
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産の一つ原城跡を巡るルート。有馬キリシタン遺産記念館で概要を勉強した後、原城跡現地へ。建物がないので、ぜひガイドの説明を聞いて、当時の思いを理解してください。
有馬キリシタン遺産記念館 展示室1
有馬一族の居城日野江城跡を中心としたキリスト教の繁栄を紹介。時代の流れやキリシタンの繁栄をもたらした有馬晴信について、そして日野江城跡の階段遺構についての説明がなされている。キリシタン弾圧の前に、神社仏閣破壊により仏塔で階段が造られた話は大変インパクトがあった。
有馬キリシタン遺産記念館 展示室2
島原の乱を中心にした展示コーナー。年表を使って詳しく説明してくださった。当時の状況をミニチュアでいくつか説明してあった。発掘した時の状況の展示や十字架や砲弾などの展示があり、当時の凄惨さを少し垣間見ることができたような気がした。
原城跡1 大手門跡~三の丸跡
有馬キリシタン遺産記念館から原城跡に移動する。温泉施設「真砂」に車を止め、いざ原城跡へ。原城の入り口だった大手門跡、一揆の際、数千人の農民が守りを固めたといわれる三の丸跡は小高い丘にあり、自然の要塞のように感じた。その一角には、戦死した敵陣大将の板倉重昌の墓もある。その後、大将になった松平信綱は、兵糧攻めを行い、最終的に原城を攻略したとのこと。
原城跡2 二の丸跡
小高い三の丸跡を過ぎると、さらに坂道を登りながら広い二の丸跡を進んでいく。海が見えてきて、見晴らしがさらに良くなる。天草の人たちと談合したとされる湯島も見え、距離が近いことがわかる。三の丸以上の農民(数千人)がここで幕府軍と対峙したとのこと。
原城跡3 本丸正門跡
本丸正門跡に到着。原城跡の説明用銘板があり、ちょっとした広場になっている。今は石垣がむき出しになっていて、城があった雰囲気も感じられるが、もともとは石垣は壊されていた状態で、そこから発掘調査を行い、骨や遺物がたくさん出てきたそうだ。遺産記念館にあった発掘調査の場所はこのあたりとのこと。発掘の状況や遺物を、写真を使って詳しく説明頂いた。正門があったと示す楚石もある。1760年代、骨を供養して建てられたホネカミ地蔵もここにある。
原城跡4 武者だまり~雁木
本丸正門を超えるとすぐに左に曲がり、兵士が集まったという武者だまりがある。本丸周辺はきちっと石垣が組まれていた。本丸正門の発掘から出てきたたくさん石が一か所に固められている場所も見えた。さらに曲がったところに階段(雁木)があり、敵を迎え撃てるようになっている。
原城跡5 本丸門跡~本丸天草四郎家跡
坂を上ると、平地が見えてきて、いよいよ本丸に。本丸門の礎石が最初に現れる。海と逆の山側を見ると、茶色の山が1991年の噴火でできた平成新山で、その右に見えるのは普賢岳。本丸門を上って、左手のちょっとした空き地が天草四郎の家があった所とされているとのこと。
原城跡6 本丸櫓台(天守台)跡
本丸の下に、竪穴建物群跡があり、兵士の小屋跡だそうです。失火を恐れ、炉やカマド跡がなかったそうです。海に面した一番いい場所に、天守台がある。目に前には湯島があり、その左には天草が見える。
原城跡7 天草四郎像~池尻口門跡
天草四郎像は、長崎の平和祈念像を造られた北村西望氏が、造られたそうです。天草四郎の墓と言われる碑があるが、民家にあったものを移したとのこと。裏口にあたる池尻口門から出て、本丸正門に戻る。

南島原ガイドの会 有馬の郷
キリスト教が日本に入ってきてからキリスト教繁栄の時代そしてキリスト教弾圧から島原の乱について、そして江戸時代の潜伏キリシタンについて、有馬キリシタン遺産記念館に展示されています。また、原城跡では、大手門跡~三の丸跡~二の丸跡~本丸正門跡~本丸門跡~天守台跡迄当時の状況を見ることができます。ぜひ、ガイドの話しを聞きながら当時の状況に触れてください。
- 所在地
- 〒859-2412 長崎県南島原市南有馬町乙1395 南島原ひまわり観光協会
- 電話番号
- 0957-65-6333
ツアープラン情報
- ツアー名
- 世界遺産コース(有馬キリシタン記念館+原城跡)
- 料金
- 1~10名 ガイド1名2,000円(2時間まで)、2時間超える場合、1コマ追加
11~20名 ガイド1名3,000円(2時間まで)
21~40名 ガイド2名6,000円(2時間まで)
有馬キリシタン遺産記念館入場料別途(一般300円・高校生200円・小中学生100円) - 開催日時
- 9:00〜17:00
- ツアー時間
- 60〜120分
- 予約受付
- 1 日前まで
- お問い合わせ
-
南島原ガイドの会 有馬の郷
- TEL
- 0957-65-6333
- 営業時間
- 9:00〜17:00