山寺周遊コース

参道から奥之院まで1015段の階段があり、山門からは山肌を縫うように石段が続きます。いにしえの時に思いを馳せながら、一歩一歩歩みを進め、絶景の地に向かいます。

山寺について

山寺はその地域の名前で、寺の正式名称は宝珠山立石寺(りっしゃくじ)という。天台宗の寺で、貞観(じょうがん)2(860)年に慈覚大師円仁により創建された。円仁は、第3代天台座主で、亡くなってから慈覚大師の称号をもらった。

参道から一番上の奥之院まで1015段の階段がある。

根本中堂(こんぽんちゅうどう)前の石灯籠

上野寛永寺にあったものを持ってきた石灯籠で、葵の御門がある。同じ天台宗という関係以外に、関ケ原の戦いを通して当時の藩主最上義光(よしあき)と徳川家とのかかわりがあったためだと言われている。

根本中堂(中は撮影禁止)

立石寺の本堂になる。最上家の祖と言われる斯波兼頼(しばかねより)によって1356年に再建された建物。ブナ材が6割使われていて、ブナ材の建築物としては日本最古と言われていて、国の重要文化財に指定されている。天台宗の東北地方の修行の場になっている。総本山の比叡山にも根本中堂という本堂がある。

堂内には、本尊として慈覚大師作と伝えられる木造薬師如来坐像をお祀りしてあり、秘仏で50年に一度御開帳になる。最近では平成25(2013)年にあり、2カ月間で30万人が訪れたそうだ。

薬師如来坐像の脇侍として日光・月光両菩薩と十二支天、その左右に文殊菩薩と毘沙門天を拝している。ご本尊左前には釣灯籠があり、不滅の法灯として1200年絶えることなく、灯っている。天台宗開祖の最澄がインドから中国に伝わってきたものを、日本に持ってきてここに灯している。総本山比叡山にもあるが、1571年織田信長により焼き討ちにより一度火が途絶えたので、1589年にここから火を返還している。

火を灯すのに、菜種油を毎日1升補充されている。

清和天皇の御宝塔

清和天皇が即位していた貞観(じょうがん)時代(859~877年)は自然災害が多かった。9才で天皇に即位し、富士山噴火・大地震・飢饉等が起こり、27才で退位した。31才で亡くなり供養塔が建てられた。

日枝(ひえ)神社

神社前には、樹齢1200年と言われているご神木の大イチョウがある。

高浜虚子が昭和16(1941)年に「いてふの根 床几斜に 茶屋涼し」、息子の高浜年尾 が昭和37(1962)年に「我もまた 銀杏の下に 涼しくて」と、親子が共にここで詠んだ。

松尾芭蕉・曾良像

松尾芭蕉が尾花沢でお世話になった鈴木清風から山寺に行ったほうが良いと言われて、予定のなかった山寺を訪れ、山寺で2泊している。尾花沢からは30㎞程の距離があり、訪れたのは旧暦5月27日(新暦7月中旬頃)で、紅花が咲いている頃になる。

鐘楼

NHKの除夜の鐘でも撮影されたことがある鐘楼の下にある地図で、立石寺内の行程の説明を聞く。

山門

鎌倉時代に建立されたとされる山門をくぐると、奥之院まで階段が続く。

石段は明治41年に整備されたもので、その前までは土が中心で所々階段があった。

江戸時代までは比叡山延暦寺から住職さんが派遣されていた。そのお墓が途中見ることができる。

姥堂(うばどう)

石段を登っていくと、死者を迎える姥(脱衣婆(だつえば))がご本尊の姥堂がある。亡くなった人は三途の川を渡る前に、必ず生前来ていた服を脱ぎ、依領樹(えりょうじゅ)の枝に服をかける。重く垂れ下がると、生前の行いが良くないとなる。この先にいる閻魔大王にその情報が伝わることになる。お堂の横にある石清水で体を清め、白装束になって閻魔大王の前に出る。

植物

山寺に来たら、3つの植物を覚えてほしいとガイドさんから言われる。

アヤメ科のシャガ

白いきれいな花が咲き、一面に咲く。

アブラチャン

正式名称で、実がなり、実を絞ると油が取れる。

秋明菊(しゅうめいぎく)

