龍馬が見上げた長崎の空

長崎の観光地といえば、グラバー園や眼鏡橋、大浦天主堂や平和公園などを思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、小さな路地を入ったところ、曲がりくねった石畳の坂道を上りきったところにこそ、長崎の本当の魅力は眠っています。長崎の良さを味わうのは、まちを歩くのが一番なのです。「さるく」とは、まちをぶらぶら歩くという意味の長崎弁。まち歩き観光「長崎さるく」では、長崎名物・ガイド付きまち歩きツアーをご用意しています。さらに、進化を続ける「長崎さるく」の楽しさは、まち歩きだけではありません。長崎ならではの歴史や文化、歳時記を味わっていただく「まち体験」こそが「長崎さるく」の醍醐味です。ぜひまちなかに残る建物や橋、そしてそこで過ごした先人たちに思いを馳せながら、長崎のまちをさるいてください。たとえ歩くのが苦手な方でも、きっと長崎の魅力が感じられる「さるく」が見つかるはずです。

出島~風頭山まで

長崎市では、おすすめスポットをガイドさんが案内する企画「長崎さるく」をおこなっていて、年間の定番30コースと季節・フリープランなどがある。そんな中から今回は、「龍馬が見上げた長崎の空」コースに行くことにした。出島の前にある表門橋前で待ち合わせて、そこで記念写真を撮り、風頭山(かざがしらやま)に向けてバスで移動する。

30分ほど移動の時間があり、その間に長崎についての話しをいくつかしていただいた。

  • 1570年に外国船が入って来て、その後大変繁栄し続けたので、長崎の人は遊び人が多く、お金を大事にしないと言われているとのこと。
  • 出島は、1634年から3年間で埋め立てられて出来たとのこと。
  • 100万ドルの夜景を楽しむことができる旅館「矢太樓」は、昭和天皇が泊まられたとのこと。
  • 長崎は、坂ばっかりで平地がないため昔、米は天草から熊本・島原経由で長崎へ運び込まれたとのこと。

風頭山~小川旗店

標高150mほどの風頭山に着くと、これから歩くコースのほとんどが下り坂となるそうで、途中見える長崎の町を眼下に見ながら楽しく歩けそうだ。西に開けたところに出ると、三角の山の金毘羅山が見える。この麓の浦上に原爆が投下されたそうだ。爆弾の規模は広島のものより長崎の方が大きかったが、山に囲まれているため、広島に比べて被害は若干少なかったとのこと。

小川ハタ店

従来の日本の凧は、正方形・長方形・やっこ凧だったが、オランダ船が出島に入港したときに、従者が屋根や橋の上から凧あげをしていて、ひし形でしっぽがない形で、糸を張って切りあいをしているところから、長崎に伝わったといわれているそうだ。凧のことをなぜハタと言うかというと、その凧がインドで上げられているもので、インド語でパタンと言い、そこからきているという説と、凧のデザインに船旗・信号旗・家紋・国旗などのようなものがあり、そこから取ったのではないかという説などいくつかあるとのこと。小川ハタ店は、自分の家で紙を染めてのりしろで貼っていって作り、長崎県知事指定の伝統工芸品では凧造りで唯一指定を受けていて、現在三代目だそうだ。

長崎のけんか凧(ハタ)は、ガラスの粉をまぶしざらざらしている糸を使って、凧(ハタ)本体を右へ行ったり左に行ったりと自由自在にあやつり、糸を切りあいすることで、大会がおこなわれる。切りあいは「よいよ~」という合図で始まり、勝負がつくと「よいや」の声が聞こえ、凧(ハタ)が切れてどこかへ飛んでいく。切られた凧(ハタ)の所有権はなくなり、だれがとってもいい(早い者勝ち)と、奪い合いが始まる。専門に凧(ハタ)を取りに行く人のことをヤダモン衆という。ヤダモンとは、10~15mある竹竿の先にカギを付けて取る道具のことで、畑の中も勝手に入っていくため、問題となり、1781年に、凧(ハタ)上げ禁止令が出た。現在は、春の風物詩として、4月第1日曜日に唐八景公園で1万人参加する大会が一番大きく、2週目に金比羅山の山頂でもおこなわれ、4月29日には、東京の多摩川で、長崎県人会の方々が楽しんでいるそうだ。

