街並みとことんコース

「街並みとことんコース」は、出雲崎の歴史を深く知りたい人向けのガイドツアーです。街並みの史跡を詳しくご覧になりたい方におすすめです。

良寛記念館

記念館に入る門は、新津(現新潟市秋葉区)で油田を掘削し、大正から昭和初期にかけて日本一の石油王と言われた中野邸から寄付された。

五合庵

良寛が岡山の円通寺で修行したのち全国を巡ったあと、越後に戻って13年間過ごした国上寺五合庵を模した建物。良寛展が東京で開かれたときに作られた家で、終了後にここに寄付された。

出雲崎の郷土史家で良寛研究家だった佐藤吉太郎碑がある。この記念館をはじめ、良寛堂・芭蕉園など、出雲崎のところどころにある歴史に関係するものの多くは、この人のおかげで史跡として残った。

良寛記念館は、近代建築の巨匠谷口吉郎博士の設計で、良寛の生家橘屋ゆかりの虎岸ヶ丘に建設された。

記念館を訪れた時は、特別展が開催されていた。記念館が所蔵しているものではなく、個人が所有している良寛に関係するものを中心に展示されていた。

良寛は、物に執着しない・相手の立場だけを考える心が豊かな素晴らしい人で、74才まで生きた。多くの歌や俳句を詠んでいる。

良寛と夕日の丘公園

上越新幹線が開通する時に、新潟県の景勝地を選定することになった。「にいがた景勝100選」1位になった風景がこの丘から見る風景で、遠くには佐渡まで望むことができる。きれいな夕陽が見える日は特に素晴らしいそうだ。眼下には、出雲崎の町並みが見える。

公園内には、良寛の像・景勝1位の碑・山頭火が訪れた時に詠んだ歌の碑などがある。

歴史や五郎兵衛

江戸時代、出雲崎は天領地で、佐渡金山の金の荷揚げ地となっていて、すごく栄えた。

北国街道沿いにある料亭をやっていた町家で、明治時代の建物になる。

入り口近くの土間の横下には雪室があり、雪を溜め氷にして、魚や野菜を保存していた。

家の中の造りは、入って右手に通し土間、左手手前から店・茶の間・寝間が1列に並ぶ伝統的な妻入りの町屋づくりになっている。床の間は、京都方向が上座になる。

海に近いが地下水が豊富なため、多くの家に内井戸があった。

内蔵

海近くに密集した家が並び強風がよく吹くため、火災対策用として内蔵が造られた。

一番奥は海側の部屋になり、眺めがいい大広間になっていて、宴席が設けられるような造りになっている。

その部屋の手前には、階段を降りてそのまま海に出られるように、舟を収納するスペースが造ってある。

良寛堂

良寛堂は、良寛の生家橘屋の屋敷跡に大正11(1922)年に建てられている。良寛研究家の佐藤吉太郎が企画し、画家で良寛の書の研究家だった安田靫彦(ゆきひこ)氏が設計した。佐渡を背景に日本海に浮かぶ浮御(うきみ)堂の構想によるものだ。

良寛は名主の長男として生まれ、18才まで生家で過ごしている。

佐渡を見て座っている良寛像の台座には、「たらちねの はゝがかたみと あさゆうに 佐渡のしまへを うちみつかも」と歌が刻まれている。

良寛堂内には、「いにしへに かはらぬものは ありそみと むかひにみゆる さどのしまなり」と円満な字で書かれた良寛直筆の歌が刻まれている。

芭蕉園

芭蕉園の海側の向かいに、大崎屋という旅館があった。そこに元禄2年7月4日新潟から海側を歩いて松尾芭蕉が泊まった。佐渡にはいろいろな偉人が島流しにあっていることを想い、「荒海や 佐渡によこたふ 天河(あまのがわ)」と出雲崎で詠んだ。

その句を直江津で発表したため、この句は当初直江津で詠まれたことになっていた。しかし良寛研究家の佐藤吉太郎氏は出雲崎で詠んだ句と考え、芭蕉故郷の三重まで行って証明した。

出雲崎来訪者リスト

佐渡の島流しになった日蓮上人や上杉謙信、十返舎一九、堀部安兵衛、吉田松陰などが出雲崎を訪れている。吉田松陰は佐渡に渡ろうとしたが、時化のため、13日間出雲崎に泊まっている。

北国街道「妻入り会館」

町屋を紹介し、観光客のお休み処として建てられた。

座敷では、繭玉や天神様やつるし雛などのさまざまな季節の飾りの展示がおこなわれている。

紙風船の町

大正8年(1919)から出雲崎は紙ふうせんが作り続けられていて、紙風船の町しても知られている。

海が荒れる冬場の漁業に変わる仕事として、また漁師の妻の手仕事として、貴重な収入源となっていた。

蛇崩れの丘(見送りの丘)

見学した日が暑かったため、車内から説明を受けた。

地すべりが多いので、蛇崩れの丘と呼ばれているところが出雲崎の町はずれにある。良寛が22才の時、家族に見送られながら岡山にある円通寺の国仙和尚と出雲崎を後にした場所で、母との最後の別れとなった。良寛出郷の碑がある。

獄門跡

丘から町に向かう途中に獄門跡がある。名主は処刑されるときに立ち会わなければならなったため、名主見習いをしていた良寛は何度か獄門を立ち会った。また、名主は村民の要望(文句)を代官所に伝える役目もあったが、良寛はうまく伝えることができないなど、名主の仕事が性に合わないと感じていた。

