四万十川満喫コース

四万十川の風景によく登場する「佐田の沈下橋」をはじめ、田園地帯の用水路沿いで“ことこと”回る水車「安並水車の里」などを散策します。

帯同していただいたガイドさん

お名前
広井 健二 さん
ガイド歴
5年
趣味・特技
歴史、絵画、日曜大工、外国語、文芸、ランニング
一言PR
四万十市が世界に誇れるものは、四万十川、一條神社、幸徳秋水

洪水跡

平成17年9月6日台風14号により起きた洪水で起きた水の高さを示す看板があり、10m近い高さとなった。

佐田沈下橋概略説明

佐田沈下橋は、沈下橋の中で一番長区、一番下流にある。長さ291.6mで、「にくいろ」と覚えると覚えやすい。橋の幅は4.2mだ。

橋を支える橋桁は丸くなっているのは、水の抵抗と渦の発生を抑える目的で、橋桁が青いのは魚が怖がらないようにするためだ。

四万十川について

四万十川の長さは196㎞あり、四国一番だけでなく西日本で一番の長さになる。山の隆起と低下を繰り返すことで曲がりくねった谷ができ、その中を流れて蛇行しているためで穿入(せんにゅう)蛇行というそうだ。日本全体では11番目で、流域面積は27番目とのこと。

ちなみに西日本で一番高い山は石鎚山(愛媛県)で、2番目は剣山(徳島県)で、2座とも日本百名山に選ばれている。

35,000ある川の中で四万十川は、水質が最も良好な川の一つとして選ばれている。

高知県には日本一が二つあり、一つは森林率83%で逆に言うと平野が少ない。もう一つは降雨量で、四国山脈の壁になっていること、台風銀座といわれているほど台風が毎年多いこと、海域に黒潮が流れていることの三つがそろっているためだ。

四万十川の名前の由来には、いくつかの説がある。

  • 寺田虎彦が唱えたアイヌ語のシ(とても)とマムタ(美しい)から
  • 上流部の支流四万川(しまがわ)と中流部の支流十川、あるいは上流部の四万川村と中流部の十川村の連称名前から
  • 木材を4万石の船で10回くらい運ぶほど豊かな山と川から
  • アイヌ語のシマト(がれき)の多いところ

もともと渡川(わたりがわ)が正式名称で、四万十川は通称だった。1983年に「日本最後の清流」という番組があり、全国区になり、1994年7月26日に正式名称となった。ダムがないため水量が増えると一気に水かさが増すため、暴れ川としても有名だ。 

橋近くの河原には、時期が来ると手長エビを取る筒が並んでいたが、いまでは貴重品となり、収穫量も減ったが、きゅうりとそうめんと一緒に食べるとおいしい。うなぎや全国の半分の収穫量で圧倒的に以前は日本一だった鮎、そして青のりなども獲れる。

佐田沈下橋

駐車場から橋を渡り、右に少し上がったところが佐田沈下橋一番のビュースポットとなる。2012年フジテレビ系列のテレビドラマ「遅咲きのヒマワリ」でも、よく出てきた景色とのこと。

入田堤防

長さ800m・幅40mで3.3haある堤防で、高麗芝を敷きソメイヨシノをはじめ桜の木410本が植えられ、遊歩道を整備されているが、堤防に災害か何かあった場合に使うための土を公園化してある。

堺事件

1868年1月にあった鳥羽・伏見の戦いの後、新政府軍として参加していた土佐藩兵は堺の町の警護に当たっていた。一方フランス海軍は幕府から許可をもらい。測量をするために堺を訪れていた。幕府も新政府もある状態だったことが災いして、1868年2月15日に武力衝突が起き、フランス人水兵11人殺された。フランス公使ロッシュが怒り、わずか事件発生8日後に関わった藩兵の中から20名が選ばれ、大阪堺の妙国寺で切腹することとなった。11名が切腹したところで待ったがかかり、残り9名は5月21日に高知の入田地区に流されることとなった。罪人としてではなく、大切扱われていた。8月18日に地区対抗の相撲大会があった時、入田地区は負けていたが、川谷銀太郎が助けに入り、形勢が逆転し入田地区は勝った。その後川谷銀次郎は病気になり、9月5日に亡くなった。9月3日に明治政府が樹立して恩赦が発令し、土佐藩士たちは罪人から解放された。川谷銀太郎は亡くなったことを不憫に思い、入田地区の人々が中心になり慰霊祭が毎年行われている。

2018年には150年の法要が堺の妙国寺で行われ、それに参加したガイドの会の会長さんがそこで川谷銀太郎を題材にした紙芝居を見て感動し、入田地区での150年慰霊祭に参加してもらい、双方の交流を深めたということを聞いた。会長さんは高校2年生の時に地元の歴史を知るために入田地区を訪れ、堺事件のことを研究したという思い入れもあり、いろいろな意味で感動的な話しだった。

四万十川河川敷 入田ヤナギ林菜の花

2006~2009年にかけ鮎の産卵に適した河原に再生するため、12haに渡り樹木の伐採・下草刈りを実施し、川の流れを改良したところ、日照が良くなり、菜の花が自然に発芽・開花するようになったと言われている。1000万本の菜の花があるといわれている。

水車

自然に石があったところに逆アーチ型で長さ160m・幅11m の堰を後川(うしろがわ)に造り、そこから水を引っ張って造られた用水は総延長7,7㎞になる。野中乾山が1650年から5年かけて造り、四万十川に合流しているところまでつながっている。堰は低区造られているので、水かさを増すと沈み、災害にも強い。

用水路から土手を超えて田に水を流すための細工として水車が作られた。明治時代は50基あったが、現在は13基あり、観光用となっている。

四万十市観光ガイド LOILOIしまんと

四万十川で有名な四万十市ですが、公家がつくったまち“土佐の小京都”であることはご存じでしょうか? 歴史あふれるまちのことを、もっと皆様に知っていただきたいと思い、四万十市では観光ガイド~LOILOI(ロイロイ)しまんと~をはじめました。 ガイドと一緒にまちをぶらぶら歩いて(=ロイロイ:土佐の方言)みましょう。 解説を聞きながら散策すると、普通に歩くだけでは気づかない、歴史の跡を見つけられるはずです。四万十市を大好きなガイドが、心を込めてご案内いたします。

団体窓口
(一社)四万十市観光協会
所在地
〒787-0014 高知県四万十市駅前町8-3
電話番号
0880-35-4171

ツアープラン情報

ツアー名
四万十川満喫コース
料金
1人 1,000~1,500円
※中学生以下は無料、高校生は半額
開催日時
9:00〜17:00
(応相談)
予約受付
前日17時まで
※ガイドの手配が間に合わずお断りする場合があります。
お問い合わせ
(一社)四万十市観光協会
TEL
0880-35-4171
定休日
なし
営業時間
8:30〜17:30
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