店内には、ほかにもいろいろなものが飾られている。五島列島であげられているものは、ぶんぶんぶんと振動でうなりを上げる凧で、音を出して邪気を払い、バラモンと呼ばれている。

  • 平戸の鬼洋蝶(おにようちょう)
  • 目の玉がぎょろっとしている壱岐のおんだこ
  • 龍踊(じゃおどり)を連想させる龍の連凧
  • 大きな鳥で、鳥のような上がり方が素晴らしいとフランスで賞を取った作品
  • 中国・韓国の凧
  • 東京六郷のとんび凧
  • 新潟白根の六角形のけんか凧

などなど、ほかにもたくさんの凧が展示されている。

吉永小百合さんをはじめ、多くの芸能人の方々が店に訪問されているとのこと。

また、オランダの国王が天皇の即位の礼に参加する前日に長崎に見え、プライベートで旗づくりの体験もされたり、三代目はドイツへ教えにも行ったそうだ。

風頭(かざがしら)公園 

風頭(山)の名前の由来は、東から風が来て、山の頭を吹いて下る所からきているとのこと。江戸時代末期に長崎港が自由貿易港となって出来た居留地の町並みが眼下に見え、大浦天主堂を望むことができる。明治天皇が軍艦4隻とともに、1872年長崎に来た時に、上野彦馬の弟子が撮った写真の記事を見せてもらった。坂本龍馬像方面へ下る途中に、ハート型の石を見つけ、石を触り、幸福を祈願した。

唐通事(中国語の通訳)・オランダ通事の墓

通訳の人は、生活の面倒まで見ていたそうで、1604年の明(中国)人馮六(ひょうろく)という人から始まったそうだ。墓は、全部で20数基あり、寺町の上でお寺の敷地になるとのこと。

上野彦馬の墓

机に片手をついた坂本龍馬の有名な写真を撮ったのが、上野彦馬で、写真術の始祖と言われているそうだ。上野家は肖像画の絵師の家柄で、父親の上野俊之丞は長崎奉行の御用時計師でもあったが、日本で最初にフランスのダゲールが発明したダゲレオタイプのカメラをオランダから輸入したと言われている。彦馬は1838年に生まれ、14歳の時に父が亡くなり、20歳の頃から写真にかかわり始め、商業写真家第一号として活躍したとのこと。彦馬が関わり、アメリカの金星の観測写真撮影をおこなった大浦の大平山は、星取山に改名されたそうだ。明治10年(1877)の西南の役では、報道カメラマンとして69枚の写真を撮ったとのこと。

坂本龍馬像

対岸には、三菱の造船所が見える。三菱のマークは、土佐山之内家と創業者の岩崎家の家紋をうまくデザインして作られ、大正3年(1914)6月に登録商標になったそうだ。全盛期には、従業員2万人が働いていたとのこと。 

坂本龍馬像は、平成元年(1989)に山崎和國さんが造られ、4.8mの高さがあり、長崎の港を見ているそうだ。袖が短いのは当時の流行で、腕が太く、ブーツは台座からはみ出しているのが特徴とのこと。寺町にある崇福寺に勝海舟と泊まった時には、「京の先は大阪に過ぎず、江戸の先は小田原に過ぎず、長崎の向こうは上海ですな」と語ったという逸話があるそうだ。また、開国を夢見ていた坂本龍馬は、陸奥陽之助に「長崎はわしの希望じゃ」と語っていたが、残念ながら36歳の若さで亡くなった。

龍馬通り

風頭公園を過ぎて下っていくと、龍馬通りの石碑が出てくる。まだまだ下りが続くので、ところどころから眼下を望む景色は心が和む。長崎は、すり鉢の底のような地形だったところを、海を埋めてて町を作ってきた。居留地には教会が多く、オランダ坂は外国人のことをオランダさんと呼んだ所から名称がついたとのこと。

