国指定重要文化財「旧佐世保無線電信所(針尾送信所)」施設見学

本施設は、旧日本海軍が大正7年(1918)~11年(1922)にかけて建設した送信施設です。日露戦争を契機として無線連絡体制の強化が必要となり、建設されました。敷地内にある3基の無線塔は、いずれも鉄筋コンクリート製で高さ136m、基底部の直径約12mの煙突のような構造になっています。近年の調査により、本施設が建設された歴史背景とともに、土木技術や無線技術の面からも高く評価され、日本技術を象徴する近代化遺産として重要文化財に指定されると同時に、日本遺産にも指定されています。ぜひ一度見学ください。

概略説明

針尾無線塔は、平成25年(2013)3月6日に、国の重要文化財に指定された。日本遺産にも指定されている。その時に、地元で保存会を作り、二人体制で見回り監視とガイド案内をおこなうとともに、会員全員で敷地内の草刈りや藪払いをおこなっている。保存会の会員数は約100名ほどだが、現地案内スタッフは4名だ。募金箱を置いているが、草刈りの油代など施設の管理費として使わせていただいてる。

日露戦争の時に、連絡の手段方法として無線の重要性を認識したため、旧日本海軍は大正4年(1915)船橋に行田無線塔、大正8年(1919)台湾高雄に鳳山無線塔、そして大正11年(1922)に3か所目として、針尾無線塔ができた。船橋と台湾は1本の鉄塔だが、針尾は3本の鉄筋コンクリートの塔でできている。大正11年4月30日に1号塔、5月22日2号塔、7月31日3号塔が完成した。3本の塔は、300mの正三角形の位置に立っていて、中心位置に電信室がある。塔の高さ136m、根元の外周で約38m、上は細くなって約9mの煙突状になっているが、以前はてっぺんに正三角形の一辺18mで重さ9トンの鉄骨でできたかんざしが付けてあった。3本の塔のかんざしを電線で結び、塔と塔の電線の中間から下に降りてきて、電信室に引き込む方法で、1号塔と2号塔の中間からは中国大陸、2号塔と3号塔の中間からは東京方面、3号塔と1号塔の中間からは沖縄・台湾・南太平洋方面に対しての通信がおこなわれていた。

針尾が選ばれた理由は、岩盤が九州で一番固いこと、電波の障害になる高い山がなかったこと、島だったため立ち退く民家は4軒くらいだったことが理由だそうだ。総工費155万円(今のお金で約250億円)、塔1本30万円(今のお金で約50億円)で、大正7年~11年、延べ100万人かけて造られた。鉄筋コンクリートでできているが、原料は唐津の松浦川の砂を使い、鉄の純度が高いため、ひび割れ一つないそうだ。100年ほど経つが、現状のままであと100年は持つといわれている。

ガイドさんが待機している場所は、正門横の門衛所だったところを復元されたもので、当時は門兵さんがいたところだそうだ。塔の上のかんざしや電信室などが今後復元されることを、地元は希望しているとのこと。

旧兵舎跡

コンクリートの基礎だけ残っているのは、旧兵舎跡で昭和26年(1951)11月に火事で基礎以外なくなってしまった。今後旧兵舎の復元をおこない、土産物や地元の農産物・海産物を売る店を作り、観光客を積極的に誘致していきたいと考えている。現状、トイレの数にも限りがあり、増設を図りたいとのこと。

基礎の奥にある新しい建物は、海上自衛隊の事務所とのこと。

3号塔

塔を作るのに、30mくらい岩盤を削って、杭を打たずに作られていて、板を並べて型枠を組み、樽を作る要領で、まず外から作って、次に内を作り、その間にコンクリートを流し込んで作ったそうだ。横の線(写真参照)を数えると、上までで100段あるとのこと。塔を見ると、四角い窓が見えるが、四方8段32個あり、明かり採りと空気孔だ。(写真参照)ハシゴで登るが、1回ハシゴから離れることができる場所が1か所ある。外から見ると出っ張っているところが1か所だけある事がわかる。(写真参照)外に出ることができ、2~3人立てるそうだ。

現在、航空障害塔として塔の一番上に明かりがつくので、点検のため3か月1回はハシゴ段を使って登っている。鉄でできたハシゴ段は全然腐っていなく、ハシゴ段数は555段とのこと。安全ベルト付けて片道25分かかるそうだが、ガイドしていただいた会長の田平さんは子供の頃、安全ベルトなしで15分程度で登っていたとのこと。136mの高さがあり、怖くなかったのだろうかと思ってしまう。 

