
熊本県宇城市不知火町松合地区は、江戸時代漁業と醸造・廻船で栄えた町です。肥後藩随一の港町として、水揚げされた魚は藩用に供されました。海産物加工品は近隣諸国から遠く関西まで運ばれました。江戸時代初期から酒造りから始められ、萬屋・財布屋・阿波屋・新酒屋の4軒で戦国ほどの酒が造られました。山が海に近い中、家が密集しているため、火事が多く、1826年から1831年の間に大火が4度あり、871戸焼失しています。そのため、被災者救済と防火対策が行われ、港の整備・道の拡充(火除け道)・移転とともに、火事に強い住宅の整備として白壁土蔵の家づくりが進められました。現在の町並みはその時出来上がったものです。
大歳神社
和銅6年(713)に創建。江戸時代には、法令などを公示する高札場があり、人の往来の激しい場所で、町の中心地でした。
光暁寺
天明3年(1783)に現在地に建立。門付近の床には石臼が埋められています。この石臼は嫁入り道具として持ってきたもので、亡くなられた後埋められたものです。
白壁土蔵の家
山と海が近く、狭い土地に密集した住宅のため火事が多く、特に1826年から1831年の間に4度の大火があり、800戸以上焼失しています。耐火住宅として白壁土蔵の家が明治にかけて整備されました。これは、漁業・醸造の町地して裕福な町であったことも示しています。また、松合の白壁は牡蠣灰が多く使われ、黄色みがかった白壁に特徴があります。
松合郷土資料館
明治時代建造の建物。民具やこの地の繁栄をしのばせる商家の家具や久具などが展示されています。映画「リング」の貞子の母親のモデルと言われている御船千鶴子(みふねちづこ)は、この松合で生まれ、関係資料等も展示されています。
汐見坂
町の中心部にある汐見坂は、漁港としてして栄えていた当時、正面に港を望み、海を眺めて船を出す時間を決めていました(現在は水門があり、見えない)。毎月第3日曜日早朝「まっちゃ朝市」が開催され、みそ詰め放題や地元のお店が出店しています。
不知火高潮災害(平成11(1999)年9月24日)
台風18号通過時に、気圧低下による吸い上げ効果で海面が約70cm上昇。風と大潮により、通常より3.5m高くなり、低地に海水が一気に流れ込み、12名もの尊い命が失われました。
火除道
江戸時代の大火で一部住宅を移転させ、跡地に火除道を作りました。その横の住宅の壁には、こて絵を見ることができます。
天満屋
明治時代から醸造を始めた天満屋・新天満屋の建物を見ることができます。新天満屋の建物には、丸い窓があり、特徴的な建物になっています。
眼鏡橋
文政3年(1820)の架設。熊本県下でも古い眼鏡橋で、現在でも車の道路として使用されています。橋の中央部にある要石が縦組みで使われているのは珍しいと言われています。
下萬屋
当時、酒造業の販売部門をになっていました。
回船問屋船津屋
熊本城に献上していた魚を洗っていた井戸(御用ガワ)が今も残っています。
松合地図
松合の町並みを説明した看板が所々にあります。
ボランティアガイドさんをインタビューしました

松合の町並み保存会
熊本県宇城市不知火町松合地区は、江戸時代漁業と醸造・廻船で栄えた町です。肥後藩随一の港町として、水揚げされた魚は藩用に供されました。海産物加工品は近隣諸国から遠く関西まで運ばれました。江戸時代初期から酒造りから始められ、萬屋・財布屋・阿波屋・新酒屋の4軒で戦国ほどの酒が造られました。山が海に近い中、家が密集しているため、火事が多く、1826年から1831年の間に大火が4度あり、871戸焼失しています。そのため、被災者救済と防火対策が行われ、港の整備・道の拡充(火除け道)・移転とともに、火事に強い住宅の整備として白壁土蔵の家づくりが進められました。現在の町並みはその時出来上がったものです。
- 所在地
- 〒869-3472 熊本県宇城市不知火町松合168-2 宇城市松合ビジターセンター
- 電話番号
- 0964-42-3550
ツアープラン情報
- ツアー名
- 白壁土蔵の町並みの見学
- 料金
- ガイド1名2,000円(20名迄)
ガイド1名追加1,500円 - 開催日時
- 随時
- ツアー時間
- 60分程度(相談可)
- 予約受付
- 7 日前まで
- お問い合わせ
-
松合の町並み保存会
- TEL
- 0964-42-3550
- 定休日
- 月曜・木曜
- 営業時間
- 10時〜17時