小倉城下町散策コース

慶長7年(1602年)、細川忠興公が築城した唐造りの天守閣や野面積みの石垣などが特徴の小倉城。長崎街道をはじめ九州の5つの街道の起点であり、かつて大きな宿場町でもあった小倉のまちには、城下町の雰囲気が残っています。また、明治の文豪・森鷗外をはじめとする文学者に関する史跡や、大正時代頃から続く旦過市場、ポップカルチャーの聖地・漫画ミュージアムなど見どころの多い地区です。

帯同していただいたガイドさん

お名前
佐用猛 さん
ガイド歴
13年
趣味・特技
園芸・ガーデニング
一言PR
城下町小倉の魅力をお伝えします

概要

関ケ原合戦後、細川忠興が小倉藩主として入城し、小倉城を中心に町づくりをおこなった。碁盤の目状に町づくりをして、城の西の西曲輪は武士の町、城の東の東曲輪は町民の町となっている。

その後小笠原家が藩主となった。幕末には、長州が攻めて幕府側として参戦したが、敗走し、住民も逃げて小倉の町は空白状態となった。

明治時代に入ると、軍(12師団)が入ってきて、軍都に変わり、小倉城に師団司令部を置いた。関東大震災で関東のあった兵器工場が壊れ、小倉に移転してきた。戦争末期、2回目の原爆投下は小倉の予定だったが、曇っていたため、長崎に変わった。空襲による戦禍はなかった。

祇園太鼓

小倉で開かれる祇園祭は、細川忠興が京都から持ってきた。京都に準じて疫病退治・商売繁盛の願いを込めて始まった。当初は派手な祭りではなかったが、現在は太鼓祭りと言われ、太鼓を両面からたたきながら、町を練り歩く。7月第1土日に開かれる。

参勤交代往環路

小倉駅近くの歩道に「参勤交代往環路」の埋石がある。九州五街道の交わる場所で、長崎街道・唐津街道・秋月街道・小倉街道・門司往還(豊前街道)の起点になっていた。当時は永照寺という大きなお寺の横に通っていたが、再開発のため移転した。現在は街道の一つがビルの中に通路として残っている。

森鴎外京町住居跡

森鴎外は、12師団の軍医部長として、明治32年6月から35年3月まで小倉に赴任していた。津和野藩の藩医の息子として生まれ、東大の医学部に進み、衛生学を学んだ。疫病が蔓延すると戦争どころではなくなるので、軍の衛生管理部門はとても重要で、そこで力を発揮した。赴任当初は違うところに住んでいたが、再婚したときに住んだ住居跡が駅近くにある。奥さんの茂子さんは小倉の生活が一番良かったと言っていたそうだ。森鴎外は小倉に来て、文学発展に貢献し、文学の町となった。

レンガ造りの建物

商店街の中にあるレンガ造りの建物は、日露戦争の時にロシア人捕虜のためのウォッカなどの酒の貯蔵庫だった。捕虜を大事に扱った証拠になる。

常盤橋

江戸時代には、二つしかなかった橋の一つが常盤橋で、東曲輪と西曲輪を通行できる唯一の橋だった。シーボルトが描いた銅版画をもとに復元されていて、長崎街道の起点になる。

また伊能忠敬が、九州で測量する起点でもあった。1歩2尺3寸(69㎝)で測って地図を作った。北九州が本社のゼンリンには、フロアいっぱいに当時の地図が展示されている。伊能忠敬の祭りが毎年開催されている。

広告塔

常盤橋のたもとにある広告塔は、当時はもうちょっと大きく、日本最古の広告塔ではないかと言われている。森鴎外の小説「独身」の中に、東京にないものとして、常葉橋のたもとに丸い柱が建っていて、広告を張り付けるものという小倉の紹介文が載っている。

昔の橋桁で使っていた石があり、石の上に木を置いて橋にしていた。

橋は、江戸時代当時と同じ広さだった。(下の写真)

街道の道幅

縁石内のコンクリート部分(⇔)が、江戸時代の街道の幅だった。街道沿いにはまだ古い家も残っている。

水準点

明治時代に入り、江戸湾を基準に土地の高低さを測った。長崎街道沿いには2~3㎞ごとにあり、マンホール内には、位置を特定するナンバーと海抜何mの標識がある。

小倉警察署跡

明治時代の建物で、警察署、裁判所として使用された。その後一時、病院として利用され、現在は雑貨店として利用されている。

歩道内のカラータイル

広い歩道には、カラフルな帯状のデザインが施されている。江戸時代、丈夫な織物として侍の袴に使用されていた小倉織をデザインしたもので、小倉織があったことを伝えている。

小倉城

細川忠興の城の特徴の一つ、野面積みの石垣で築かれている。細川家の時代は39万石だったが、1632年細川家が熊本藩に移ったため入ってきた小笠原家は15万石だった。

旦過(たんが)市場

大正時代から続き、200店舗以上の店が軒を連ねている古い市場だが、2022年に火事が2度起きたため、空き地のスペースが目立っていた。訪れた日が日曜日だったため、閉まっている店も多かった。

無法松の碑

八幡製鉄の工員だった岩下俊作が書いた悲哀物語「無法松の一生」を記念した碑。

軍人夫妻と子1人の家に出入りしていた人力車夫がいた。旦那さんが亡くなって、子供の世話をしていたが、奥さんに淡い恋心を抱いた悲恋の物語だ。1958年に、三船敏郎が主役を演じ、ベネチア映画祭で金獅子賞を取った。

森鴎外旧居

単身で小倉に来た時の最初の住まいが今でも残っている。住まいや庭にある木は当時のままで、裏には仕えていた人の住まいもあった。

森鴎外が小倉に来たことで、小倉の町が文学に対する造詣が深くなったと考えられている。

北九州市観光案内ボランティア

門司港レトロ地区や小倉地区、世界遺産構成資産など市内の見どころを、心を込めてご案内します‼

団体窓口
北九州市総合観光案内所
所在地
〒802-0001 福岡県北九州市小倉北区浅野1-1-1 JR小倉駅3階 北九州市総合観光案内所
電話番号
093-541-4189

ツアープラン情報

ツアー名
小倉城下町散策コース
料金
ガイド1名につき1,000円(以降1時間追加ごとに、500円)
開催日時
10:00〜16:00
ツアー時間
120分
予約受付
7 日前まで
お問い合わせ
北九州市総合観光案内所
TEL
093-541-4189
定休日
不定休
営業時間
9:00〜19:00
このツアーに申し込む