「島原・天草一揆」の歴史散策コース

九州本土とは天草五橋と呼ばれる5つの橋で結ばれています。一年中楽しむことのできるイルカウォッチング、南蛮文化やキリシタンの歴史を伝える施設などがあり、自然と文化に育まれた島です。﨑津集落は天草市河浦町に位置し、禁教下に仏教、神道、キリスト教と共存しながら信仰を続けた集落として評価され「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の1つとして世界文化遺産に認定されました。本渡周辺には、「島原・天草一揆」「天草四郎」に関する歴史の舞台が数多くあります。ぜひ、地元のガイドとともに、一緒に天草を周ってみませんか。

町山口川

1637年に起きた島原・天草一揆は、天草市有明町にある上津浦(こうつうら)から始まり、一揆勢が勝利し、唐津軍は苓北町の富岡にある代官所に逃げ帰るため、天草市の中心にある町山口川に達したが、土橋が切り落とされていたため、一揆勢とここでも壮絶な戦いがおこなわれ、川に死体が埋まるほどの壮絶な戦いが繰り広げられたそうだ。そういう意味で、町山口川は重要な舞台の一つと言われている。

祇園橋

当時の祇園社前にあるため名付けられた、1832年に架設の祇園橋は、30cm角の9列×5本の石の脚で支えている。川の流れが早いため、一番上流の石脚は、水流を分散させるように斜め45度にしてある。石は乗せてあるだけで、橋の真ん中が高いのは、増水した時、全部が浸かると、橋が弱くなるため、それを防いだためだそうだ。いろいろな工夫が施されている。石造桁橋という工法で、全長28.6m、幅3.3mあり、当時としては、日本最大級の橋で、地元下浦の石と石工さんによって造られたとのこと。

天草文化交流館

教育会館として、学校の先生たちは、毎月給料から15円/人を2年半にわたって出した。(当時師範学校卒業初任給の1/3) そのお金をもとに1935年に建てられ、教育研究活動の中心の場として活用されたが、歴史的文化的建造物として貴重であることから、2006年登録有形文化財として、登録保存するとともに、文化交流館として、赤ちゃんにおっぱいを飲ませている天草土(どろ)人形と言う人形の絵つけ体験等伝統工芸の伝承と体験学習の拠点として活用されている。

本妙寺

加藤清正の遺髪が納められているお寺。1589年に、小西行長が宇土城建設に際し、天草五人衆に手伝いを依頼したが、断ったため戦になり、加藤清正が小西行長に加勢したことで、天草に縁ができたのではないかとのこと。天正天草合戦といい、天草氏の客将として身を寄せていた木山弾正と加藤清正が、仏木坂(ぶっきざか)で一騎打ちをし、加藤清正が勝ったという逸話がある。

本戸城跡

城山公園(殉教公園)

島原・天草一揆の時、本渡一帯が戦いの場となり、そこかしこに出た死体を地元の人たちが敵味方関係なく、数か所に祀っていたものを集めて、昭和31年に殉教戦千人塚に移して、諸聖霊を篤く祀ったそうだ。千人塚辺りは、本戸城出丸跡になる。

てまり塚

天草四郎の恋人・路香(みちか)が、四郎をしのんで作ったのが、南蛮てまりのはじまりといわれている。石碑は、若干傾いているように見えるが、倒れないように作られているとのこと。

キリシタン墓地

天草市五和町に散らばっていた一部の墓を集められた。アダム荒川の石碑があるが、アダム荒川は、天草最初の殉教者といわれ、宣教師の手伝いをしていた。キリシタン禁止令に伴い、宣教師が国外追放されるときに、宣教師から去った後のことを頼まれ、子供に洗礼を授けたり、教徒のお世話をしていたため、1614年に処刑された。アルメイダの石碑もある。各地で布教し、功績が多く、宣教活動をすると同時に、ポルトガルの医者の資格を持っていたので、日本人がしていなかった外科的手術なども始めたため、大分には、自身の名前が付いたアルメイダ病院があるとのこと。

キリシタン館(本戸城跡)

展示室は、写真撮影禁止。

天草四郎陣中旗のレプリカが展示されている。本物は年数回(合計1か月間)展示されている。展示室は、旗の展示以外に、キリシタン文化の伝来と天草のかかわりについて、島原・天草一揆について、一揆後の天草復興とキリスト教信仰について、コーナーに分けて、展示されている。島原・天草一揆のコーナーでは、1637年10月29日に始まり、天草市有明町にある上津浦、そして天草市本渡にある町山口川の戦いで一揆勢の勝利となり、唐津軍が逃げ帰った苓北町にある富岡城での戦いでは、一揆勢は攻め落とせずに、島原の原城に渡り、総勢3万7千人が立てこもり、戦い、ついに1638年2月28日に落城し、終結した約5か月間の流れを説明している。

天草キリシタン館(本戸城跡)から見る道並み風景

明徳寺

島原・天草一揆平定後、赴任した代官の鈴木重成公により、1645年に建立された曹洞宗の寺。山門は、1714年に建てられたものだが、門扉の両側には、仏教の教えを広め、キリスト教の教えを取り除くという双聯(そうれん)が掛けられている。階段は江戸時代のままらしいが、急で石がごつごつしていて下りにくかったが、それはそれで、当時の状況を味わう意味ではいい。階段には数か所十字架が彫られていて、司馬遼太郎の「街道をゆく」にも、これはすごいと書かれているとのこと。

武将の墓

島原・天草一揆の本渡での戦いで亡くなった方々の墓。 

天草宝島観光協会

九州本土とは天草五橋と呼ばれる5つの橋で結ばれています。一年中楽しむことのできるイルカウォッチング、南蛮文化やキリシタンの歴史を伝える施設などがあり、自然と文化に育まれた島です。﨑津集落は天草市河浦町に位置し、禁教下に仏教、神道、キリスト教と共存しながら信仰を続けた集落として評価され「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の1つとして世界文化遺産に認定されました。本渡周辺には、「島原・天草一揆」「天草四郎」に関する歴史の舞台が数多くあります。ぜひ、地元のガイドとともに、一緒に天草を周ってみませんか。

所在地
〒863-0023 熊本県天草市中央新町15-7 天草宝島観光協会内
電話番号
0969-22-2243

ツアープラン情報

ツアー名
「島原・天草一揆」の歴史散策コース
料金
基本料
一律2,000円+ガイド1時間当たり1,000円(1名)
開催日時
9:00〜17:00
ツアー時間
60~180分(昼食をはさむ場合は、ご用意をお願いします。)
予約受付
7 日前まで
お問い合わせ
天草宝島観光協会
TEL
0969-22-2243
定休日
年末年始
営業時間
9:00〜17:00
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