世界文化遺産コース(天草の﨑津集落)

九州本土とは天草五橋と呼ばれる5つの橋で結ばれています。一年中楽しむことのできるイルカウォッチング、南蛮文化やキリシタンの歴史を伝える施設などがあり、自然と文化に育まれた島です。﨑津集落は天草市河浦町に位置し、禁教下に仏教、神道、キリスト教と共存しながら信仰を続けた集落として評価され「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の1つとして世界文化遺産に認定されました。本渡周辺には、「島原・天草一揆」「天草四郎」に関する歴史の舞台が数多くあります。ぜひ、地元のガイドとともに、一緒に天草を周ってみませんか。

概略説明

﨑津集落は、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連資産」12の構成資産の一つで、対象になった理由は、﨑津教会ではなく、潜伏キリシタンの暮らしや伝統文化を中心とした歴史で、いまも生きている稼働遺産だそうだ。﨑津は漁村で、仏教・神道と助け合い、共存して生きてきた集落のため、250年という長い期間潜伏を達成できたとのこと。

今富地区

集合場所の﨑津ガイダンスセンターを出て、すぐわたる橋から山方面(海と逆側)を見ると、潜伏キリシタンの里の一つであった今富地区がある。聖水組み場や弓取りの墓など潜伏キリシタンの重要な場所だったが、1800年初めに起きた「天草崩れ」という事件で、取り締まりがあった地区でもあるそうだ。

﨑津港

﨑津港は、自然や生活、文化に根ざした香りのある地域として、かおり風景百選に選ばれたとともに、海の持つ重要な役割を再認識するために作られた渚百選にも選定されている。

旧網元岩下家『よらんかな』(復原)

明治25年に建築された建物で、4軒の網元のうちの一つ。﨑津では庭付きの家は珍しい。山と海が迫り、敷地が狭いため、海に張り出した構造物を作り、船をつないだり、作業をしたりするために利用した。これをカケと言い、材料はモウソウダケやシュロの木を使って作られたとのこと。この家にも設けられている。

キリスト教の伝来について

戦国時代ころ、天草五人衆といわれる志岐、天草、大矢野、上津浦、栖本氏で、天草諸島を割拠していた。最初にキリスト教の宣教師が訪れたのは、苓北町辺りを地盤にしていた志岐氏のところで、当時の領主は、南蛮貿易をもくろみ、洗礼を受けたが、遠浅の海だった港では大きな南蛮船が入ることができず、訪れなくなったため、のちにキリシタンを迫害するようになったとのこと。続いてキリスト教が伝わったのは、﨑津にほど近い河浦で、南蛮船は入れたそうだ。このあたりの領主は天草氏で、同じように洗礼を受け、積極的に貿易を行い、宣教師に布教活動を認めていった。布教活動を行うに際しては、人は平等であること、死んだら天国に行けるという教えが、漁民たちに響き、あっという間に広まったそうだ。宣教師の中に、アルメイダという医師の人がいて、当時の不衛生な生活環境で、病人も多かったが、面倒を見てあげたり、船の事故によるけがを治してあげたりと、医者に診てもらうことがなかなかできない住民が多い中で、アルメイダのことを神様に思えたとしても、不思議ではないように感じる。南蛮貿易では、この当時普及した鉄砲を始め、いろいろなものが入ってきたとのこと。その一つにメスキータ神父が持ってきたイチジクがあり、天草地方では「南蛮柿」と呼んでいる。

﨑津諏訪神社

﨑津諏訪神社は、島原・天草一揆の10年後の1647年に建てられた。﨑津は、島原・天草一揆に参加しなかった。また、﨑津は天草の中では大きな漁村で、ほとんどの人が漁業をおこない、乗り合いの船で魚を獲っていたため、共存共栄の意識が高く、密告者には多額の賞金が出ていたが、密告はなく、神社にもお参りしながらも「あんめんりうす」(アーメン・デウス)と、お祈りを唱えていたそうだ。