3号塔内部

3号塔の中は、荷揚げ用の手巻きのワイヤーウィンチが設置されている。又当時は3本の頂上は空中線で結ばれていたが、塔と塔の間隔が300mあったため、空中線は上から40~50mたるんでいた。風が強い日は、空中線が揺れて切れるのを防ぐため、高さ12mの緩衝装置が設置されている。塔の中で大きな声を出すと頂上を向けるまで、10秒くらいかかるそうだ。

3号塔裏の景色

針尾は島で、目の前にある西海橋(昭和30年(1955)完成と平成18年(2006)に完成)の二つの橋で針尾島と本島が結ばれているのがわかる。大村湾と東シナ海から潮が流れ込むので、潮の流れは早く、日本三大急潮の一つ(鳴門・関門・針尾)といわれている。6時間ごとに流れが変わり、変わり目には潮の流れが一回止まるので、その時は魚を釣りやすいらしい。

針尾無線塔が重要文化財になるまでは、木が生い茂って海を見ることができなかったが、重要文化財になってから保存会の方々が木を伐採して眺めをよくしたそうだ。

最大直径10mのうず潮が立ち、見ごたえがあるので、将来はうず潮見学と桜見物できるようにしたいと考えているとのこと。

見張り所跡

奥に見える東屋は、見張り所があった所で、傘の部分は当時のもので、コンクリートは川砂を使い、鉄筋の純度が高く、手作りだからしっかりしているそうだ。

トロッコ

鉄が腐食しているトロッコだが、昔は下の小鯛湾から荷揚げする時など、材料の運搬に使用していたもの。運搬の重要な手段だった。

建設当時

岩盤を掘ってコンクリートを流し込んでる写真や関係者の集合写真が金網を使って掲載してある。集合写真には、設計者の吉田直(のぼる)さんも写っていて、ポケットには今は亡き設計図ではないかと思わせるものが写し出されている。兵舎と電信室の間には、わたり廊下があったが、昭和19年に太平洋戦争が激しくなってきてから、取っ払ったそうだ。

電信室 外(そと)

電信室は、奥行き23m、幅41mある。塔の手前にある丸いものは10トンの貯水槽で、当時は10~700トンの貯水槽があったが、今はこの1か所を除いてすべて埋められたそうだ。貯水槽の直径は3mあり、無線塔の頂上の直径と同じくらいとのこと。

下の写真の電柱は昭和6年(1931)に出来たものだが、防腐剤が中まで入っているため、いまだに木が腐っていないそうだ。コンクリートといい、当時に技術の凄さを感じざるを得ない。

電信室 内

中には、機械室・整流器室・倉庫室などがあるが、壊れてきているため、将来は復元して、資料館にする予定だそうだ。

その他

ガイドの会長さんは、子供の頃よく遊んだそうだ。鶴田明敏さんが高校生の頃、塔の一番上のかんざしの幅80㎝の上に乗ったときの写真を見せてもらう。136mの高さとは思えない。余裕のある姿で写真に納まっているのは、すごい。当時は沢山の子供たちが登ったが、落ちた子供は一人もいないそうだ。

針尾無線塔保存会

本施設は、旧日本海軍が大正7年(1918)~11年(1922)にかけて建設した送信施設です。日露戦争を契機として無線連絡体制の強化が必要となり、建設されました。敷地内にある3基の無線塔は、いずれも鉄筋コンクリート製で高さ136m、基底部の直径約12mの煙突のような構造になっています。近年の調査により、本施設が建設された歴史背景とともに、土木技術や無線技術の面からも高く評価され、日本技術を象徴する近代化遺産として重要文化財に指定されると同時に、日本遺産にも指定されています。ぜひ一度見学ください。

所在地
〒859-3452 長崎県佐世保市針尾中町382-12
電話番号
0956-58-2718

ツアープラン情報

ツアー名
国指定重要文化財「旧佐世保無線電信所(針尾送信所)」施設見学
料金
無料
(草刈りの油代など施設の管理費として、募金の受付をおこなっています)
開催日時
9:00〜12:00
13:00〜15:30
ツアー時間
30分~45分(時間は、内容により変わります。)
予約受付
1 日前まで
お問い合わせ
針尾無線塔保存会
TEL
0956-58-2718
営業時間
9:00〜12:00
13:00〜15:30
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