小浜温泉ぶらぶら歩き

湯けむりがもくもく上がる街「小浜」。でも湯の街だけではない魅力が小浜にはあります。歴史、文化、グルメ、そして人の温かさに触れてみませんか?島原半島ユネスコ世界ジオパークの認定ガイド「小浜ジオーズ」が、楽しく皆様をご案内します。小浜の「謎」とは何か?それは風景の中に隠されています。町を歩きながら“からだ”も“こころ”もほっこり、一緒に謎を解き明かしましょう!

概略説明

ほっとふっと105で待合せ、そこで、湯せんぺいの話しと地形の話しを聞く。

湯せんぺい

小浜のお土産の一つとして有名な湯せんぺいは、明治24年(1891)島原に滞在していた松平公に献上品として本多氏が小高せんぺいに作らせたもので、せんべいに温泉を混ぜたことが始まりとのこと。通常は丸い形をしているが、製造過程で生じる手裏剣のような形状のものや型からはみ出したものだけを売っていたりして、湯せんぺいの味わい方もいろいろあるそうだ。

島原半島の地形と小浜温泉について

島原半島は、430万年前、南島原市口之津地区の海底火山の噴火から始まり、50万年前の雲仙岳の噴火の繰り返しで島となり、40万年前に、雲仙市にある鉢巻山の噴火により、半島になったとのこと。小浜温泉の前には、海が広がっているが、フィリッピン海プレートが海底に潜り込み、南に引っ張られているが、北側がついてくるのが遅く、真ん中が落ち込む地溝帯が、30万年前からできているそうだ。現在でも少しずつ沈んでいる。その一つが千々石(ちぢわ)断層で、諫早市唐比(からこ)あたりから島原市舞岳まで14kmあり、田代原(たしろばる)付近では、450mの落ち込みと横ずれている。

1990年に、雲仙普賢岳が198年ぶりに噴火し、粘り気のある溶岩ドームを作り、大きな火砕流が起き、多くの死者を出したが、もともとは、橘湾の海底15kmの所に、マグマ溜りがある。

島原半島には、小浜温泉・雲仙温泉・島原温泉の三つの温泉があり、小浜温泉は、マグマだまりに近く、温度105℃で塩化ナトリウム、雲仙温泉は、温度80~90℃で硫黄泉、島原温泉は、マグマだまりから20km離れていて、40数℃で炭酸水素塩泉と泉質が違うそうだ。

価値のある地質遺産を保護し、自然と人間との共生及び持続可能な開発を実現することを目的とした事業であるユネスコ世界ジオパークに、2009年に認定されたとのこと。

ジャカランダ通り(国道57号線)を歩く

今の小浜温泉の国道57号線沿いの平らな所は、昭和時代の埋立てで広がった土地で、明治時代は海岸沿いに小さな旅館が並んでいたそうだ。旅館には内湯がなく外湯しかないため、潮が引いているときだけしか、温泉には入れなかったとのこと。当時は、温泉=治療という意識が強く、湯治場として、長期利用者が自炊して宿泊する木賃宿がほとんどだったそうだ。長崎から大きい蒸気船で来て、小さな船に乗り換えて上陸していたとのこと。

源泉は全部で27か所、温度105℃で、毎日1万5千トン湧出されている。熱・量ともに日本一の温泉地だそうだ。温泉として利用しているのは3割で、あとは海に流している。そこで、温泉の熱で、沸点の低い液体を気化させ、その蒸気を使って発電させ、海水で冷やして、液体に戻す循環型の発電(バイナリー発電)がおこなわれているそうだ。また、景観を守るため、温泉旅館の並ぶ国道57号線沿いの500mの電柱の地中化がおこなわれたが、地中の熱の影響で、工事は大変だったとのこと。

大正9年(1920)に、斎藤茂吉が湯治に来て柳川屋に宿泊して、「ここに来て 落日(いりひ)を見るを 常とせり 海の落日も 忘れざるべし」を始め、何句か歌を詠んだそうだ。現在は吸収合併され、伊勢屋旅館という名前で営業しているとのこと。

雲仙普賢岳が噴火した翌々年に、チャリティマラソンがあり、谷口博美 ロサ・モタなど世界的なランナーが参加した。そのときの記念石碑がある。

この通りの名前をジャカランダ通りと呼んでいて、世界三大花木の一つで、6月に花が咲くという暖かい地方にしか育たない木だが、元町長の知り合いが、エチオピアに行かれた時、きれいだということで、種を持ち帰り、元町長に託してここに植えたところ、見事に咲いた所から名づけられたそうだ。

木造3階建ての旅館で、唐破風の玄関の春陽館。1960年代の映画で、1792年に起きた雲仙普賢岳の噴火の際に起きた津波を映画化したアメリカ映画「ビッグウェーブ(大津波)」(“つなみ”(The Big Wave)の原作者はノーベル文学賞受賞のパールバック氏である)のロケ隊の宿泊施設だったそうだ。ジュディーオングが子役として、参加していたとのこと。

