
平成27年に世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鐵・製鋼・造船・石炭産業」についてや官営八幡製鐵所関連施設の概要、世界遺産登録に繋がる歴史的背景などの説明をします。
帯同していただいたガイドさん

- お名前
- 進清風 さん
- ガイド歴
- 17年
- 趣味・特技
- 写真
- 一言PR
- 世紀を超えた産業景観をご覧ください
東田(ひがしだ)第一高炉
1901年に高炉ができ火を入れたが、鉄はうまく作れなかった。いろいろなトラブルがあり、何度かチャレンジしたがうまくいかず、当初はドイツの技術を頼っていたが、鉄の治金学に精通した野呂景義氏が作れない原因を解明し、改良を行った結果1904年7月に火入れし、ようやく鉄が取れた。現在は、昭和47年まで使われていた10代目の高炉で、当初の高炉が残っていたら、世界遺産だった。訪れた時は工事中で、中に入れなかった。
世界遺産「官営八幡製鐵所」
1840~1842年にかけて起きたアヘン戦争で、小さい国のイギリスが大きな中国を制圧したことに九州の大名がびっくりし、鉄づくりが始まる。いち早く佐賀藩がオランダの書物を翻訳して反射炉を造り、砂鉄・鉄を溶かし鋳型を造って大砲を造った。薩摩藩も追随した。しかし海外の国から日本が植民地にされる恐れはあった。
明治に入って岩倉使節団が欧米諸国を回り、イギリスが貧しい農業国から鉄を作ることでいろいろな産業が起きて豊かな国と変わったことを見聞きし、日本のどこかで自前の鉄を造らなくてはいけないと思いを強くした。鉄を作るためには莫大な資金が必要だったので、日清戦争の賠償金の一部を使うことになった。候補地として、広島の呉と北九州の門司・小倉・八幡が上がった。最終的に八幡に決まったのは、
- 一大石炭産地の筑豊に近く、
- 海を使って運ぶことができ、
- 山に囲まれていて水の心配がない、
- 地震が少ない、
- 外海から中に入り込み軍事的にもいい、
などの理由で、人口2千人程度の村に海を埋め立てて工場を造っていった。
1901年高炉完成の写真には、伊藤博文・井上薫を始めそうそうたるメンバーが写っている。
高炉完成前の1900年に、修繕工場ができていて、日本最古の鉄骨造りで3度増築され、現在も現役で稼働されているが、中を見ることができない。同年にできた鍛冶工場は、現在資料庫として利用されている。ここから11㎞離れたところにある遠賀川水源地ポンプ室から水を送っていたボイラーポンプは8基あり、蒸気で送っていたが、現在は電気ポンプに変わった。 鉄1t作るのに300~400tの水が必要になる。
旧本事務所
1899年に建てられた本事務所は、工場の敷地にある事務所内の見学はできない。
1912年に撮られた写真と現地の風景を比較すると、事務所前にあるレールが当時からあったことやレールの向こう側が当時はすぐ海だったことがわかる。レールは、八幡と戸畑を結ぶ専用鉄道で、現在は八幡に高炉がないので、戸畑工場の高炉を使って半製品化したものを、八幡工場に運び製品にしている。
事務所は本来南向きがベストだが、本事務所の玄関が北向きになっているのは、北に海があり船で往来して事務所に来ていたので、都合が良かったためだ。
八幡工場の最盛期には、煙突が3万6千本立っていた。
「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」
幕末から明治時代にかけて西洋の技術を積極的に取り入れ、急速に近代工業化の道を進んだ。 その近代化を支えた当時の産業施設を資産として結び、世界史的にも特筆すべき日本の産業国家形成への歩みを表した遺産群になる。全部で23の遺産がある。
<番外編>
皿倉山
頂上から見る夜景の景色がきれいで、新日本三大夜景の一つに登録されている。

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- 10:00〜16:00
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