史跡を巡り、隠されたキリシタンの“謎”に迫る

竹田市は熱心なキリシタンであった領主・志賀親次の影響で16世紀から布教活動が活発になり、豊後国最大のキリシタン信者たちが暮らしていました。そのため今もいくつものキリシタン遺物や竹田にしかない貴重な遺跡が残っており、これは藩ぐるみで信仰を隠した「“隠し”キリシタン」の里だったからなのではないかという説が唱えられています。
人々の暮らしの中に、今も息づくキリシタンの文化。
歴史の道を辿りながら、知れば知るほどに深まる謎を解く旅へ出かけてみませんか。

見どころ・聞きどころ

  1. 武家屋敷・広瀬神社・瀧廉太郎に関わる場所などを巡りながら、「歴史の道」と呼ばれるカラー舗装の道を散策していく。
  2. 観音寺にある「円通閣」「遍照の鐘」「愛染堂」を巡り、幸福の願いを叶える。
  3. 土塀のある武家屋敷通りを歩き、当時の雰囲気を味わう。
  4. 洞窟にあるキリシタン礼拝堂を見て、キリシタン繁栄時代の思いを馳せる。
  5. 広瀬神社を歩き、広瀬武夫中佐の人柄に触れる。

概略説明

豊後竹田駅の散策マップの掲示板を見ながら、今日歩く「歴史の道」の道を確認する。

落門の滝

大分三賢人の一人と言われる廣瀬淡窓が、1795年(14才)のとき、佐伯に行く途中、岡藩家老の家に3日間宿泊し、「岡藩(竹田)に入ると大変にぎやかで、武士も庶民も肩が触れ合うほど通りに人があふれていた。家老の家は絶壁の下に建ち、断崖から滝が落ちているあの辺りに家老屋敷の門がある。」と日記に記した。その滝は現在、豊後竹田駅の裏側の崖にある。

御客屋敷跡(竹田市指定史跡)

御客屋は、各藩使者の宿泊所として利用させていた建物で、江戸時代に何度かの大火があり、現在の建物は1806年に建てられたもの。伊能忠敬が2週間ほどここに泊まって測量したという話しがある。現在は、「月鐘樓」という名前のカフェとして使用されている。

姫だるま

この御客屋敷の門に、ちょこっと置いてあった姫だるま。「起き上がり」という名前で、江戸時代下級武士が、奥さんを大事にしたことで出世したという話から生まれた竹田の民芸品。下級武士が内職して作ってきた歴史を紡いでいるそうだ。一時は途絶えていたが、テレビで紹介されたのを機に人気商品になっているが、すべて手作りで1体作るのに1週間から10日ほどかかり、生産が追い付いていないそうだ。

観音寺

十六羅漢

御客屋跡敷の裏手に回ると、山に続く石段が出てくる。石段の右手には、16体の石像がある。仏教の修行を完成し、悟りの境地に達した人のことを「阿羅漢」といい、これを略して「羅漢」と呼ぶ。釈迦は死を前にして十六人の高弟に永くこの世にとどまり、各地に仏教を広めるように命じた。十六羅漢はこの十六人の高僧を表したもの。

市指定有形文化財で、200年前に造られたものだそうだ。

円通閣(幸門)

この建物は、中国風楼閣建築(中国蘇州の寒山寺楼門)を模して造営されたとして、屋根の鬼瓦に寛政7年(1795)の名が刻まれていることから江戸時代の建築と推測されている。恋人や夫婦が手をつないでこの門を通ると円満な家庭を築くことができるそうだ。市指定の文化財である。

愛染堂

1635年二代藩主中川久盛(ひさもり)により建立された愛染堂は、竹田市で最も古い木造建築物で、国の重要文化財に指定されている。岡藩に改易の危機があったときに、安泰を祈るため建てられた。釘は一切使われておらず、軒下を飾る天邪鬼の彫刻や、人面の彫刻は一見の価値がある。愛染堂の中には本尊の愛染明王が安置され、また天女などの壁画も描かれていて、恋愛成就の御堂としても有名とのこと。時計回りと逆にお堂を3回まわり、お祈りをすると願い事が叶うそうだ。

仏足石

昭和21年偶然に発見され、縦62㎝、横90㎝、厚さ27㎝の岩に、左右の足跡が浮き彫りになっている。釈迦の足の形である。

豊音寺の二重門

豊音寺は禅寺で、1849年に建立された二重の山門を持つことで知られている。門の天井板には、黒龍が描かれている。また、山門の右脇には、酒などの匂いのする人は、門の内に入れないと戒める石柱がある。

滝廉太郎旧宅(記念館)

滝廉太郎が12~14才まで過ごした家で、父親が直入郡長として竹田に赴任した時に官舎としてあてがわれた家である。もともと岡藩の家老屋敷で、当時は現在の約3倍にあたる300坪ほどの敷地があったそうだ。