天草崩れ

1803年に、隣の今富村で、12月になると牛が殺されたといううわさがあり、代官所がおかしいと思い、役人が調べたら、降誕祭が近づくと、牛を殺してお供えしていたことがわかった。1805年に、大江・﨑津・今富・高浜の4か村の住民10669人に対して取り調べてみると、5205人が心得違いの者と判明し、特に﨑津が一番割合が高く、集落の72%の人が潜伏キリシタンだった。まず、キリスト教信仰の異仏を、﨑津諏訪神社に出させたが、水を張るとマリア様が浮かんでくるというアワビの貝殻・古銭・鏡など、漁村特有のものが出てきた。天草諸島は、島原藩・松平家の管轄の幕府直轄地の天領だったが、あまりにも人数が多そうで、再び一揆が起きたり、逃亡されると年貢の取立てができなくなることから、罰されることはなかった。どこのだれが何を持っていたのかなど、その時の事柄の記載が、すべて古文書として残っているとのこと。この古文書の事実があったことが、世界文化遺産の登録に結びついたそうだ。

﨑津諏訪神社

通常は1月に満開予定のヒマラヤ桜が今年は暖かいため、訪れた時期は11月下旬だが満開だった。1647年にできた﨑津諏訪神社が実存していて、1805年に起きた天草崩れに関する古文書の記述から、﨑津諏訪神社がその舞台だった事実がはっきりしていたことも、世界文化遺産の登録において、重要なところとのこと。

参拝し、下へ降りる時に通る鳥居越しに見える教会の尖頭が、インスタ映えスポットだそうだ。

﨑津教会

現在のキリスト教信者は、﨑津集落500人の中で、1/4くらいだそうだ。1927年に着任したハルブ神父の時、﨑津諏訪神社近くにあった教会を新しくするため、集落の中で圧倒的に広かった元庄屋役宅跡に、1934年建設した。庄屋はキリスト教の取り締まりをする立場だったこと、江戸時代絵踏みをしていた場所などの理由により、当初は抵抗があったそうだが、最終的には売却された。当時のお金で、土地代11500円・建築費9500円だったそうだ。計画では総鉄筋コンクリート造りの予定だったが、予算が不足し、建物の2/3は木造となったり、地域の人たちの手伝いにより、建てられたとのこと。教会の高さは、21mで、正面壁隅2か所の小塔は、より天に近づくためのものとのこと。玄関上のステンドグラスでできた丸い窓は、円形バラ窓と言って、天国からの柔らかい光が入るように作られている。壁にあるマークは、三位一体を表していて、父である神・子イエス・聖霊は、一つの神が三つの姿となって現れたものであるという考え方だそうだ。

教会の隣には、保育園があり、フランス人のハルブ神父は、子供たちにフランスのシャンソンを教えていたそうだ。

天草宝島観光協会

九州本土とは天草五橋と呼ばれる5つの橋で結ばれています。一年中楽しむことのできるイルカウォッチング、南蛮文化やキリシタンの歴史を伝える施設などがあり、自然と文化に育まれた島です。﨑津集落は天草市河浦町に位置し、禁教下に仏教、神道、キリスト教と共存しながら信仰を続けた集落として評価され「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の1つとして世界文化遺産に認定されました。本渡周辺には、「島原・天草一揆」「天草四郎」に関する歴史の舞台が数多くあります。ぜひ、地元のガイドとともに、一緒に天草を周ってみませんか。

所在地
〒863-0023 熊本県天草市中央新町15-7 天草宝島観光協会内
電話番号
0969-22-2243

ツアープラン情報

ツアー名
世界文化遺産コース(天草の﨑津集落)
料金
基本料
一律2,000円+ガイド1時間当たり1,000円(1名)
開催日時
9:00〜17:00
ツアー時間
60~180分
(昼食をはさむ場合は、ご用意をお願いします。)
予約受付
7 日前まで
お問い合わせ
天草宝島観光協会
TEL
0969-22-2243
定休日
年末年始
営業時間
9:00〜17:00
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