牧田宿・九里半街道コース

九里半街道は、揖斐川の支流である牧田川上流の船附・栗笠・烏江の濃州三湊(岐阜県養老町)から米原の朝妻湊まで至る街道で、距離がおよそ九里半(38km)あることから九里半街道といわれた。水運と陸運を利用して、名古屋や伊勢方面の荷物を関西・北陸方面へ一番短く、早く、安く運べるルートであった。2軒の問屋(五井家)のある所が中心地となり、江戸時代栄えた。また、関ケ原の南に位置する大垣市上石津町牧田地区は、関が原合戦の舞台の一つとしても有名である。西軍だった薩摩の島津隊が負けを確信して、隊を退くのに敵の大軍の中を突破して薩摩に生き帰ったという話しがあり、その合戦の舞台となった地域である。

概要説明

大垣市上石津町牧田支所で待ち合わせ。本日のコースの概要説明を聞く。

阿多長寿院盛淳(あたちょうじゅいんもりあつ)の碑

1600年の関が原合戦の時に、薩摩の島津義久隊が敵中突破して退散をした際、家老だった阿多長寿院盛淳が盾となり、本隊を逃がす役割を担い、討ち死にした場所が、関ケ原町の南に位置しているこの牧田地区の牧田支所横だといわれている。そこに碑があり、崖になっていて、本隊やダミー隊(島津豊久隊)の動きを見ながら敵と戦ったのではないかという話しを聞く。

琳光寺

島津家の子孫が建てたという阿多長寿院盛淳の墓と、江戸時代・木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の治水工事を行った(宝暦治水・1754~1755年)薩摩藩士が関が原合戦で亡くなった藩士を弔うために置いていったという五輪塔がある。中には、阿多長寿院盛淳の位牌もある。もう一つ珍しいものとして、1923年当時の住職が書いた、長さ50m・幅6m・重さ130kgの日本一大きな掛け軸がある。重さ20kgの筆で1週間かかって書いたそうで、巻いた状態で飾ったあり、なかなか展示する機会はないそうだ。

おすすめビューポイント

(秋:そば畑越しに見る善性寺・春:善性寺越しに見る南宮山)

私たちが訪れたのは、10月20日でソバの花の満開時期は若干過ぎていましたが、そば畑・お寺・山の原風景が広がる中をほっこりした気分で歩く。9月下旬には、シャクナゲの赤色が混ざり、よりきれいだそうだ。5月頃には、南宮山のツブラジイ(椎の木)の葉が黄金色に輝き、その景色も見ものだそうだ。

善性寺入り口東側の風景(竹林の小径)

京都・嵐山を思わせるような景色が突然現れる。

九里半街道から東名高速道路で分断された麦房神社社殿へ

善性寺を北に進むと、九里半街道に出て、街道を東側(関ケ原方面)に進むと、すぐに麦房神社の鳥居の前に出る。名神高速道路で神社の鳥居と本殿が分断されたため、街道を少し歩いた先を右に折れ、高速道路の下をくぐると鹿・猪・サルなどが入ってこないように柵があり、山側に向かう。柵は至る所にあり、獣の被害の多さを感じずにはいられない。沢が表れ、蚊がいない地元の避暑スポットだとのこと。その沢を左に見ながら歩くと神社本殿に向かう階段が左にある。麦房神社は、麦の穂に神様が乗ってたどり着いたといういわれがあるとのこと。

再び九里半街道から旧郵便局跡へ

九里半街道に戻ると、江戸時代から宿場の中心近くにあるという防火用水に出る。そこから100mほど歩くと、2軒の問屋があったという宿場の中心地に到着する。1軒の問屋が明治時代に郵便局に代わり、屋根頭に、郵便マークが見える。

五井家の石垣と馬つなぎ石

江戸時代、名古屋・伊勢方面から関西・北陸方面に、荷物を運ぶルートとして九里半街道を利用されていて、2軒の問屋・五井家が牧田宿の中心となっていた。五井家の石垣と馬を停めるためのためのつなぎ石がある。

常夜燈

牧田支所に向けて道を下ると、江戸時代に作ったという杉田家の門前を通ると、大神宮と書かれた常夜燈が見えてくる。ここで、毎年9月の第一日曜日には、かぼちゃ灯篭を吊るす八朔祭という例祭が行われるそう。さらに進むと、金毘羅大権現と書かれた立派な常夜燈が出てくる。常夜燈は、道の曲がり角や入り口に建てられているとのこと。

弁当

牧田地区では、有志の方々で弁当を作って販売を行っていて、その弁当をいただく。写真の弁当は、540円(税込)で、そのほかに、800円、1000円の弁当もあるそうだ。週2回、市役所で販売もしているそうだが、すぐに売り切れになるほど人気の弁当だそうだ。

その他

大垣市上石津町牧田地区のそのほかの見どころとして、関が原合戦の島津の退き口の合戦場・烏頭坂と木曽義仲ゆかりの木曽神社がある。

九里半歴史文化回廊

九里半街道は、揖斐川の支流である牧田川上流の船附・栗笠・烏江の濃州三湊(岐阜県養老町)から米原の朝妻湊まで至る街道で、距離がおよそ九里半(38km)あることから九里半街道といわれた。水運と陸運を利用して、名古屋や伊勢方面の荷物を関西・北陸方面へ一番短く、早く、安く運べるルートであった。2軒の問屋(五井家)のある所が中心地となり、江戸時代栄えた。また、関ケ原の南に位置する大垣市上石津町牧田地区は、関が原合戦の舞台の一つとしても有名である。西軍だった薩摩の島津隊が負けを確信して、隊を退くのに敵の大軍の中を突破して薩摩に生き帰ったという話しがあり、その合戦の舞台となった地域である。

所在地
〒503-1602 岐阜県大垣市上石津町牧田4025-5
電話番号
0584-47-2301

ツアープラン情報

ツアー名
牧田宿・九里半街道コース
対象
ガイドテーマ:九里半街道・牧田宿昇龍コース
料金
1~20名 ガイド1名1,000円
21名以上 ガイド1名追加
開催日時
10:00~17:00
ツアー時間
60〜120分
予約受付
7 日前まで
お問い合わせ
九里半歴史文化回廊
TEL
0584-47-2301
営業時間
10:00〜17:00
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