通りのあちこちに、壁新聞があり、小浜小学校の子供たちが、小浜温泉を紹介している。小浜さるくというイベントでは、小5・6の子供がボランティアガイドさんの説明を聞き、郷土に関心を持ち、愛情を持ってもらう取組みが10年以上前からおこなわれているとのこと。

裏通り

湯せんぺいを売っているところが何か所かあって、 みな源泉が違うので、味も微妙に違うそうだ。看板を見ると、Ⓢ湯せんぺいと書いてあり、Ⓢが屋号で、どこのせんぺいやのものか判断するとのこと。せんぺいの端を集めたみみせんぺいは、すでに売り切れだった。

せんぺい屋を越して少し進むと、小濱神社がある。もともと丘の上にあったが、台風の被害にあった温泉の神の小濱神社と、武道の神の剣柄神社が合祀されて、平成7年にできたそうだ。もともとの小濱神社にあった龍の天井絵をこちらに移設されたものだが、作者不明で、江戸時代の雲仙の大噴火の時、この龍が村民を守ったという言い伝えがある。10月第3日曜日に、例大祭が開かれ、子供奉納相撲大会が開かれるとのこと。

小浜公会堂

昭和9年築の建物で、元々公会堂として建てられ、その後、役場・公民館として利用されていたが、現在は又、公会堂として利用されている。中をのぞき、天井を見ると、アールになっている船底天井であることがわかる。

江戸時代の街道

海沿いの国道から裏通りに入り、神社から公会堂の方に坂を上って、三つ角を右に曲がると、江戸時代の街道に出る。庄屋跡、代官所跡、米蔵跡等が続く当時のメインストリートだそうだ。野面積みの石垣は、15~30万年前に噴火したデイサイトという石を積み上げているそうだ。

上の川湧水

江戸時代、庄屋宅の中にあったものを、村民皆さんに飲んでもらうため、石垣の一部をずらして道路側から飲めるようにしたそうだ。水道が整備されている現在でも、近隣の方々は朝早くから汲みに来たり、長崎など遠方からも水を汲みに来る方も多い。大変おいしいという評判の水とのこと。また、庄屋宅には、日本地図作成の測量のため、伊能忠敬一行も宿泊した。

炭酸泉

あたかも熱湯のようにブクブクしていて、ガイドさんに促され、中に手を入れると、意外と冷たい。25~27℃の冷泉で、炭酸泉とのこと。やけどの治療にいいらしい。昔は、沸かして浴場になっていて、芸者さんたちが好んで入りに来ていたそうだ。

街道を歩いていると、石垣の壁を使って、昔の風景をタイル絵にしているところがいくつかあり、その中の一つの絵には、大きな湯が5つあった風景が書かれている。

石垣の上は元お城で、1615年に江戸幕府の一国一城令により廃城となる。その後神社が建立されるが、老朽により、先ほど見学した小浜神社に移設された。

江戸時代から温泉の取締りと管理をするように命じられた本多湯太夫が住んでいた旧本多邸で、島原城にあった門を移設されていて、明治4年に100円で購入したとのこと。現在は、小浜歴史資料館で拝観料100円だが、今日は時間の関係で、中を見ることができなかった。

集合場所だったほっとふっと105の所に戻り、その横にある蒸し釜で、サツマイモ・ブロッコリー・たまごを蒸して、現地の天然塩でおいしくいただいた。蒸し釜の温度は、100℃近くとのこと。

最後に、ほっとふっと105の足湯に浸かる。この足湯は、平成22年2月22日にでき、105mの長さで、温度にちなんだ語呂合わせだそうだ。長さは日本一で、訪問客数は、最大23万人/年間で、最近は17~18万人だそうだ。西側に面しているので、夕日は絶景とのこと。

一般社団法人島原半島観光連盟

島原にはたくさんの観光地がありますが、その歴史やドラマは見学をするだけでは伝わりにくい面があります。 町の当たり前にある石垣にもロマンが隠されていたりするのです。そんな時に力強い味方が島原観光ボランティアガイドです。豊富な専門知識で島原の魅力を伝える、まさしく『島原観光の達人』です。歴史・ジオパーク・湧水、ニーズや年齢、性別等に合わせて、観光コースを設定して、案内しますので、お気軽にお問い合わせください。

所在地
〒855-0879 長崎県島原市平成町1-1 雲仙岳災害記念館内
電話番号
0957-62-0655

ツアープラン情報

ツアー名
小浜温泉ぶらぶら歩き
料金
1名1000 円(1~20名くらいまで)大人同伴の小学生未満無料
開催日時
9:00〜17:00
ツアー時間
90分(時間は、内容により変わります。)
予約受付
7 日前まで
お問い合わせ
一般社団法人島原半島観光連盟
TEL
0957-62-0655
営業時間
9:00〜17:00
このツアーに申し込む