彌太郎の曽祖父・彌次右衛門が移築した、三菱グループ創業者、岩崎彌太郎の生家。土蔵の瓦には、岩崎家の家紋であり、三菱のマークの原形といわれる「三階菱」があります。
また、庭には少年時代の彌太郎が日本列島を模して作ったと伝えられている石組みもあります。彌太郎はこの石組みを見て、「日本はわが庭の内にあり」と言ったと伝えられています。
帯同していただいたガイドさん
- お名前
- 岡田 耕治(おかだ こうじ) さん
- ガイド歴
- 2015年〜
- 趣味・特技
- 竹細工
- 一言PR
- NHK「らんまん」のモデル、牧野富太郎博士も足を運んだ安芸市へ、皆様ぜひお越しください。
岩崎彌太郎生家
岩崎彌太郎生家は、寛政7(1795)年、彌太郎の曽祖父が移築した建物である。
現在の敷地は、4000㎡ほどあるが、当時の敷地は主屋を含む400㎡位だったようだ。彌太郎は、天保5年(1835)、武士の中では身分が低い地下浪人(じげろうにん)の家に生まれた。母親の美和(医者の娘)が嫁いだ当時は裕福だったが、家計は次第に逼迫していったようだ。7~13歳まで土居の漢学者小牧米山のもとに通って学び、12歳の頃漢詩を作って藩主から表彰されている。13歳の時、高知に出て母親の姉の嫁ぎ先である儒学者岡本寧浦(ねいほ)の塾で儒学の勉強に励んだ。寧浦が、急死後、19歳の時、江戸へ遊学し、翌年上士の口添えにより、ようやく幕府の学校の教授安積艮斎(あさか ごんさい)の私塾に入ることができた。しかし、1年後、父親が庄屋とのトラブルで重傷を負ったとの知らせで、急遽帰国。彌太郎は、奉行所へ庄屋を訴えるが、取り上げてもらえなかったため、奉行所の壁に落書きをして7か月間、獄につながれた。出牢後は居村追放となり、22歳の時、寺子屋を開き生計を立てた。その後、吉田東洋の私塾、少林塾(鶴田塾とも言う)の門下生となった。24歳の時、吉田東洋の命により外国事情を調査するため長崎に派遣されたが、成果が上がらず無断で帰国。解任された。26歳の時、郷士株回復、27歳で結婚、30歳長男久彌誕生。32歳、後藤象二郎の命で2回目の長崎へ赴任、主任となり手腕を発揮した。2年後大阪藩邸で土佐商会の責任者となり八面六臂の活躍をした。
庭
主屋の前にある庭には、彌太郎が少年の頃、日本地図を石で作庭したと言われている。
主屋(内部は写真撮影禁止)
主屋は建坪30坪で、9畳の茶の間がある。奥の4畳半で彌太郎、弟の彌之助(2代目社長)、彌太郎長男の久彌(3代目社長)が生まれている。彌之助長男の小彌太(4代目社長)は東京で生まれている。
昭和55年に主屋の大改修がおこなわれ、屋根の素材を藁から茅に変えている。
彌之助は、彌太郎強い希望のもと、後に東大の教授になる重野安繹(やすつぐ)の私塾で勉強した後、アメリカに留学している。久彌は、彌之助の言葉に従い、ペンシルバニア大学に留学、小彌太は、イギリスのケンブリッジ大学に入学している。グローバルな視野に立つよう、海外で勉強する岩崎家の教育方針があったように思える。
彌太郎が明治3年大阪藩邸にいたころ、九十九商会が設立され、廃藩置県後は、彌太郎が九十九商会の事業を継承した。三菱の始まりは海運業だった。
船には、岩崎家の家紋(重ね三階菱)と山内家の家紋(三つ葉柏)から発想し、菱を三つの三方菱にした三菱の原点と言える旗を掲げた。そして明治5年に三ツ川商会、6年に三菱商会と名前が変わっていき、三菱商会の時、現在のスリーダイヤのマークとなった。7年に三菱商会の本拠を東京に移した。
台湾で起きた征台の役や西南の役で政府より軍事輸送を頼まれ、東洋一の海運会社となった。この頃に、三菱蒸気船会社、郵便汽船三菱と名前を変えた。懇意にしていた大久保利通暗殺や大隈重信失脚で流れが変わり、海運業は厳しい競争にさらされる中、明治18年に胃がんで彌太郎が亡くなった。
一方で、明治12年東京海上保険、13年三菱為替店・横浜正金銀行、14年明治生命保険と会社を興していった。そして18年船の過当競争を脱却するため、合併する話がまとまり、日本郵船会社ができた。2代目彌之助の時代は、造船業や鉄鋼業などに力を入れ、事業の多角化を図った。3代目久彌の時代は、各事業単位で経営するようになり、組織経営の形ができた。太平洋戦争終了後いったん財閥解体の憂き目にあったが、昭和27年以降に今の形となった。
生家横の広場には、岩崎彌太郎の銅像がある。その土台には彌太郎・三菱に関する16枚のパネルがある。少年時代土佐藩主から表彰された漢詩、生まれた年に出現したハレー彗星、戦艦武蔵、丸の内、長崎の風景、ゼロ戦、グラバー邸などが描かれている。
安芸市観光ボランティアガイドの会
高知市から車、列車で東へ1時間。高知県東部の中心都市。市街地からすぐアクセスできる、海、川、山などの自然を遊び尽くす。 岩崎彌太郎の生まれた家や、武家屋敷の街並み「土居廓中」を巡り、悠久の歴史を感じる。 個性派ぞろいの熟練ガイドが、魅力に溢れる街、安芸をご案内致します。
- 団体窓口
- 安芸市役所 商工観光水産課
- 所在地
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- 電話番号
- 0887-35-1011
ツアープラン情報
- ツアー名
- 岩崎彌太郎生家・銅像コース
- 料金
- ・個人
18才以上 1,000円/人
中学生以上 300円/人
小学生以下 無料
・団体
バス1台 3,000円 - 開催日時
- 9:00〜17:00
定休日なし(荒天時は不可) - ツアー時間
- 40分
- 予約受付
- 7 日前まで
- お問い合わせ
-
安芸市役所 商工観光水産課
- TEL
- 0887-35-1011
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