亀山焼

1807年にできた窯で、当初はオランダ人向けに水瓶を作っていたが、オランダ船の出入りが少なくなったため、波佐見焼や長与焼の陶工を呼び寄せ、1814年に天草の陶石を使い、磁器を作り始めたそうだ。しかし1865年には閉窯となり、亀山焼窯跡の石碑の横の小高い山には登り窯があったとのこと。

方形の鳥居

江戸時代に長崎奉行所内の稲荷社の鳥居として作られたものを、明治時代に移築されたそうだ。 

若宮稲荷神社

慶応元年(1865)に亀山社中が創設され、近くにあった料亭「藤屋」にたびたび訪れていたので、坂本龍馬は若宮稲荷神社を参拝していたのではないかと言われているそうだ。この神社は、楠木正成の守護神であり、坂本龍馬も正成を崇拝していて、風頭公園の展望台にある坂本龍馬像の原型が飾られている。

10mの竹を2本持って、白装束を着た二人の若者が登って芸をする竹ン芸が有名で、毎年10月14,15日に奉納され、明治30年代から例祭踊となっているそうだ。

龍馬通りの風景

地域の人々が、レリーフを飾りおもてなしをしてあった。マンホールの真ん中には、長崎の市章の星マークがあり、鎖国が解けて自由になったとき、長崎・神戸・新潟・横浜・函館の5つの自由貿易港の一つになったことを表しているそうだ。

龍馬のぶーつ像

龍馬通りには、いくつかの仕掛けがあるが、その仕掛けの一つがこのぶーつ像だ。ブーツを履き眼下に見える町並みに向かって指さす姿は、龍馬が船を操縦しながら外国に向かっている姿を体現しているかのようだ。

亀山社中跡

坂の上になぜ亀山社中を作ったかというと、何かあった時に、時間稼ぎができるためだそうだ。老朽化した建物を当時の建物に限りなく近い形に改修・復元し、「長崎市亀山社中記念館」として平成21年(2009)8月にオープンしたとのこと。

~終着点

亀山社中跡を過ぎて、坂本龍馬に関係のある人の紹介看板を見ながら、下の寺町まで坂を降りていく。

  1. 中島信行(土佐藩士、海援隊、初代衆議院議長など)
  2. 長岡謙吉(土佐藩士、海援隊、明治政府)
  3. 沢村惣之丞(土佐藩士、海援隊、切腹)
  4. 陸奥宗光(紀州藩士、海援隊、大臣など)
  5. 近藤長次郎(土佐藩士、亀山社中、切腹)

長崎観光コンベンション協会 長崎さるく

長崎の観光地といえば、グラバー園や眼鏡橋、大浦天主堂や平和公園などを思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、小さな路地を入ったところ、曲がりくねった石畳の坂道を上りきったところにこそ、長崎の本当の魅力は眠っています。長崎の良さを味わうのは、まちを歩くのが一番なのです。「さるく」とは、まちをぶらぶら歩くという意味の長崎弁。まち歩き観光「長崎さるく」では、長崎名物・ガイド付きまち歩きツアーをご用意しています。さらに、進化を続ける「長崎さるく」の楽しさは、まち歩きだけではありません。長崎ならではの歴史や文化、歳時記を味わっていただく「まち体験」こそが「長崎さるく」の醍醐味です。ぜひまちなかに残る建物や橋、そしてそこで過ごした先人たちに思いを馳せながら、長崎のまちをさるいてください。たとえ歩くのが苦手な方でも、きっと長崎の魅力が感じられる「さるく」が見つかるはずです。

所在地
〒850-0862 長崎県長崎市出島町1-1 出島ワーフ2階 長崎観光コンベンション協会内 長崎さるく受付
電話番号
095-811-0369

ツアープラン情報

ツアー名
龍馬が見上げた長崎の空
料金
大人2,000円
小学生1,000円
開催日時
9:00〜17:30
(12/29~1/4を除く)
ツアー時間
150分
予約受付
5 日前まで
お問い合わせ
長崎観光コンベンション協会 長崎さるく
TEL
095-811-0369
定休日
12/29〜1/4
営業時間
9:00〜17:30
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