石垣の名城と言われる丸亀城は香川県丸亀市にある現存十二天守の一つです。当時最高技術の石垣と現存十二天守の中で一番小さな天守を持ち、日本の百名城にも選ばれています。ぜひ一度訪れてみませんか。
概略説明
讃岐国の領主だった生駒親正・一正親子が1597~1602年にかけて築城したが、1615年の一国一城令により丸亀城は廃城し、完全に壊された。生駒家4代目の時に、家来同士の家騒動が起こり、讃岐を追われ1万石に格下げで出羽国に移った。1641年に島原の乱(1637年)後の天草富岡の再建し、山崎家治が讃岐藩主として入ってきた。城の再建を目指したが、3代目で後継ぎがなくなり、引き継いだ京極家が1660年に丸亀城天守を、1670年頃に大手門を完成させた。
天守は現存する12城のうちの一つになる。
大手二の門
内堀を渡る橋の目の前に高麗門でできた大手二の門があり、高麗門と呼ばれるスタイルは、文禄・慶長の役(1592~1598)頃から造られ始めた形だ。
門横の塀には狭間と呼ばれる防御の細工があり、小窓の扉をスライドで開けて矢や銃を放つことができるようになっている。ガイドさんに促され実際に開閉させてもらうことができたのは、当時の思いに少し触れた気がしてうれしかった。
二の門と一の門の間には11間(約20m)×10間(約18m)のスペースがあり、桝形虎口としては広めだそうだ。
大手一の門
大手一の門は櫓門で、小屋根の下には20㎝ほどの隙間があり、「石落」という鉄砲や槍を下に向けて撃つ仕掛けがある。
丸亀城の三つの日本一
丸亀城には、三つの日本一がある。
- 内堀から天守までの石垣の高さが累計60m
- 二の丸の井戸の深さが65m
- 現存している城の中で天守の大きさが一番小さい
見返り坂
坂の角度は約10度・距離は約150mあり、毎年正月には坂を駆け上る大会が開催される。夏にはうどん流しが行われ、高速流しうどんと命名されていて、そうめんよりつかみにくいそうだ。
坂を歩きながら、参勤交代で江戸まで海で3日・陸で22日・200人で行ったこと、1人1泊の宿泊費が今のお金で5~6千円だったことやこの城を立てる普請の費用が幕府から出たそうだという話しを聞いた。(銀300貫と参勤交代1回免除)
石垣1「扇の勾配」
扇のようなカーブを描く積み方を「扇の勾配」と呼び、角石の積み方は細長い石を長短で組み合わせていく算木積みで強度が増す。
丸亀城で一番高い25.9mの石垣は西側にあり、日本で10本の指に入る。右写真の石垣の高さは22mになる。丸亀城の石垣全体で6万4千個くらいの石を使っている。
下から上を見ると、見事な武者返しだということがよくわかる。
石垣の上から見ると、横のラインも輪取りと呼ばれるアールのカーブになっていることがわかる。
三の丸からの景色〜その1
南東方面に高さ422mの讃岐富士(飯野山)が見える。
三の丸からの風景〜その2
北方面には瀬戸内海が見え、江戸時代は金毘羅参詣の入港地として、丸亀の町は栄えていた。
石樋
排水施設として、城内の水を外に流すために少し出っ張っている。
戌亥(いぬい)櫓跡
明治2年にあった御殿の火災により、ここにあった櫓も焼けてしまった。ガイドさんが杖で指している石がピンク色で焼けた跡のせいだ。
三の丸からの風景〜その3
南西方面の景色で、堀の内側には100m×150mほどの御殿があったが、戌亥櫓と同様明治2年に焼けた。
1861年に、坂本龍馬が丸亀に2週間の予定で来て実際には4か月滞在したという矢野道場や正面の山の中腹にある金剛禅総本山少林寺が見える。
石垣2(ハバキ石垣)
石垣がはらみ出したため、補修した痕跡を見ることができる。
打ち込み接(は)ぎという積み方で、奥の積み方は布積み・手前の天守石の積み方は乱積みという。
二の丸井戸
日本一の深さ65mあるという井戸で、覗き込むと水があることがわかる。水面まで約17mだそうだが、なぜ水が溜まっているのかなぞの部分がある。
