部で、漁労や貝の採取などが行われ、竪穴建物跡や貯蔵穴が多数見つかっており、大規模な集落でありました。定住発展期前半を中心とした大規模な貝塚を伴う集落であり、湖沼地帯における生業や、海進・海退など環境変化への適応の実態を示す重要な遺跡です。
七里の渡し、桑名城址の九華公園、春日神社を巡ります。
大正2年に完成した六華苑には、鹿鳴館を設計したイギリス人建築家ジョサイア・コンドルによる4層の塔屋を持つ洋館と、和風建築およびその前庭の池泉回遊式庭園などがあり、明治・大正期を代表する貴重な建造物として国の重要文化財に指定されています。
南北朝時代、南朝方の武将・南部師行(もろゆき)が建武元年(1334)に築城して以来、領地替えまでの約300年間、八戸地方の中心として栄えました。主殿や工房・納屋・馬屋などの建物が忠実に復原され、安土桃山時代の根城の面影を現代に伝えています。
青森県津軽半島のつがる市に所在し、岩木川沿岸の標高10~15mの丘陵上に立地していて、海進期に形成された内湾である古十三湖(こ・じゅうさんこ)に面し、台地上には土坑墓が多数群集する墓域が長期間にわたって構築されて広がっています。定住成熟期後半の大規模な共同墓地であり、高度な精神文化を示すとともに、内湾地域の汽水域における生業及び高い精神性による祭祀・儀礼の在り方を示す重要な遺跡です。
青森県津軽半島のつがる市に所在し、岩木川沿岸の標高10~15mの丘陵上に立地していて、海進期に形成された内湾である古十三湖(こ・じゅうさんこ)に面し、漁労及び貝の採取に適していました。定住発展期前半の貝塚を伴う集落であり、内湾地域における生業や集落の様子を示す重要な遺跡です。
片倉家御廟所、伊達家・片倉家にゆかりのある少納言喜多と田村家の墓地、白石城下の水源や伊達政宗が白石城を攻略した際に布陣した陣場山等を巡ります。