七里の渡し、桑名城址の九華公園、春日神社を巡ります。
帯同していただいたガイドさん
- お名前
- 伊藤 通敏 さん
- ガイド歴
- 25年
- 趣味・特技
- 歴史地理・考古学
- 一言PR
- 桑名の魅力を多くの人々に伝えたい
揖斐川・長良川合流地点
六華苑の東側には、揖斐川と長良川があり、数百m下流で合流する。上流をみると、長良川河口堰が見える。
住吉神社
伊勢湾・木曽三川の舟運の港として桑名の七里の渡しがあり、その近くに海上安全の神様の住吉神社が祀られている。
正月には、鳥居越しに初日の出を拝むことができるので、参拝者が多く訪れるそうだ。
七里の渡し跡
尾張藩の熱田から舟で七里(約28km)の距離を約4時間かけて、桑名に渡った。当時は潮の満ち引きにより、干潟が現れるため、一部航路が変わった。(満潮時は赤、引潮時は青:下写真)
桑名は、東海道五十三次の42番目の宿場町で、大変な賑わいがあった。当時の七里の渡しは、波打ち際にあった。海から陸に上がると、目の前に「伊勢の国一の鳥居」と称した鳥居がある。式年遷宮(20年)ごとに取り替えられる伊勢神宮宇治橋の鳥居が移ってくるものだ。
九華公園(桑名城址)
桑名城は、城内の形が扇の形をしていたことから扇城と呼ばれていた。
江戸時代に入り、東海道が整備され、桑名から熱田を船で渡るようにして、大坂(豊臣家)から攻めにくいようにした。桑名は守りの重要な地域だったため、最初は徳川四天王の一人、本多忠勝を藩主とした。その後も桑名藩主は代々徳川幕府に近い家が務めた。江戸時代末期には、一会桑の1藩として幕府を支えたため、戊辰戦争で旧幕府軍として戦った。
本多忠勝像
桑名藩初代藩主本多忠勝は、徳川家康を支えた槍の名人で、4mほどあった名槍「蜻蛉(トンボ)切」を愛用した。肩から数珠をかけているのは、槍で突いた人を弔うためのもので、勇猛な武将として知られている。
蟠龍(ばんりゅう)櫓
蟠龍とは、龍が今から天に昇ろうとしている意味で、船を監視の役目があった櫓になる。歌川広重の有名な浮世絵「東海道五十三次」桑名宿の絵の中にも、海に浮かぶ船とともに蟠龍櫓が描かれている。
現在の櫓は、水門の管理棟として復元されたものだ。
鎮国守国神社
本丸内にある神社。
鎮国大明神に桑名藩5代藩主松平定綱、守国大明神に桑名藩15代藩主松平定永の父親松平定信が御祭神になる。
天守台跡
天守閣は1701(元禄14)年に焼失している。現在の石組みは明治時代に組み直されたもので、図面は残っていないためか江戸時代の時より狭い天守台となっている。
辰巳櫓跡
城内の東南角に三重の辰巳櫓があった。天守閣が焼失後は、天守の代わりとなっていたが、戊辰戦争の時に新政府軍が火をつけたため、残っていない。
櫓跡には、戊辰戦争の頃に使われたと思われる大砲が残っているが、なぜ櫓跡にあるのかわからないそうだ。
石垣
七里の渡しにつながる外堀で、海の塩水を取り入れている。桑名城の中で唯一残っている野面(ずら)積みの石垣を見ることができる。
春日神社
ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」の一つとして登録されている石取祭(いしどりまつり)が、春日神社でおこなわれている。桑名市南部を流れる町屋川から清らかな石を採り、その石を春日神社に奉納する祭りになる。祭車(山車)が43台出る、大きな祭りだ。
歌行燈句碑
明治の文豪・泉鏡花が、桑名宿本陣跡地にある船津屋に宿泊し、小説「歌行燈」を書いた。
昭和14年に東宝映画から依頼を受けた久保田万太郎が、戯曲「歌行燈」を船津屋に泊まって書き上げた。船津屋の一角には、昭和31年に俳人としても著名だった万太郎が詠んだ「かわをそに 火をぬすまれて あけやすき」の句が、画家の杉本健吉がみたてた自然石に刻まれている。
桑名歴史案内人の会
桑名は昔から港町、宿場町、城下町として栄えた町で、歴史を感じさせる見どころがたくさんあります。私たちはそんな桑名をご案内します。
- 団体窓口
- 桑名市物産観光案内所
- 所在地
- 〒511-0079 三重県桑名市有楽町59
- 電話番号
- 0594-21-5416
ツアープラン情報
- ツアー名
- 九華公園周辺コース
- 料金
- 無料(ただし、拝観料は実費)
- 開催日時
- 9:00〜16:00
- 予約受付
- 8 日前まで
- お問い合わせ
-
桑名市物産観光案内所
- TEL
- 0594-21-5416
- 定休日
- 年末年始
- 営業時間
- 9:00〜17:00