多門櫓を見た後、本丸・西出丸・二ノ丸を回ります。
帯同していただいたガイドさん
- お名前
- 豊田 幸孝 さん
- ガイド歴
- 15年
- 趣味・特技
- 畑作業(野菜作り)
- 一言PR
- 語り部、申込書は早い時期の発行を望みます
伊勢亀山城
伊勢亀山城は、関氏の祖・関実忠が文永2(1265)年に築城(古城)し、元亀4(1573)年織田信長に追放されるまで16代にわたり居城した。その後、織田信長・豊臣秀吉に仕えた岡本宋憲が天正18(1590)年に築城(新城)した。
多門櫓
多門櫓を支えている石垣は野面積みで、高さは13.5mある。徳川家光の時代に天守閣の取り壊し命令が出たため、解体されたが、正保年間(1644~1648)に多門櫓が築造された。現在の多門櫓は、18世紀後半に建てられ、武具庫として使用されていた。明治時代に入り、旧藩士に払い下げられ、現存することができた。三重県下で唯一の城郭建造物になる。
多門櫓の北側からは、石垣を近くで見ることができる。
本丸御殿跡
本丸御殿は、徳川家康・秀忠・家光の三代の将軍上洛時に宿所として利用されたが、老朽化により正徳2(1712)年に取り壊された。
亀山城下には、東海道の東(江戸)に江戸口門、西(京都)に京口門が設けられていた。東海道を遮断するために設けられていたため、夜間は門が閉ざされ、通行することができなかった。
三重櫓跡
天守閣の代わりとして、本丸北側にあった二重櫓を改築して、寛永18(1641)年に三重櫓が建てられた。
築山
二之丸跡にある小学校の運動場を整備した時に出てきた二の丸御殿の瓦を使って、御殿の庭に造られた築山(人工的に造られた小山)を示している。
埋(うずみ)門
二之丸御殿と帯曲輪の間にあった半分地下にもぐるように造られていた小型の門で、通路や石垣が発見されている。
二之丸帯曲輪
二之丸跡から埋門を通って一段低くなったところに、帯曲輪(または腰曲輪という)がある。曲輪は本来、戦さの時に侍が集結する場所だが、江戸時代には戦いがなかったため、庭や花畑など平和な使われ方をしていたそうだ。
土塀
亀山城の外まわりは、2.6kmにも及ぶ土塀で囲まれていたことが古い絵図に描かれている。150年ほど前の写真を元に土塀が復元されている。鉄砲の撃つための狭間(小さい窓)はなかった。
土居
土居とは、城の外部から守るために人工的に築かれた土の城壁ことで、本丸から二之丸にかけて北側に築かれていた。土居の高さは約9m、傾斜は37度ある。
西出丸跡
西出丸は、寛永14(1637)年から3年かけて本丸の西側に整備された。
花しょうぶ園
西出丸から坂を下り、土居側に周ると、花しょうぶ園がある。江戸時代中頃から自生していたハナショウブを改良したもので、6月には園内の100種12,000株の花しょうぶが咲き誇る。花しょうぶは、亀山市の花になっている。
太鼓櫓
太鼓櫓は、三之丸から二之丸への出入り口となる桝形を固める三間四方の小規模な二階櫓だ。最上階に時を告げる太鼓が置かれていたことから太鼓櫓と呼ばれていた。
亀山宿語り部の会
東海道46番目の宿場の亀山宿と石川氏6万石の亀山城とその城下町を中心に亀山の歴史・文化・自然等についてもご案内しています。
- 団体窓口
- 亀山市市民文化部文化課まちなみ文化財グループ
- 所在地
- 〒519-1192 三重県亀山市関町木崎919-1
- 電話番号
- 0595-96-1218
ツアープラン情報
- ツアー名
- 「伊勢亀山城」殿様コース
- 料金
- 無料
- 開催日時
- 8:30〜17:15
- ツアー時間
- 約60分
- 予約受付
- 30 日前まで
- お問い合わせ
-
亀山市市民文化部文化課まちなみ文化財グループ
- TEL
- 0595-96-1218
- 定休日
- 土・日・祝日、年末年始
- 営業時間
- 8:30〜17:15