筋骨ガイドの会
岐阜県下呂市
“きんこつ”とは、飛騨地方の呼び名で細い路地が迷路のようにからみ合っている公道のこと。筋や骨のようにからみ合う人間の体に例えています。 飛騨街道 金山宿は江戸時代、4つの藩境にあたり宿場町として大変賑わいました。その名残りが映画のセットのようなレトロ感あふれる街並みを形成しています。 ミステリーゾーンには、飛騨金山版〝ハウルの動く城″も! 是非さがしてみてください!
土岐市観光ガイドの会
岐阜県土岐市
美濃陶磁歴史館を中心に、徒歩5分ほどの範囲に「見どころ」がいっぱい。隠居山遺跡 1700万年前の珍獣「パレオパラドキシアタバタイの全身骨格が発見された所。 横穴式古墳や古窯跡もあります。小高い丘からの眺望が心を癒します。
株式会社ビッグトラベル
岐阜県大垣市
1600年9月15日(新暦10月21日)午後、関が原合戦で西軍が総崩れになる中、最後まで戦場に残っていた島津義弘隊は、敵中突破による前進退却を敢行し、多大な犠牲を払いながらも大将の義弘を薩摩に帰国させることに成功させたこのことを、世に名高い「島津の退き口」という。
九里半歴史文化回廊
九里半街道は、揖斐川の支流である牧田川上流の船附・栗笠・烏江の濃州三湊(岐阜県養老町)から米原の朝妻湊まで至る街道で、距離がおよそ九里半(38km)あることから九里半街道といわれた。水運と陸運を利用して、名古屋や伊勢方面の荷物を関西・北陸方面へ一番短く、早く、安く運べるルートであった。2軒の問屋(五井家)のある所が中心地となり、江戸時代栄えた。また、関ケ原の南に位置する大垣市上石津町牧田地区は、関が原合戦の舞台の一つとしても有名である。西軍だった薩摩の島津隊が負けを確信して、隊を退くのに敵の大軍の中を突破して薩摩に生き帰ったという話しがあり、その合戦の舞台となった地域である。
多良歴史回廊案内の会
岐阜県大垣市上石津町多良地区は、四季織りなす美しい四方の山々、鈴鹿山脈の峰々を源とする清流牧田川。その流れに沿って開けた里山「多良」は、長い時代を経て幾多の歴史を刻んできました。明智光秀の多羅(城)出生説を裏付けるのは、江戸時代の国学者・塙保己一が著した「続群書類従」の「明智系図」と「大日本資料」(東京大学史料編纂所所蔵)の「明智氏一族宮城家相伝系図書」に、享禄元年(1528)に美濃国多羅(城)で生まれたと書かれていることからである。多羅城の位置はいまだ特定できていませんが、可能性のある山城跡を見ていただくことで、歴史ロマンを共に味わってみませんか。
時山文化伝承館
時山文化伝承館は岐阜県大垣市の時山地区にあります。この地区は、上石津を南北に横断する牧田川の源流に位置しており、水や空気がとっても綺麗で、すこし素朴な場所になります。時山文化伝承館では、この地域独特の伝統や文化を、受け継いで伝えていく為に紹介しています。館内では、伝統的な時山炭の炭焼きの道具や、炭に関連した生活用品など様々なものが展示されております。囲炉裏で時山特産の炭を使用し、火を灯したりします。