日向市内巡り

美々津町並み~大御神社~米の山展望台~クルスの海~黒田の家臣を巡ります。

美々津地区概要

美々津地区は、椎葉村が源流で長さ約100kmの耳川の河口にあり、江戸時代は阪神地区へ林産物の積出港として栄えた。

美々津の見どころは、江戸時代栄えた古い町並みと日本神話の話しの二つだ。

日本神話は、古事記(語り継ぎを文字にした書物)と日本書紀(天皇の命令で作った書物)に出てくる話しで、内容はほぼ同じだ。

日本神話は大きく分けて、国生み神話・出雲神話・日向神話の3つあり、美々津は日向神話に関係している。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高千穂に降りて、延岡にある笠沙山(愛宕山)でコノハナサクヤヒメと出会い、海幸彦と山幸彦が生まれる。山幸彦の孫が神武天皇にあたり、神武天皇がお船出した場所が美々津である。初代天皇である神武天皇が東征のためのお船出をしたということで、日本海軍発祥之地として昭和17年に定められている。

国指定重要伝統的建造物群保存地区

江戸時代後期から大正時代にかけての街並みが保存されていて、昭和61年に国の重要伝統的建造物群保存地区指定された。海に沿って上町筋・中町筋・下町筋の3つの筋があり、火事が多かったので筋をまたぐようにツキヌケ(防火地)という防火帯と井戸を設けてあり、類焼しないようにしてあるのが町の特徴だそうだ。

「美々津千軒」と言われるほど栄えたが、鉄道(日豊本線)が通るようになって、物流の流れが変わり、一気に廃れて、現在は100軒ほどの町の規模になっている

美々津町並み

阪神地区へ林産物の積出港として栄えたので、大坂からの出店が多くあり、備前屋・河内屋など屋号の名残りがある。江戸時代は、間口の広さで税金が決まっていたので、下の写真の間口の狭い妻入の家が多い中、平入という間口の広い家が当時の羽振りの良さを感じさせる。

防火帯と共同井戸

ツキヌケ(防火帯)で、家は後でできた物だそうだ。

番子(ばんこ)

玄関横に折り畳み式の縁台があり、どの家にもあったそうだ。

郵便ポスト

郵便ポストには、神武天皇が乗ったとされる船の図柄が書いてある。

資料館

千石船を2隻持っていた河内屋という廻船問屋で、美々津地区で最も栄えただろうといわれた家で、典型的な商家造りの意匠を残している。

現在は日向市に寄贈され、有形文化財に指定されている。

美々津の町の中で一番古い家

矢野家住宅は美々津地区で最も古い家で、約200年経っているそうだ。

立磐(たていわ)神社

境内には、神武天皇が座られたという「お腰掛の岩」が御神体としてある。神武天皇が東征の際、お船出をする時に風で出航日を決めていたが、急に天気が良くなって予定より早く出航することになり、神武天皇が着る予定の衣服を立ったまま縫ったという話しがあり、「立縫」という地名が残っているそうだ。

大御神社

天照大神(あまてらすおおみかみ)の「おおみ」を取って大御神社といい、御祭神は天照大神とのこと。宮司さんは、毎朝水行をされているそうだ。

前の海の波は結構荒く、日本でも有数のサーフィンのメッカで、サーフィンの世界大会も開催されている。

さざれ石群・神坐(かみくら)・竜神の霊(玉)

拝殿で参拝した後、さらに境内を進むと、日本最大と言われるさざれ石群が見えてくる。その一角には、二つの看板があり、一つは、神武天皇の祖父ニニギノミコトがお祈りをされた岩「神坐(かみくら)」と、もう一つは、大昔の竜神信仰の名残りの霊(玉)と呼ばれるもので、常に水が溜まっている(枯れない)水窪だ。

千木(ちぎ)

拝殿の屋根の両端からV字型に飛び出している木のことを千木といい、千木の先端が地面と水平になっていると女神、垂直になっている男神とのこと。

また、その間の丸い木のことを鰹木(かつおぎ)といい、偶数は女神・奇数は男神で、大御神社の拝殿は6本と8本になっているが、神様を複数合祀している神社の場合は違うこともあるそうだ。

亀岩

縁起がいいといわれている岩。

鵜戸神社

洞窟の中の赤い鳥居をくぐり、海の方を見ると、のぼり龍のように見える。パワースポットにもなっているそうだ。まさにそのように見え、幻想的な雰囲気を醸し出している。

米の山展望台

北側の細島方面と南側のお倉ヶ浜・金ヶ浜方面を望むことができる。細島は湾の中にあり、波は静かなので船が発着するには最適な港だ。江戸時代、参勤交代に行く航路として使われた細島港は、飫肥藩の伊東家、佐土原藩の島津家、高鍋藩の秋月家が利用し、一つの藩で1回に1000人ほどが動くので、細島は栄えていたそうだ。

一度港に名前が付けられると、世界の海図に載るので変えることが難しいのこと。

クルスの海

十字架(クルス)は叶という文字に見える所から、ここでお祈りをすると、願いが叶うといわれている。

黒田の家臣

古嶋(こしま)と言われていた島で、今は「黒田の家臣」という名前の島になっている。ここは江戸時代末期の文久2年(1862)に京都の寺田屋騒動が起き、薩摩藩士に捕らえられた黒田藩の藩士ら3名が薩摩藩に船で護送中、この古嶋で殺された。団子の葉を取りに来た黒木昭八翁が発見した腹巻に藩名と身元がわかるものがあり、名前が判明した。丁重に葬り、墓を建てたそうだ。薩摩藩では当時かん口令が敷かれていたが、3名のうちの一人海賀宮門は勤皇の志士ということで、明治時代に入ってから表彰された。現在は、黒木昭八翁の4代目の子孫が墓をお守りしている。

干潮になると島に渡ることができるが、見学した時は潮が満ちていて渡ることができなかった。

日向市歴史観光ボランティアガイド平兵衛さんの会

「平兵衛さんの会」は、日向市及びその近郊に観光へ訪れるお客さまに、郷土の自然風土や歴史文化を広く紹介しているボランティアのガイド団体です。歴史と自然あふれる日向市の魅力を、たっぷりとご案内いたします。コースも30分コースから4時間コースまで多数ご用意しておりますので、お気軽にお申し込みください。

所在地
〒883-0014 宮崎県日向市原町1-2-1-101 コルセ・カレ1階
電話番号
0982-55-0235

ツアープラン情報

ツアー名
日向市内巡り
料金
無料
(ただし、1団体当たり2000円の交通費が必要となります)
開催日時
9:30〜17:30
ツアー時間
30分〜4時間
予約受付
7 日前まで
お問い合わせ
日向市歴史観光ボランティアガイド平兵衛さんの会
TEL
0982-55-0235
定休日
12月31日・1月1日
営業時間
9:30〜17:030
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