町内に点在している明治の建物や、 武家屋敷、 蔵作りの商店街等、 親切と笑顔をモットーに丁寧にご案内させて頂きます。
覚乗寺高台院霊屋
登米(とよま)には、保呂羽城と寺地城があった。鎌倉時代から400年の永きにわたり葛西氏が城主だった。江戸時代初頭から伊達家の領地となり、家臣白石宗直が配された。のちに伊達姓を賜り、登米伊達氏となった。
登米(とよま)伊達家四代宗倫(むねとも)(仙台二代藩主伊達忠宗の五男)の廟所(びょうしょ)で、宗倫は寛文10年(1670年)31歳で死去した。霊屋(おたまや)は、寛文12(1672)年に建立され、屋根を昭和30年代に修復した以外は当時のままだ。
伝統芸能伝承館「森舞台」
登米能(とよまのう)を伝承する施設として、平成8(1996)年にできた能舞台で、隈研吾氏の設計による。地元産材が多く使われ、舞台の柱はヒバ・屋根は登米町特産の玄昌石の天然スレート葺きになる。床下には、音響効果として瓶が配置してある。舞台正面の松の絵は、日本画家の千住博氏が描いている。周囲の景観と融合した自然にマッチした造りで、新緑と紅葉の季節は特に見事だ。
能は室町時代初期に猿楽と田楽をミックスさせて誕生したもので、以降の武家社会で庇護奨励され、現在に継承されている。
年1回登米薪能(たきぎのう)の舞台がここでおこなわれる。朝ドラ「おかえりモネ」では、この舞台で夏木マリが踊った。
資料室には、地元の屋根葺き職人が彫った能面が飾られている。能面に角があるのはすべて女性になるそうだ。
玄昌石の館
警察資料館横にある玄昌石の館に寄る。床材は玄昌石を使用していて、1枚1枚模様が異なる。
玄昌石の面にハンマーを当てると、縦に薄く割れるのが特徴で、2億3千万年前の火山活動でできた石だ。(黒色硬質粘板岩)
警察資料館
明治22(1889)年竣工した建物で、警察署として昭和43(1968)年まで使用されていた。2億年前にできたと言われる石巻市稲井地区で産出される稲井石が基礎に使われていて、建物は強固に造られている。
敷地内には火の見櫓があるが、当時警察署内に消防部門があった。昭和23(1948)年に独立した。
取調室
江戸時代の奉行所のお白州のような造りで、外部からのプライバシーが守られてはいるが、取調官が一段高い位置に座り、目線の格差が犯人扱いしている。
留置場
左写真はもともとあった留置場を復元したもの。右写真は本部警察署から移設されたもので、刑務所のようにしっかり作られている。
2階には、警察官の服や絵で描かれた違犯条例の絵が展示されている。明治時代初頭は読み書きができない人が大半だったため、絵で犯罪を描いて知らしめた。
署長室
登米警察署初代署長から現在の署長までの写真や氏名が展示紹介されている。
武家屋敷通り
家老の屋敷があった通りで、右の写真の門は、お城の一番古い裏門(からめて門)を移設したもので、もともとは茅葺き屋根だった。
春蘭亭
1604年に移り住んだ鈴木家住宅で、現在の建物は江戸中期から後期に建てられたと言われている。
門をくぐると、左に塀があり、塀にもう一つ門がある。塀・門の中には主の部屋があり、門をくぐれるのは、主と同格か上客のみになる。
町内に点在する武家屋敷は個人所有で、内部を見ることができない。唯一お休み処として開放されていて、登米伊達家の武家屋敷の構造を知ることができる。
奥の勝手口から入ると土間がある。奥まで見通せる造りになっていて、一番手前には囲炉裏がある。
囲炉裏のある部屋の柱には、宮城県北と岩手県南地域しか見られないカマ神様がかかっている。台所の神様で、火除けとして新築の時に大工さんが木で彫ったり、左官屋さんが粘土で造ったりする。
