飛騨古川街並み案内ツアー

飛騨の匠の文化が今も息づく飛騨古川。
ここには、語られ続けるストーリーが街のあちこちにあります。
風情ある街、飛騨の匠の技が受け継ぐ心。
街を見守る人々の繋がり。
地域住民がとても大切にしている、年に一度の古川祭、そして三寺まいり。
どれもこれも、街の中のふとしたところに存在します。
さぁ、案内人の物語に誘われて、タイムスリップしたような飛騨古川で夢のひとときを。

飛騨古川まつり会館

飛騨古川と言えば、古川祭ということで、飛騨古川まつり会館が平成4年(1992)につくられた。古川祭は、毎年4月19日・20日に開催される。会館には屋台が3台展示してあり、半年に1回ローテーションをおこなわれるそうだ。一番古い屋台は、1776年に造られていて、冷暖房完備にすると屋台が傷む恐れがあるため、会館は半地下方式にして展示コーナーには冷暖房がないので、お客様には不自由をかけている。

受付を通って中に入り、2階から1階に降りると展示コーナーになっている設計だ。これは屋台の高さが7.5mあり、屋台を館内に入れて展示するための細工だ。

最初に、古川まつりを4Kシアターの大画面でみたら、迫力の凄さに圧倒された。特に、起し太鼓のやぐらの上に何人もの男が乗り、起こし太鼓と付け太鼓が激しい攻防を繰り広げられる起し太鼓の行事には感動した。

起し太鼓の一番前に乗っていた方が二人いて、一人が市長さんでもう一方が本日のガイドの方だった。起し太鼓が動いている中、膝の曲げ伸ばしをしながら安定感を維持するのは相当な体力が必要だと思う。

からくり人形

屋台9台のうち、2台は糸からくりがあるそうだ。会館にある体験用の糸からくりの糸は8本だが、実際は30本近くあり、8人程度で操る。実際に操ってみると、8本でもかなり難しいことがわかる。

昭和8年に造られた屋台(麒麟台)

屋台は3段に分かれていて、上中段で子供が祭りばやしはやるので、30~40人ほど乗り、それを最小10人ほどで引くことができるそうだ。屋台の重量は、人が乗らない状態で1t近くある。

見送り

屋台に架けられている絵や書のことで、屋台を見送った時に見える所から名づけられた。館内に飾られている見送りは「平成の見送り」で、平成4年の開館当時に制作してもらったそうだ。書いている方は有名な人が多いが、無名の時代に書いてもらっているそうだ。

平成の屋台

平成8年(1996)から8年かけて、屋台を造る技術を伝承するために造られた。未完成の状態で、このあと漆を塗ったり、彫金をしたり、彫刻を施す必要がある。完成させるためには、まだまだ相当なお金が必要で完成時期は未定だそうだ。

神輿行列

神輿行列は、屋台曳航と起し太鼓とともに、古川まつりの三大イベントの一つだ。明治5年に造られた神輿とともに、300人ほどの行列で町を廻る。行列が自分の家に近づくと、神様を誘導するように塩をまくそうだ。  

行列の時に着る裃(かみしも)は麻でできていて、自前で用意するため、雨が降ると濡れて、すぐに型くずれするのが大変とのこと。

雨の時は裃ではなく、羽織・袴で行列に参加する。

当番会所

お祭りの時の司令部になる当番会所は、祭壇が飾られ、所狭しと献酒が並ぶ。献酒用の酒は、古川にある造り2軒の酒造場のものを使う。

宴席

古川まつりの時の各家の座敷が再現されている。山菜中心の「ごっつぉ」(ご馳走)が用意され、誰かれ関係なく入ってきて、飲み食いしていく習わしだそうだ。各家の女性はお客様のおもてなしで大忙し。祭どころではない。

飛騨の匠文化館

文化館の建物には、一本の釘も使われず建てられたそうだ。中に入ると、いくつかの飛騨の匠の技が紹介されている。

千鳥格子は、角材を組み合わせて、細工する飛騨の伝統技術のひとつ。升目を形作る木が、まるで織物の縦糸横糸のように互い違いに組み合わせられている手法だ。

継手・仕口

柱の細工で、釘を使わずに木を組み合わせ、耐震に強く、木が腐った場合、取り換えるようにでき、元通りになる。外の柱など、腐りやすいことが想定される場所に使われる。(神社・寺・城など)

雲形肘木

一般的には、お釈迦様が雲の上に座っているという理由で、神社・仏閣の軒先でよく使われているが、古川では民家に使われている。

諸説あるが江戸中期から始まり、大工の名刺代わりとして使われているので、少しずつ形や紋様が違い、現在町中で170か所程ある。縦長の家の軒先にあるので、見栄を張る意味もあったそうだ。

古川の絶景スポット

2階に上がると、白壁土蔵と瀬戸川と鯉の見える絶景スポットがある。窓越しに見る景色は確かに見事で、紅葉の時期は目の前の樹齢700年の大イチョウが真っ黄色に色づき特に素晴らしいそうだ。