秋に咲く花で、ピンクや白の花は咲く。

百丈岩(ひゃくじょういわ)

階段を上っていくと途中に大きな岩(百丈岩)がそびえたっているのが見えてくる。この上に、納経堂・開山堂・五大堂などが建っている。

1200前からある石段

円仁さんも踏んだと言われている階段の石が2段だけ残っている。皆が踏むのでつるつるになっている。

せみ塚

石柱の下に松尾芭蕉が詠んだ「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」と書かれた短冊が納めてある。

霊場である山寺で詠んだ蝉の声とは、亡くなった人の魂の声を言いたかったのではないかとのこと。

弥陀洞(みだほら)

弥陀洞は、見る角度により仏様に見える。見ることができた人は幸せになると言われている。

天台宗は他宗を受け入れる宗派で、山寺には岩に彫られる300近い岩塔婆(いわとば)があるが、いろいろな宗教の塔婆がある。

仁王門

仁王門は江戸時代の建物になる。ここには閻魔大王がいる。

記念殿

江戸時代にはお寺として1420石を受領していた。300人の修行僧がいて、100のお堂があった。

明治時代に入り、廃仏毀釈で寂れてしまったが、明治41年大正天皇が皇太子時代に来ることになり、道路や階段を整備された。その時に記念殿が建てられて、昼食を摂られ「もう一度来てみたい」とおっしゃった。同行していたマスコミの関係者がその内容を新聞等で伝え、一大観光地に発展していった。

中性院(ちゅうしょういん)

良くなりたい部位を撫でると良くなるという長寿を授ける「なでぼとけ」がいる。

奥之院と大仏殿(写真撮影禁止)

正式名称如法堂は、参道の終点にあるので、奥之院と言われている。その横の大仏殿には、5mの金色の阿弥陀如来が安置されている。

俗性の悪い縁を早く絶って「極楽浄土で幸せに暮らしてください」という意味で、歯骨(はこつ)納めという風習がある。また、「あの世で良い縁に恵まれてください」と若くして結婚せずに亡くなった方のために祈り、結婚式の絵馬を奉納する風習もある。山寺は、悪縁を絶って良縁を得る寺と言われている。 

三重小塔(重要文化財)

室町時代に建てられたもので、54年前までは外にあったが、風化がひどかったため岩をくり抜いて現在は入っている。

その横の寺に、「一隅を照らす」というポスターがある。善行(良いこと)をすれば、周りが明るくなる。たくさんの人で良いことをすれば、もっと明るくなり、隅々まで照らすことができる。たくさんの人で善行をおこなってください、人々を救ってください、という天台宗の教えとのこと。

最上義光(もがみよしあき)御霊屋

山寺は最上義光の庇護によって守られてきたことから、最上義光と家来10人の位牌が祀られている。

開山堂と納経堂

納経堂には、4年に1回(うるう年)写経した法華経が治められている。

山寺を創建した慈覚大師円仁を祀っている開山堂が建つ崖下にある入定窟に、大師の御遺骸が金棺に入れられ埋葬されていると言われている。

五大堂

山寺随一の景観スポットになる。

抜苦門(ばっくもん)

山寺を降り、山門から西へ参道に向かう途中に抜苦門がある。苦しみを抜く門で、3か所の通りがある。真ん中を通ると福徳門、左側を通ると長命門、右側を通ると出世門になる。

山寺観光ガイド きざはし会 申込み

立石寺、山寺観光協会および地域住民の協力・支援のもと、ガイドしています。

団体窓口
山寺観光案内所
所在地
〒999-3301 山形県山形市山寺4495-15 山寺観光案内所内
電話番号
023-695-2816

ツアープラン情報

ツアー名
山寺周遊コース
料金
ガイド1名 3,000円(税込)
※ 根本中堂拝観料 200円/人
※ 立石寺入山料 300円/人
開催日時
9:00〜16:00
ツアー時間
約2時間
予約受付
2 日前まで
お問い合わせ
山寺観光案内所
TEL
023-695-2816
定休日
水曜日
営業時間
4月〜11月 9:30〜16:00
12月〜3月 10:00〜15:00
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