青島コース

“鬼の洗濯板”と呼ばれる波状岩に囲まれた、周囲約1kmの小さな島だ。国の特別天然記念物に指定されている亜熱帯植物におおわれ、1年を通して緑にあふれています。島の中心には青島神社があり、縁結びの神様として親しまれているほか、隣接する「日向神話館」では神話の世界をろう人形で再現しています。

概要

新婚旅行ブームの時、宮崎県に最大37%の新婚さんが見えたそうだ。その後、NHK朝ドラ「たまゆら」の舞台になり、多くの観光客が訪れた。日本神話にまつわる観光スポットが多いことも特徴の一つだ。

青島のある海岸では、サーフィンの世界大会が開かれたこともある。

青島には、「鬼の洗濯板」と「青島亜熱帯植物群落」の二つの天然記念物があり、青島亜熱帯植物群落は特別天然記念物に指定されている。

「なぜ鬼の洗濯板ができたのか」「なぜ青島はできたのか」の謎を解きながら回っていく。

江戸時代中期までは、青島は神様の島となっていたので、一般人は中に入れなかった。中に入っていいのは、島を守る奉行と宮司だけだった。対岸の尖浜遥拝所(とがりはまようはいじょ)から参拝していた。1年に1回、3月15日~31日の間だけは中に入れたので、多くの人が訪れた。

江戸時代中期に入り、宮司が何度も藩主に願い出て、ようやく島の中での参拝が可能になった。

明治41年の新聞に見せてもらうと、東京の銀座で聞いた「訪れたい避暑地」の1位が青島だった。その当時から人気が高かった。

鬼の洗濯板

鬼の洗濯板は波を和らげる効果があり、台風などで暴風雨が強いときは、青島を守っているそうだ。

青島から見える北側は、平野が広がっていて海岸線は砂浜が広がっている。一方、青島の南側は、海岸近くに山がせまり、鬼の洗濯板の風景が続いている。

地震や台風などで深い海底に砂や泥が流れ込むと、重い砂が先に沈み泥はそのあとゆっくりとたまり砂と泥の層ができる。その繰り返しを何百万年かけて、いくつもの砂岩・泥岩の互層ができる。青島の洗濯板は、約650万年前にできたものといわれている。

その後、陸地が隆起し、海の中の地層が傾きながら海上に現れ浸食された。柔らかい泥岩が先に削られるため、凹凸となり洗濯板ができた。正式名称は、「隆起海床と奇形波蝕痕」というそうだ。

岩の厚みを見ると、ばらばらのことがわかる。これは、積もった砂と泥の量の差で、規模・時間などにより変わるためだそうだ。

青島の生い立ち

南からの海流と四国にぶつかって戻ってくる沿岸流が青島近辺でぶつかり、隆起した海床のところに貝殻が堆積してできた島が青島だそうだ。黒潮(暖流)なので、年中暖かい。貝とともに、亜熱帯植物の種も一緒に運ばれたことから、亜熱帯植物約30種類が青島に生えていて、亜熱帯植物群落の北限地の島となっている。

一年中青々としている島だから、青島と呼ばれている。島には約200種の植物が自生しているが、80%がビロウ樹で約5000本あり、青島神社の御神木になっている。

特別天然記念物の島なので、自然のものを持ち込んでいけない、持ち出してもいけないが、唯一持って帰っていい物は、真砂という貝殻で、青島の中に奉納すると願いが叶うといわれている場所がある。 

ダンチク(暖竹)

ダンチクは、青島の南側を囲むように生えている植物で、海風の塩害に弱い亜熱帯植物を守っている。少々の海風が吹いても、びくともしない自然の防波(風)堤の役目を果たしている。

なぜ外側に竹が生えているのかは不思議なことだそうだが、青島の御神木のビロウ樹がこの竹により、守られていることは確かだ。

宮崎の神話

天照大神の孫で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花佐久夜姫(このはなさくやひめ)の子で兄の海幸彦と弟の山幸彦に関する神話がこの青島にある。

海幸彦は海で、山幸彦は山で暮らしていたが、ある時山幸彦が「たまには交代したい」と嫌がる兄に何とか頼み込んで、海の道具を借りた。弟は慣れないせいで、兄の大事にしていた釣り針をなくしてしまう。兄は怒り、許してくれない。途方に暮れて海を眺めていた山幸彦に老人(塩筒大神)から声をかけられ理由を説明すると、「海の神(綿津見大神)がいる宮殿に行きなさい」と言われ、言われるまま訪ねると、美しい海の神の娘(豊玉姫)と結ばれた。楽しく暮らしたが、宮殿に来た理由を思い出し、話したところ、釣り針が見つかり、あわてて帰って着いた場所が青島だった。

