商人の町コース

天正12(1584)年に南伊勢12万石の大名として入ってきた蒲生氏郷が築いた城下町を巡ります。自由に商売ができる制度を作り、江戸時代には三大商人の一つとして名をはせた松阪商人(伊勢商人)のすごさに触れます。

帯同していただいたガイドさん

お名前
越川 靖之 さん
ガイド歴
3年
趣味・特技
歴史番組を見ること
一言PR
松阪は見所がたくさんあり、ぜひ訪れてください

商人の町「松阪」概要

松阪を含め伊勢一帯に存在した商人を伊勢商人と呼び、大阪商人・近江商人とともに日本三大商人として名をはせた。松阪の町は、織田信長が造った楽市楽座を参考にして蒲生氏郷が作った町となり、伊勢街道沿いに発展していった。

旧長谷川治郎兵衛家

今から340年ほど前に建てられた国の重要有形文化財になる。火事を防ぐ目的のうだつがあるが、建物が立派に見えるという装飾の意味合いもあった。

もともとは間口9mだったが、商売の成功とともに間口約50m・奥行き約100mの広さまで大きくなった。建物部分は500坪・庭900坪ある。

長谷川治郎兵衛家は、松阪もめんの販売で財を成した。松阪には昔から織るという技術があった。室町時代には木綿の産地となった。江戸時代に入ると、農家の女たちが一生懸命松阪もめんを織って現金収入を稼いだ。その織物を、船で江戸に運び、日本橋で店を開き、商売をした。歌川広重の「東都大伝馬街繁栄之図」にも店が描かれているほど栄え、5軒の店舗を構えるほどだった。

明治時代末に入ると、織物は手織りから機械生産に代わってくると商売替えを考えた。旭硝子が透明の板ガラスの製造に成功したので、板ガラスの総販売代理店となった。屋敷のあちこちに、当時のガラス(大正硝子)が使われている。

大正硝子越しの庭の風景

ガラス越しに正面から少し角度をつけて外の風景を見ると波を打ったように見える。

唐長(からちょう)の襖

創業から400年続く京都の唐紙屋さんの襖になる。雲母と日本画絵具を使って白くきらきら光らせたり、貴重な金泥・銀泥と思われる日本画絵具を使って模様を作っている。

大広間(大正座敷)

日本でも超一級の和室で、皇族が休憩されたこともある。

木材には節目が一切ない。また、床の間の書院欄間に屋久杉が使われていたり、床の間横にある床脇には松の木の一枚板が使われていたり、違い棚が壁につかない形で作られているなど、木の材質や細工一つ一つにこだわって作られている。

貴人口

地位や家柄の高い人を接待する時に使用する入り口を貴人口といい、皇族が来られたときにはここから入られた。この入り口は、表からは見分けがつかないようになっている。

すっぽん石(寿都保運石)

長寿を願うものとして、すっぽんの甲羅のような形をした石がある。隣には屋敷神として商売繁盛を願うお稲荷さんがある。

蔵は全部で5つある。(大蔵・新蔵・米蔵・西蔵・表蔵)江戸黒という黒色の漆喰が塗られている。江戸には多いが関西では珍しい。

壁面には、L字型の金具が練り込まれていて、壁を修繕する時に直接壁にはしごをかけないようにする。

町の境の溝

屋敷の敷地が広いため、敷地内に、江戸時代生活排水用として使われていた町の境としての役目もあった側溝がある。

うだつ

家の中からもうだつが見えるのは珍しい。

本居宣長旧宅跡

旧長谷川治郎兵衛家近くには、本居宣長旧宅があったところだ。家の中には本居宣長が遺した書類が多くあったが、松阪は火事が多いため、子孫が書類の焼失を心配して、現在の松坂城内に移築されることになった。礎石は残っているので、当時の面影は感じられる。

奥には本居宣長長男の春庭が住んでいた家と蔵が残っている。

旧小津清左衛門家

紙問屋の商売をしていた小津清左衛門家は、現在も日本橋で店を構えている。

長谷川治郎兵衛家と同じくうだつがあり、屋根瓦の上にある桃の装飾物は魔除けだ。軒下には、犬矢来という外壁を保護する役目のものが装備されている。

家印「うろこ久」

のれんの文字はうろこ久といい、久しいを△(うろこ)が守っていることを表し、末永く商売が続くようにという思いで作られている。

万両箱

青銅製で作られた万両箱で、箱だけで200㎏ほどある。防犯・火事対策用として、床下で保存されていた。

天井の明り窓

ロープを使って天井の明かり取りが動くように細工がしてある。煙を外に出す目的もあった。

かまど

家の前の伊勢街道には、多い時には1日に2万人が歩いたと言われている。松阪だけで5千人が泊まることもあったが、宿が10軒しかなかったので、川の橋の下で泊まる人も多くいた。そんな野宿をする人のために、米を炊いておもてなしをした。それ用のかまどになる。

人が多く往来するという事は、全国の情報が入ってくる利点もあった。

内蔵

内蔵の中では、小津家に伝わる品々の展示がおこなわれている。

観応2年銘四角型石灯

南北朝時代の観応2(1351)年に花崗岩でできた石灯籠で、銘が入っているものとしては春日大社に次ぐ2番目に古いものと言われている。

矢下小路(やおろししょうじ)

道がのこぎりの歯のようにギザギザになっている。見通しを悪くして敵から攻められにくくするためだといわれている。

三井家発祥地

三井家の家祖三井高利が元和8(1622)年にここで生まれた。高利の母殊法が商売を切り回し、高利を立派な商人に育てた。14才で江戸に出て、兄とともに商売をしていたが、母の面倒を見るため28才の時に松坂に戻った。地元で商売を広げ、資金を蓄えていった。52才の時に江戸にいた兄が亡くなり、呉服業をやっていた江戸の店を継いだ。

武家相手の掛売商売(盆・暮れの支払い)から、店先で町人相手の現金商売に切替えた。掛売による貸し倒れリスクや金利負担が減るため安く販売できた。また、一反販売から切り売り販売に変え、町民の大きな需要を掘り起こすことに成功した。

残念ながら現在は私有地で敷地内には入れない。

三井越後屋の名前で商売をしていたことから三越の名になった。三越のシンボルであるライオン像が、町の一角に寄贈された。

松阪もめん

「松阪もめん」は、天然藍の先染め糸を使い、「松坂嶋(まつさかじま)」と呼ばれる縞模様が特徴の松阪地域で生産される綿織物になる。

江戸時代、倹約令により、華美な着物が着れなくなった時に、遠目で見ると無地に見えるが近くで見ると様々な縞柄模様が粋でおしゃれだと江戸っ子をとりこにしたことで、松阪もめんは大流行した。

松阪ガイドボランティア友の会

松阪は人にやさしい町、古い町、歴史や文化のかおる町です。そして、語り部に聞いて、見て、3倍得する松阪の旅(城下町)、語り部とともに歩いてお楽しみください。

団体窓口
松阪駅観光情報センター
所在地
〒515-0017 三重県松阪市京町507-2
電話番号
0598-23-7771

ツアープラン情報

ツアー名
商人の町コース
料金
ガイド1名 1,000円(10名まで)
※ 料金は、ガイドの会の協力費となります
※ 昼食をはさむ場合は、ガイドの昼食が必要となります
※ 別途施設の入場料が必要となります
開催日時
9:00〜18:00
ツアー時間
2時間以上
予約受付
14 日前まで
お問い合わせ
松阪駅観光情報センター
TEL
0598-23-7771
定休日
年末年始(12月30日~1月2日)
営業時間
9:00〜18:00
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