さふらんごはんを提供している店

竹田の特産物の一つとして、ハーブのサフランがあり、国内の8割以上の生産量を誇る。そのサフランを調理して食べることができる店とのこと。また、サフランは漢方薬としても珍重されている。

廉太郎トンネル

明治12年に出来た素掘りのトンネルで、昭和62年にメロディートンネルとして改修され、季節によって流れる音楽が変わるとのこと。

曲名:荒城の月、秋の月、はとぽっぽ、水あそび など

旧竹田荘

南画家(中国南宗画の影響を受けた画派)の田能村竹田の生家(侍医の家)の武家屋敷で、当時の姿を残した建物。高台にあり、竹田の町を望むことができる。田能村竹田は、1809年この竹田荘に頼山陽を迎えている。

竹田創生館

ふるさと創生事業の資金を活用し、町づくりの拠点として建てられた建物で、展示会などに利用されている。敷地の一角には、まちかど南画館という展示物があり、田能村竹田の絵を紹介されていて、竹田の町中に9か所展示されているそうだ。 

武家屋敷

竹田創生館前が武家屋敷通りになっていて、土塀が続く通りは歴史の重厚さを感じる。その中でも古田家の仲門長屋門(ちゅうけんながやもん)は、通りの中心の建物として存在している。

武家屋敷は13戸あったが、西南戦争で焼失し、現在に至っている。

キリシタン洞窟礼拝堂

通りから外れ少し登っていったところに洞窟があり、竹やぶで見えないようになっていたが、70年ほど前、この近くで遊んでいた中学生が見つけたといわれている。

礼拝堂の中は畳3枚ほどの広さで、14世紀のローマの洞窟礼拝堂に似ていて、岩盤を掘って中はドーム状の天井になっている。戦国時代末期の岡城主志賀親次は熱心な切支丹だったので、竹田には多くの切支丹が住んでいた。二人の神父さんが隣の洞窟で生活していたのではないかと言われている。県指定史跡である。

広瀬神社

街並み

広瀬神社の境内から竹田市内の街並みを望む。(晴れていれば、九重連山が望める)

昭和10年に創建された広瀬神社は、明治37~8年日露戦争で旅順港閉塞作戦(船を沈めて敵国の航路を妨害する作戦)に参加し、火災を起こした船で行方不明になった部下の杉野兵曹長を3回探し求めたが見つからず、船から離れる途中で被弾し、一介の肉片を残して戦死した元海軍中佐広瀬武夫が祀られている。その船を沈めるため重しに使われた石を戦争後日本海軍によって引き上げたられ、広瀬神社に奉納されている。

記念館の1階には、広瀬武夫に関係のある戦艦朝日のカッター(小型の船舶の種類)と軍艦比叡のマストが展示されている。記念館は有料で、入館する際は社務所に申し出る必要がある。

広い境内には、竹田地域での戦没者合祀碑もあり、靖国神社的な性格もある。鳥居前の広瀬武夫の銅像の手に持っている懐中時計は、親しくしていたロシアの女性アリアズナからロシアを引き上げる時にもらったもので、死後軍服の中から発見されたものを表しているそうだ。

まちかど南画館

9か所あるというまちかど南画館が、歩いている途中に、竹田創生館以外に2か所あった。

竹田市観光ボランティアガイド委員会

熊本県と宮崎県に接する大分県の南西部。九州の中央に位置する「阿蘇くじゅう国立公園」内の くじゅう連山や、その麓に広がる久住高原、ユネスコエコパークに選定された祖母山など、雄大な自然に囲まれた地域です。 市内中心部には日本百名城の一つ、国指定史跡 岡城跡があり、その眼下には武家屋敷通りなど城下町が古の面影を残します。 世界有数の炭酸泉と称される長湯温泉をはじめ、市内にはいくつかの泉質が違う温泉や、日本名水百選に選ばれた竹田湧水群も湧出しています。 自然、歴史、文化、温泉、湧水…魅力がつまったこのまちで、あなただけの竹田を旅してみませんか?

所在地
〒878-0011 大分県竹田市会々2335-1 竹田市観光ツーリズム協会竹田支部内
電話番号
0974-63-2638

ツアープラン情報

ツアー名
史跡を巡り、隠されたキリシタンの“謎”に迫る
料金
ガイド1名 3,000円
※時間制限はございません。
※団体30名以上の場合は、スムーズなご案内のためガイド2名以上を推奨します。
開催日時
8:30〜17:00
ツアー時間
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予約受付
7 日前まで
お問い合わせ
竹田市観光ボランティアガイド委員会
TEL
0974-63-2638
定休日
年末年始期間(12月29日~1月3日)
営業時間
8:30〜17:00
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