裸まいり

山幸彦が急に戻ってきた時、村人が裸で迎えたという言い伝えがあり、その言い伝えを忠実に実行する祭りが毎年おこなわれている。現在は、1月の成人の日に、参加者500名限定で開催され、募集するとすぐ埋まるそうだ。

青島神社

御祭神は、山幸彦(彦火々出見命)・豊玉姫・塩筒大神で、縁結び・航海・婦人病にご利益があるとされている。

玉の井

鬼の洗濯板の上に出来た地形の関係で、海抜5.5mだが、水深3mから不思議にも真水が出てくる。この水は、水にとける願い符に利用されている。

神門

門の扁額には、「鴨就宮」と書かれていて、青島は鴨就島と呼ばれていたそうだ。青島神社は、鴨就神社ともいわれている。理由については、後の項目に譲る。

拝殿

御成道(おなりみち)

昭和40年頃までは、一般人は中に入ることができず、皇族の方だけが参拝できた。

元宮に通じる道は、害虫が寄り付かないようにするため、明かりはほとんどない。

ビロウ樹

御成道の中を入ると、一気に雰囲気が変わり、密林の中にいるように感じる。ビロウ樹の樹齢は、300~500年と言われている。細いビロウ樹ほど、年数が経っていて、年輪がないそうだ。

ヒゲのような根が無数に出て、土をつかむようにして根を下ろしていくので、細くて高いが倒れにくいそうだ。

真砂の貝文

万葉時代の和歌の中に、「濱の真砂」と詠み、数多くの貝殻の中から自分の心情にあった貝を探し、想いと願いを込めた。

元宮横のこの場所に、浜で拾った宝貝(真砂)を奉納すると願いが叶うといわれている。

元宮

ほぼ青島の中心に位置している。この近辺から弥生式土器や獣骨が出土していて、その時代に祭祀がおこなわれていたのではないかとのこと。山幸彦の宮殿跡といわれる地で、古代信仰の聖地として、その面影を今に残している。

山幸彦と豊玉姫がやりとりした恋文

古事記に出てくる神話がある。

山幸彦が宮殿から先に海から帰ってきたが、宮殿にいた豊玉姫のおなかに子供ができ、山幸彦がいる所で産みたいといったので、山幸彦は子供を産むための社を作った(鵜戸神宮)。元の姿で産まなくてはならないので、見ないで欲しいと言われたが、山幸彦はサメの姿を見てしまった。

豊玉姫はもう一緒に生活できないと、子供を置いて海に帰り、生まれた子供の世話を妹に頼み、手紙を持たせた。

豊玉姫が山幸彦に宛てた手紙には、

「赤玉は緒さへ光れど白玉の君がよそひし尊くありけり」

<赤い宝玉はとてもきれいなものだけど、あなたの尊い姿は白い真珠のようで、何と神々しいお姿でしょう>と書いてあった。

それに対して、山幸彦が豊玉姫に返した手紙には、

「沖津島鴨就く島我寝ねし妹は忘れしことごとに」

<あなたと過ごした日々の思い出は一生忘れません>と書いてあった。

この二首はわが国最初の相聞歌(恋文)といわれている。

このやりとりから、縁結びのスポットとして、黄色のポストが用意されている。また山幸彦の手紙の言葉から、青島神社のことを別名鴨就宮と言われている。

宮崎市神話・観光ガイドボランティア協議会

歴史や風土に育まれてきた宮崎の豊かな民情を、宮崎市内各所に残る神話の舞台をめぐり歩きながら、神話の世界とそれにまつわる古代の物語を紹介します。

所在地
〒880-0811 宮崎県宮崎市錦町1-10 宮崎グリーンスフィア壱番館3階 宮崎市観光協会内
電話番号
0985-20-8658

ツアープラン情報

ツアー名
青島コース
料金
支払方法については「現地払い」のみとなります。
個人(1~3名) 1人 500円
団体(4名以上) 1団体 2,000円
開催日時
現地待合せでの案内になります。
移動の交通費が発生する場合もあるので、くわしくはお問合せください。
年末・年始はお休み。
9:00~17:00の間となります。
ツアー時間
約1時間
予約受付
7 日前まで
お問い合わせ
宮崎市神話・観光ガイドボランティア協議会
TEL
0985-20-8658
定休日
年末・年始
営業時間
9:00〜17:00
このツアーに申し込む