登米懐古館(展示室の写真撮影禁止)
伝統芸能伝承館「森舞台」と同様、隈研吾氏設計で令和元年に建てられた。館内は、登米伊達家ゆかりの鎧や兜、刀剣、絵画などが展示されている。
登米懐古館は、旧登米町名誉町民の渡辺政人氏寄贈により、昭和36年に寺池城三の丸跡に建てられたのが最初になる。
館内には、1675年に始まったと言われる町内ごとに山車を作って町を練り歩く登米秋祭りで、その年の大賞を取ったものが館内に展示されている。山車は毎年壊して作り変えるそうだ。
館内からは、有名な庭師さん(イギリスの王立植物園の日本庭園を担当した山口陽介氏)が設計した素晴らしい庭を望むことができる。
水沢県庁記念館
幕末、全国に302あった大中小名藩が、廃藩置県により統廃合がおこなわれた。当初登米(とよま)に県庁が置かれた折、登米をとめと読んだことで、「とよま」の他に「とめ」という呼称が誕生してしまった。登米県は宮城県北部と岩手県南部にまたがり、途中水沢県・一関県と県名が変わり、明治9年に現在の県境が確定した。
当時の事務所
役所の人は座って応対するが、訪れた人より目線の位置が高くなるように設計されていた。
登米市高倉勝子美術館「桜小路」(展示コーナー写真撮影禁止)
登米町出身で高校教員を経て日本画家になった。あまり描いた絵を売らなかった方で、亡くなったあとに建物や作品を寄付した。
奥の細道一宿の地
松尾芭蕉は江戸を立って43日目、石巻から平泉に向かう途中、登米に一泊している。「おくのほそ道」の文中に、「・・、戸伊摩(といま)といふ所に一宿して、平泉に至る」とある。
教育資料館
明治21(1888)年に「登米高等尋常小学校」として建てられた建物で、昭和56(1981)年国の重要文化財に指定されている。
コの字型の素木(しらき)造りで、正面校舎の中央に白ペンキ塗装のバルコニー式の玄関が突き出している。廊下に壁がなく、手すりを筋交いのようなX字の模様にして補強している。
六方と呼ばれる下駄箱が置いてあるスペースの天井は、三角形を組み合わせて造られたトラス工法で日本では小屋組みという。校舎を設計監督した山添喜三郎は、明治6(1873)年開催のウィーン万博で日本館の建設に携わり、万博開催中は西洋建築を視察して帰国した。紡績工場建築を中心に設計に携わったあと、宮城県技師となり、この学校の建築に携わった。材料吟味に厳しく、当時業者から反感も買ったが、結果として堅牢で優美な校舎が完成し、今でも残っている。
校舎の中央に校長室があり、その2階のバルコニーから戦前まで校長が前庭に子供たちを整列させて、朝礼や訓辞をおこなった。
とよま観光案内人倶楽部
明治時代に建てられた洋風建築などが点在しており、6 施設の共通券などがあります。お客様のお時間に合わせてご案内する施設を選びながら、登米(とよま)の町を巡ります。
- 団体窓口
- 株式会社とよま振興公社
- 所在地
- 〒987-0702 宮城県登米市登米町寺池桜小路2-1 観光物産センター「遠山之里」内
- 電話番号
- 0220-52-5566
ツアープラン情報
- ツアー名
- みやぎの明治村コース
- 料金
- ガイド1名につき3,000円(税込)
※別途、6施設共通観覧料(1,000円/人)が必要となります
- 開催日時
- 8:30〜17:00
- ツアー時間
- 約120分(お客様の希望時間に対応します)
- 予約受付
- 3 日前まで
- お問い合わせ
-
株式会社とよま振興公社
- TEL
- 0220-52-5566
- 定休日
- 12月31日・1月1日
- 営業時間
- 8:30〜17:00