酒田紹介コース〜前編

北前船交易で発展を遂げた港町酒田の景観や文化は多彩です。海の玄関口ならではの、新しいものを受け入れる開放的な気風と、各地の文化が混じり合った面白さがあります。300年以上の時を経た今もなお、連綿と続いてきた歴史の息吹と、多様な文化が凝縮された湊町の風景を私たちに見せてくれるのです。

概略説明

酒田の町は1500年頃までは最上川の南にあったが、川が蛇行していて氾濫が多かったため、30~40年かけて最上川の北側に新しいまちづくりがおこなわれた。酒田の風はかなり強いため、風に強いまちづくりにする必要があったので、風を受け流す造りがおこなわれた。

酒田を含む庄内地方は、雪の量はそれほど多くないが風が強いため、ホワイトアウトになりやすい。大寒の頃獲れる寒ダラを丸ごと使い、みそ仕立ての汁にして食べる寒ダラ汁は是非食べてみてほしいとのこと。

酒田北港緑地展望台(三代目酒田灯台)

灯台から見る夕陽が素晴らしい。

飛島

西方面には、山形県唯一の島の飛島が見える。飛島まで39㎞あり、フェリーで75分かかる。ニッコウキスゲの仲間のトビシマカンゾウが有名で、5~6月にかけて黄色い花を咲かせる。

江戸時代、北前船が酒田の港に入れないときは、飛島に避難していて、避難港として賑わっていた。明治初期は漁業を中心に1800人くらい島民がいたが、現在住民登録者は250人程度だ。

山形県側から見る鳥海山は、山頂から海に入るすそ野まで見える。

松林

隣の遊佐町から酒田を経て鶴岡市まで南北35㎞にひろがる砂丘は、日本有数の規模になる。風が強いため、海から少し中に入った酒田の町まで砂が飛ぶので、松の木が植林されている。 

日和山(ひよりやま)公園

モニュメント

米一文字のモニュメントがある。7万俵のコメを納めた倉庫跡地があったという意味が込められている。天領のコメを最上川上流から酒田を経由し、北前船として江戸まで運ばれた。

トビシマカンゾウ

公園入口にはトビシマカンゾウがあり、黄色い花が咲いていたが、花は1日しか持たないそうだ。

北前船(ミニチュア)

全長25m・幅8mあった北前船のミニチュアが展示されている。米千石(2,500俵×60㎏・150t)を積んで運んだ。1672年、急増する江戸の食料供給に対して、最上川上流にある出羽の米を運ぶことを豪商だった河村瑞賢に命じ、ここ日和山に米置き場を作り、西回り航路を開発し北前船として、米や紅花などの流通と海運の向上に貢献した。その後西回り航路が発展し運航が盛んになり、物資だけでなく、文化・芸能に至るまで交流が盛んになったといわれている。

長距離航路の北前船は年1回か1.5回しか運べないため、米などを江戸に運んだあと、帰りの便としてお茶や着物、塩、海産物、瀬戸物などを最上川上流に運んた。海と川の中継地として酒田はとても栄えた。

斎藤茂吉のモニュメント

「おほきなる 流となれば ためらはず 酒田のうみ に そそがむとする」と斎藤茂吉が詠んだ和歌の句が、最上川が日本海にそそぐ形のモニュメントになっている。

燈台

明治28年に建てられた木造の燈台で、六角形としては日本最古のものだ。現在は日和山公園に移築されている。

枯山水の庭

手前の築石が酒田の町で、奥のでこぼこした石が北前船を、奥の鳥海山をイメージしている。

松尾芭蕉は、酒田に9泊していて、奥の細道50句のうち、2句を酒田で詠んでいる。鶴岡から船で酒田に来たあと、酒田で泊まった伊東不玉邸まで歩いたと思われる坂は、芭蕉坂と呼ばれていて、日和山公園横を通っている。

展望台

写真手前が港で奥が最上川になる。西方面には、真っ赤な夕陽がみられるスポットとなっている。

皇大神宮

ガイドさんが示しているしめ縄は荘内締めと言い、俵をイメージしている。

金毘羅宮

お堂の中にある船の上にご神体があり、航海安全を祈願しに多くの船乗りが訪れていた。

本殿横には、江戸時代当時の千石船で使用された鉄のイカリが展示されている。

日和山関所(茶屋)

ガイドさんおすすめのババヘラアイスをいただく。ヘラを使ってアイスクリームを花のような形にするので、インスタ映えし、大変人気があるそうだ。

店内には、地元の絵師佐藤光治さんが海外の現地に行って書かれた神殿の絵が所狭しと展示されている。

映画「おくりびと」の撮影現場

映画「おくりびと」の最初のほうで、本木雅弘さん扮する主人公の青年が面接に訪れる撮影シーンで使われた茶屋の隣にあった建物が壊されたため、茶屋のご主人がパネルを作ってPRしている。パネルとともにある扉は本物で、ご主人がいただいてきたそうだ。

日枝(ひえ)神社

日枝神社は、滋賀県大津市にある日吉大社を本山としていて、本山と同じ三角屋根がついた鳥居が特徴だ。鳥居の扁額の文字は西郷隆盛が書いたといわれている。

山門

鳥居をくぐると立派な山門が現れる。明治27年の地震で倒壊したため、明治40年に再建されたものになる。山門の中で手をたたくと反響し、鳴き龍のように聞こえる。

社殿

本間家三代光丘が1784年創建した。本間光丘は地元のために、砂浜に風を防ぐ松を植林して酒田に砂が飛ぶのを防いだり、冬の仕事のない船乗りの仕事として与え日和山を造成したり、徳が得を産む考え方で、日本一の大地主としても有名である。 

社殿の軒下の細工

日枝神社では、猿は神の使いとされていて、軒下の造作や屋根の四隅に猿が描かれている。また軒下の造作には、龍が珍しく下半身まで細工されていて、しっぽは牡丹だと言われている。

海向寺(即身佛は撮影禁止)

海向寺には、住職だった方の即身佛2体が納められている。1体は、忠海上人で1755年・58才の時、もう1体は、9代後の圓明海上人で、1822年・55才になる。

出羽三山の奥の院になる湯殿山で修業をした。山の中で滝行や山を駆け巡り、木の実や水のみの食事を長い期間過ごすなど、厳しい修行をおこない、死後即身仏として体を残しやすくしていった。そして死を悟ると、寺の一角にある地下の石室の中に入り(右写真の場所にあったそうだ)、断食し、お経を唱え、時に鐘を鳴らす。鐘の音が鳴らなくなって、1000日経ってから掘り起こされる。昭和時代に入り体を長く保つため、古くから接着剤として利用されていた膠(にかわ)が塗られ、光沢がある見た目となっている。今もなお座り続け現代の私たちと向かい合っている。

山形県には即身仏8体現存しているそうだ。

後編に続きます

酒田市観光ガイド協会

酒田市周辺の観光施設や歴史などを、分かりやすく楽しくご案内します。個人、グループ、団体等何人でも可です。酒田のお祭りにも参加して、酒田を訪れるお客様を各名所にご案内しております。

団体窓口
酒田観光物産協会
所在地
〒998-0838 山形県酒田市山居町1-1-20
電話番号
0234-24-2233

ツアープラン情報

ツアー名
酒田紹介コース〜前編
料金
ガイド1名 1時間当たり 1,000円
開催日時
9:00〜17:00
ツアー時間
2時間程度
予約受付
5 日前まで
お問い合わせ
酒田観光物産協会
TEL
0234-24-2233
定休日
年末年始
営業時間
9:00〜17:00
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