綱取式石油井戸C-2号

古代から油が発見されていた出雲崎では、手で掘った井戸から石油を採取していた。明治時代に入り、重りを地面にぶつけて掘削して石油層を見つけて、石油を採取する機械が導入されると、一気に採取量が増えた。

丸で囲んでいる写真の機械は、明治30年から昭和60年まで使用されていた。

石油記念公園(モニュメント)

公園のある尼瀬地区は、手で掘れば石油が出ていた。隣の石井村(現出雲崎町)に住んでいた内藤久寛がそれを見て、事業としてやろうとしたが、土地を貸さないとなったため、機械を使って海を掘り、石油層を見つけ、大量に石油を産出した。(海底油田)これが日本石油の始まりで、出雲崎は近代石油産業発祥の地となる。

北国街道

北国街道は、佐渡で採れた金を江戸に運ぶために整備された街道になる。

孝婦ゆりの碑

隣の和島村出身で、出稼ぎ大工・作太夫の妻となったゆりさんは、とてもいい奥さんでご主人の留守を守り、病弱な姑をよく支えた。

寛保2(1742)年、将軍家(8代将軍吉宗の時代)からその行いが褒められた。

ゆりさんが亡くなった毎年9月1日午前中に、毎年法要が営まれる。同じ9月1日夕方には獄門跡で、獄門にあった人の供養祭が開かれる。

出雲崎おけさ

平安時代末期の源平合戦の時、奥州領主の佐藤元春の子・継信と忠信が源義経もとで戦ったが、亡くなった。母親の音羽御前は悲しみ、亡くなった場所を見ようと旅に出て、新潟経由で出雲崎にたどりついた。まだ先が長いので、ここにあった釈迦堂で尼さんになり、二人を弔っていた。そんな時に、立派になくなったという話を聞き、喜んで袈裟を着たまま歌い踊ったのが、おけさの始まりと言われている。江戸時代、出雲崎に北前船が寄港していた時に、天草のハイヤ節と調和されたのが、現在の出雲崎おけさになる。

光照寺

光照寺は坂の上にあり、良寛が剃髪した曹洞宗のお寺になる。18才~22才の間、修行していて、岡山の円通寺の国仙和尚がここに来て、良寛と出会った。

音羽御前住居跡

地崩れが何度もあり、音羽御前が修行した釈迦堂の場所が不明となった。音羽御前の袈裟と九穴の貝が保存されている念相寺に、音羽御前住居跡の碑がある。 

金銀御用小路

佐渡で掘った金銀は原石のまま、出雲崎で運ばれて来る。夕方出雲崎に着いて、1箱ずつ中を確かめて戻し、寝ずの番をする。1日置いた後、旅立つ前に再度箱の中を確認する。厳重な作業がおこなわれる。そして、馬に乗せて隣村まで運び、次の村で馬を変えて次の村まで運ぶことが繰り返されて江戸まで運ばれる。北国街道・中山道を経由して、江戸まで10日以上かかった。

堀部安兵衛住宅跡

堀部安兵衛は新潟県新発田市出身で、父親がへまをやり、江戸に向かうことになった。途中3か月間出雲崎の長屋で滞在していた間、子どもたちに手習いを教えていた。酒が好きで大きな盃を持って歩いていた逸話があり、その盃がこの奥の養泉寺に伝わっている。

棟方志功が訪れた家

棟方志功が大正か昭和の時代に、出雲崎に来たいと紹介されて、訪れた呉服屋の家になる。棟方志功がよく描くふくよかな女性に奥様が似ていたせいか、気に入っていたそうだ。

ガラス越しに見ると、町家づくりの特徴のくぐり戸やしとみ戸があることがわかる。

出雲崎寄港地の町家

お茶を扱っていた大店で、築100年以上経っている。明治13年の新聞紙が家の中から出てきていたことで分かるそうだ。

出雲崎は、北前船寄港地として日本遺産に登録されている。そのことを知ってもらうための施設になる。

出雲崎の町家の特徴の一つに、雁木がある。雁木とは、斜めに突き出した形の雪除けなどの屋根のことで、道側に戸を設ける。その戸を開けると、土間があり、その奥に実際の家のしとみ戸がある。

1階の天井が低い(約2m)ことも特徴の一つになる。

出雲崎は風が強いため、梁と柱は通常より太い造りになっている。

町屋の特徴の3部屋続きの真ん中の部屋は、明かり取りを兼ねて吹き抜けになっている。

出雲崎観光ガイド「出雲崎ふるさと語りべ」

良寛生誕地であり、芭蕉をはじめ多くの文人墨客が往来した出雲崎町。由緒ある神社仏閣も数多くある点在する風情溢れる街道を「観光ボランティアガイド出雲崎ふるさと語りべ」がご案内します。

団体窓口
出雲崎町観光協会
所在地
〒949-4392 新潟県三島郡出雲崎町川西140 出雲崎町役場産業観光課内
電話番号
0258-78-2291

ツアープラン情報

ツアー名
街並みとことんコース
料金
ガイド1名 3,500円(20名まで)
※その他に、2コースあります。
① お好みコース(1時間~)
ガイド1名につき1,500円~
お好みなので、行きたいところ・時間を指定できます。
②町並み散策コース(2時間)
ガイド1名につき2,500円
町並みとことんコースのうち、芭蕉園・良寛堂以外を巡ります。
開催日時
ご相談ください。
ツアー時間
約3時間
予約受付
7 日前まで
お問い合わせ
出雲崎町観光協会
TEL
0258-78-2291
定休日
土・日・祝日・年末年始
営業時間
8:30〜17:15
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