展示コーナー

飛騨古川の典型的な住宅の模型が展示してあり、玄関入ってすぐのところに大広間があることがわかる。

まつりの時に、お客様をすぐ上げることができように造られているそうだ。

その他、地元の工業高校生が製作した「千と千尋の神隠し」の油屋の建物や「君の名は」の三葉の実家など、飛騨古川に関係する家の模型が展示されている。

そして、大工道具や継手・小屋組など木の細工も展示されている。

白壁土蔵と瀬戸川と鯉 

白壁土蔵は約700m続く。人口14000人ほどの古川の町に、造り酒屋さんが2軒あり、その2軒の工場兼倉庫(住居も含め)が白壁となって続いている。

瀬戸川は江戸時代初めに農業用水用として造られた。全長2.5kmあり、防火用水と軒先に積もった雪を川に流す除雪用としても活用されている。

1000匹の鯉が泳いでいて、地鯉は80年生きるため、地鯉が多い。11月終わり~4月初めの間は増島城跡のお堀に移動させているため、30~40人が半日がかりでおこなう一大作業になっている。 

円光寺

新暦では1月16日が親鸞聖人の命日で前日の15日に聖人の遺徳をしのんでおこなわれる「三寺まいり」という行事がある。古川町内の三つのお寺を詣でる行事で、うち一つの円光寺は、350年以上前に建立されたお寺だ。縁結びのおまいりとして知られていて、円光寺前の瀬戸川には、縁結びの願いを込めて「千本ろうそく」が灯る。願をかける場合は白いろうそく、願が叶った場合は赤いろうそくでお礼参りをする。

円光寺の山門は、1589年に金森可重(ありしげ)により築城した古川にある高山藩増島城の大手門で、1615年の一国一城の後、廃城になったおりに、移築されたものだ。

町の中の雲型肘木

町のあちこちに、雲形肘木の細工が見受けられる。

屋台蔵

古川町内に蔵は10戸あるが、屋台は9台で、明治37年に起きた古川の町の9割が焼けた大火で、1台が焼けてしまった。

蔵は土蔵の上に漆喰を塗った耐火構造になっている。扉の厚さは30~40㎝ほどあり、片扉だけで約2tあり、3つの蝶番で支えている。扉の高さ6.5mに対して、屋台7.5mあるので、屋台を一旦下げて中に入れる。

三嶋和ろうそく

全国で30軒ほどしかない手作りの和ろうそくの店で、平成14年のNHK朝ドラの舞台になった。主人公のさくらが下宿していた家とのこと。

和ろうそくは、櫨(ハゼ)の木の実から作る。実をつぶして、蒸して機械で絞ると蝋(ろう)ができる。芯はイグサ科の灯芯草(とうしんそう)から髄を取り出し、和紙に巻き付け、真綿で止める。芯は相当軽い。

出来た白い和ろうそくに、日本画などで使用する赤い顔料(岩絵具)を混ぜて、60℃ほどで溶かした蝋を、ろうそくにかけるとすぐに固まる。ろうそくに触ったが、顔料は手につかなかった。 

和ろうそくの基本色は白と赤の2色で、浄土真宗の報恩講の行事と法事の時に赤を使う。法事は宗派によって時期が異なり、東本願寺派は1周忌から、西本願寺派は7回忌から、一番遅いのは、禅宗で33回忌以降だそうだ。戦後は安価な西洋ろうそくを使うようになったため、そういうしきたりがなくなり、赤のろうそくをいつ使っていいかわからなくなった。

和ろうそくは、風に強く、全部燃える利点がある。また、芯の中が空洞になっているため、空気が通ることで炎が揺らぎ、何とも言えない味わいが出る。揺らぐ炎で、ディナーなどを楽しむ若い人が増えてきて、ちょっとしたブームになっている。

ちなみに三嶋和ろうそくは創業240年。現在の主人は7代目で「現代の名工」に選ばれている。

蒲酒造場

入り口の杉玉に、しめ縄があるのは珍しいそうだ。建物は登録有形文化財に指定されていて、200年は経っているのではないかとのこと。もう1軒の蓬莱渡辺酒造店の建物も登録有形文化財に指定されている。

飛騨市古川町は、岐阜県内で1人当たりの日本酒の消費量が1位で、古川祭の時に、年間売上の多くが消費されるそうだ。

飛騨古川夢ふるさと案内人会

夢ふるさと案内人会は、飛騨古川の静かな町並みを歴史と生活文化などのお話しをしながら、あったか~くご案内します! 時おり「飛騨弁」になるかも 地元の案内人ならではです。

団体窓口
飛騨市観光協会
所在地
〒509-4234 岐阜県飛騨市古川町壱之町14-5
電話番号
0577-74-1192

ツアープラン情報

ツアー名
飛騨古川街並み案内ツアー
料金
案内人1名(約20名様まで)
2,000円
※ まつり会館、匠文化館の入場料が別途必要となります。
開催日時
年中無休
ツアー時間
90〜120分
予約受付
7 日前まで
お問い合わせ
飛騨市観光協会
TEL
0577-74-1192
定休日
土・日・祝日
営業時間
8:30〜17:00
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