石垣の刻印
石垣には、約150の刻印を見つけることができるそうだ。最初の藩主生駒家の波引車(車の上半分)の家紋も見つけることができる。これにはいわくつきの話があり、生駒家藩主が合戦に行ったが、波で源氏車(車全体の形)の旗印が半分しか見えなかったため、家紋を変えたと言われていて、家紋を途中で変えることは珍しいとのこと。
下の写真の刻印は「左」と書いてある。左衛門佐(さえもんのすけ)という役職名を示す。
天守
天守の高さは14.5mになる。
〇で囲った部分は、野菜のかぶらに似ている懸魚(げぎょ)とその奥の模様を蟇股(かえるまた)といい、寺社仏閣に多い造りで火除けの細工になる。
天守には、回廊のある望楼(ぼうるい)型と層塔(そうとう)型があり、丸亀城は層塔型で外に出て眺めることはできない。
階ごとに積み上げている建て方なので、1階ごとに柱が建ち、通し柱がない。
石落とし・狭間(さま)
狭間は分厚い壁越しに鉄砲を撃ったり、石落としはここから下に石を落とすことができる。
太鼓壁
太鼓の淵のように、厚みを持たせている壁で、防弾用だ。
燧梁(ひうちばり)
四隅の柱を補強し、堅牢な造りになっている。
瓦の展示
生駒家・山崎家などの家紋が入った瓦の展示が行われている。
階段
2階に上がる階段の角度は58度・階段数17段、3階へは角度56度・階段数15段で、上2段は少し狭くなっている。急な階段なので慎重に上る。
昭和23~25年に解体修繕したときに壁の中から木札が出てきて、万治元(1660)年に城が完成したことを裏付ける貴重な資料になり、重要文化財に指定されている。
天守から見る風景
石垣3
南面の石垣で、80mの幅で高さ4mの野面積みの石垣。
玄関先御門・番所・長屋
薬医門形式の門。正面はお殿様のみが使っていた門で、手前には御殿があった。(消失)
玄関先御門横にある番所
長屋
玄関先御門の横には長屋もあった。
(番外編)石垣崩落現場
2018年7月7~8日かけて起きた西日本豪雨で石垣の石約4200個が崩落した。その後2回崩落し、計3回崩落する。遺跡調査も含めて修復工事が行われている中で新たに石垣が現れ、石垣がさらに高い可能性が出てきた。工事は2025年完成を目指している。
丸亀城石垣崩落復旧整備事業PR館
崩落の状況や修復の様子など見せている。
崩れた石を並べ、パズルのように積み上げていく作業が行われている。
丸亀城ボランティアガイド
丸亀城内の見所を無料で案内しています。丸亀城の様々な魅力を紹介しますので、お越しの際はお気軽に声をかけてください
- 団体窓口
- 丸亀市文化財観光案内会事務局(教育委員会文化財保存活用課内)
- 所在地
- 〒763-0025 香川県丸亀市一番丁 丸亀城内
- 電話番号
- 0877-22-6278
ツアープラン情報
- ツアー名
- 丸亀城ガイド
- 料金
- 無料(ただし、旅行会社等の場合は、2,000円)
※丸亀城入館料は別途要
- 開催日時
- 3~12月毎週日曜日
9:30~12:00
13:00~15:30
※その他の時間は前もって確認ください。
- ツアー時間
- 60分程度
- 予約受付
- 7 日前まで
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-
丸亀市文化財観光案内会事務局(教育委員会文化財保存活用課内)
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- 0877-22-6278
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- 3月~12月の毎週日曜日
9:30~12:00
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