白石再発見コース

片倉家御廟所、伊達家・片倉家にゆかりのある少納言喜多と田村家の墓地、白石城下の水源や伊達政宗が白石城を攻略した際に布陣した陣場山等を巡ります。

白石城主片倉家歴代廟所

片倉家初代~10代の墓がここにあり、すべて片倉小十郎を名乗った。墓の形は、阿弥陀如来座像になっている。3代片倉小十郎影長公が、この地を廟所とした。

初代片倉小十郎は、伊達政宗が幼少の頃から守り役として仕え、終生伊達家家臣として仕えた。

青面(しょうめん)金剛碑

中国の道教では、人間の体内には三尸(さんし)という3種類の悪い虫が棲み、人間の睡眠中にその人の悪事をすべて天帝に報告に行くとされる。報告に行く60日に一度の夜は、眠ってはならないとされ、その日の夜は人々が集まって、徹夜で過ごすという風習があった。青面金剛様はその虫を押さえつける神様になる。庚申という石碑(庚申塔)をよく見かけるが、意味合いは同じである。

少納言喜多の墓

少納言喜多の墓は、地元の氏神様「滝の観音堂」の上にある。初代片倉小十郎の姉で、伊達政宗の乳母となり、72才で生涯を終えた。すぐれた人柄や事柄についての伝承は残っているが、少納言の称号を含めた実像を伝える資料は少ない。

田村家の墓

伊達政宗の正室愛姫(めごひめ)の生まれた田村家の墓がここにある。田村家は、1590年に豊臣秀吉により没収されたが、田村一族の定廣が仙台藩士となったあと、田村家の菩提を弔うため、ここに建立した。定廣の妻は、真田幸村の娘阿菖蒲(おしょうぶ)になる。

当日は雨で滑りやすいため、墓には行かなかった。

片平観平切通出口(かたひらかんぺいきんどしでぐち)

江戸時代、白石城内には自然の川はなかったので、城内に水を供給するため、白石川から水を引きいれようとした。白石川は急流で町より低かったため、4年の歳月をかけて岩を掘りぬき、完成するのに10年かかった。誰がやったかわかっていない。 

第三隧道の出口 

この1本だけが、白石の城内に流れ込んでいる。

おがる石

おがるとは、「成長する」「大きくなる」という意味になる。農家の人が、伊勢神宮と諏訪大社のお参りに行った時に、履いていた草鞋の中に小石が入っていた。その石がだんだんと大きくなり、2mほどになった。石が大きくなるにつれて、農家の人も大金持ちになった。その石がここ諏訪神社に祀られている。

陣場山 

1600年の関ケ原合戦の時、東軍だった伊達政宗に徳川家康から西軍の米沢藩(上杉景勝)を牽制してほしいと言われた。陣場山に陣を構え、上杉景勝の家臣が守る白石城を攻め、2日間で落とした。

ここから遠くに白石城を望むことができる。

世良修蔵の墓

1868年の戊辰戦争の時、新政府は奥羽全体で会津藩を討つために「奥羽鎮撫総督府」を作った。天皇の御旗にした軍隊であることがわかるように、総督・副総督・参謀のトップ3はすべて公家だった。実働部隊の長は、長州藩の世良修蔵と薩摩藩の大山格之助で、世良修蔵は大柄(おおへい)な態度だったので、仙台藩は嫌った。世良修蔵が大山格之助に対して、「奥州皆敵。朝廷に服さない」と書き、密書を送ったが、その密書が仙台藩の手に渡って、世良修蔵は首をはねられた。

明治8年に墓をここに定め、翌9年には明治天皇がこの地を行幸している。

傑山寺(けっさんじ)

傑山寺は、初代片倉小十郎が菩提寺として、1608年に創建された。

戊辰戦争の時、藩士が集まり、藩の対応を決定した場所としても知られている。

篠笛(しのぶえ)を持った姿の初代片倉小十郎。縦笛のことで、得意だった。

正面の大杉(白丸)が、初代片倉小十郎の墓標になる。遺言で、白石の礎になるから墓石はいらないので、杉の木を植えてくれと言ったと伝えられている。杉の木の左側にある五輪塔は、奥方の墓標と言われている。

白石藩最後の筆頭家老 佐藤孝郷(たかさと)の墓

戊辰戦争後、家臣とともに北海道に渡って開拓した。明治7年には初代札幌区長となり、現在の札幌市白石区の基礎を造った。

片倉家墓所

3代目が墓所を現在の廟所に造るまで、片倉家代々の墓があった。歴代の奥方の墓はここにある。(初代と7代以外)奥方の墓の形も、阿弥陀如来坐像になっている。

松前家の墓

2代藩主の頃、北海道松前藩主の子・松前安広が白石に来て、片倉家に勤めた。2代藩主には男の子がいなかったため、娘を松前安広の嫁にして、その長男が3代目白石藩主となり、次男が松前家を継いだ。片倉家と松前家の縁が深いことで、ここに松前家当主の歴代の墓がある。

白石市観光まちあるきガイド

白石観光まちあるきを通して「感動」と「知識」そして「おもてなし」をお届けします。 蔵王の麓、風光明媚な自然と歴史のロマンが残る街並みは、映画「ラストレター」のロケ地にもなりました。市内を巡る堀割の水音、水辺の妖精「梅花藻」の可憐な花々、城下から仰ぐ雄壮な蔵王連峰、歴史の変遷に重要な役割を果たしてきた城下町の史跡と秘められたロマンを訪ねます。

団体窓口
白石まちづくり株式会社
所在地
〒989-0273 宮城県白石市中町48-5
電話番号
0224-25-6054

ツアープラン情報

ツアー名
白石再発見コース
料金
1名あたり1,000円
(小中高生500円、未就学児無料)
開催日時
10:00〜16:00
ツアー時間
1時間半~2時間程度(車の場合)
約3時間(徒歩の場合)
予約受付
3 日前まで
お問い合わせ
白石まちづくり株式会社
TEL
0224-25-6054
定休日
火曜
営業時間
10:00〜16:00
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