上野公園ダイジェストコース

趣き豊かな歴史の風情をたっぷりと残す上野公園。園内には四季折々の景観と共に、上野城、俳聖殿、忍者屋敷など名所・旧跡が数多くあり、ガイドとともに巡ります。

伊賀笹(イガザサ)

伊賀笹は葉っぱ裏側のツルツルが特徴で、昭和6年に地元の教師が発見し、「日本植物学の父」と言われる牧野富太郎氏が新種として認定された笹になる。

多羅葉(たらよう)

ハガキの元になった多羅葉は、葉の裏につまようじのようなとがったもので書くと、時間経過とともに字が浮きでてくる。忍者の伝言用にも使われたと言われている。現在でも、実際に切手を貼って送ると届く。

無患子(むくろじ)

「子が患わない」と書く無患子の実は、羽子板の羽根に使われている。羽根つきは、子供の無病息災を願う神事だった。実を潰したら、石鹸として利用することができる。東南アジアでは今も使われている。

芭蕉翁記念館(展示コーナー撮影禁止)

展示コーナーは、年4回内容が変わる。訪れた時は、芭蕉の俳句と地元の水墨画家穐月(あきづき)明による絵画をあわせて鑑賞する催し「俳句が先か、絵が先か」がおこなわれていた。

伊賀流忍者博物館

手裏剣打ち体験(6枚300円)

約2mの距離から、的に向けて本物の手裏剣を板に刺す。力の入れ方が難しく、最初は刺さらなかったが、コツを教えてもらうと刺さるようになり、刺さると意外にうれしいものだった。

忍者屋敷

一見するとごく普通の農家に、どんでん返しや隠し階段・仕掛け戸などがある「仕掛けからくり」を見学した。忍者の動きの素早さにびっくりした。忍者は、戦いに勝つことが目的ではなく、自分が集めてきた情報などを守るため、しっかり生き延びることが重要だとのこと。戦うのではなく、逃げるがキーワード。敵の気配を感じたら、隠れたりして姿を消し、自分の身を守る。

忍者体験館

忍者が各地で情報を収集するために、僧侶や商人などの格好をして、身を隠す仮の姿を七方出(しちほうで)と言う。

忍者が使ういろいろな道具の展示と農作業をする時に、道具に仕掛けて敵に対応できる道具などが紹介されている。

また、体験コーナーでは、中をのぞいたり、臭いをかいだり、触って、何かを当てる箱がある。

忍者伝承館

忍者伝承館として使われている建物は江戸時代、伊賀上野城二の丸にあった米や塩などを入れていた永蔵の一部で、現在この場所に移築されている。

館内には、忍者がどんな生活をしていたかがわかるジオラマがある。館(やかた)内で修行をおこなう。館の周りの田んぼには所々に穴があり、緊急時にはこの穴を通って館に戻ることができる仕掛けがあった。

中国からいろいろな技術を持って日本に来た渡来人が、新たに修験道や訓練技術を習得して忍者が出来上がった。伊賀では、役の行者(えんのぎょうじゃ)が忍者の祖先ではないかと言われていて、役の行者の木造や銅像がたくさんある。忍者同士の伝達方法には、米や藁、特殊文字などをいろいろな方法がある。

日本海側の加賀(石川)・敦賀から、多賀・甲賀・伊賀を通って太平洋の雑賀(和歌山)まで「賀」のつく忍者だけの秘密の道(賀の道)があり、情報や鉄砲・火薬などが運ばれたと言われている。

伊賀忍者

忍者集団は、自分たちの住んでいる地域を民主政治のように、独自に自主運営していた。伊賀では、12人の評定衆が代議員となり、いろいろな取り決めをしていた。領地を広げるようとはせず、敵が攻めてきたら領地を守るため、一致団結して敵を押しのけた。

忍者集団の評判を聞き、各地の大名から援軍を頼まれ、10名、20名と貸し出し、活躍をした。伊賀には、猿飛佐助のモデルになったのではないかという下柘植の木猿・小猿など有名な忍者がいた。

忍術実演ショー

30年以上の歴史がある「伊賀忍者特殊軍団 阿修羅」は、真剣や鎌など本物の武器を使い、迫真の演技をおこなっている集団だ。

見学した日は忍者屋敷内でおこなわれるショーはなかったが、ガイドさんが練習していたメンバーに取材をしているとお願いをして、特別に技の一部を披露いただいた。

忍者が登場し、場と身を清めた(護身法)後、「臨、兵(ひょう)、闘、者、皆(かい)、陣、列、在、前」と九字法の呪文を唱えながら印を結び、精神を統一させると、一気に張り詰めた空気となる。

大鎌を使って、人間の首ぐらいの固さの巻藁をすぱっと切った。すごい迫力だった。あとで大鎌を持たせてもらったが、想像以上に重かった。本物の武器は重くできている。鎌は刀と違って、切れる場所が限られるので扱いが難しいそうだ。忍者がなぜ鎌を使うのか、得意なのかというと、ほとんどが農民だったためだ。

続いて手裏剣を板めがけて投げた。板深く刺さり、手裏剣を外すのに木槌を使うほどの威力だった。その後、手裏剣の2枚投げ、4枚投げを実演した。1枚投げる時は約2mの至近距離から投げ、枚数を重ねた手裏剣を投げるほど離れた距離から投げ、4枚投げの時には7~10mの距離だった。4枚の手裏剣は散らばり、的周辺をとらえ、殺傷させる確率が上がる。

仕込武器:1本の刀の鞘に、2本の刀が隠されている

俳聖殿

俳聖殿は、芭蕉の旅姿を模した建物になる。芭蕉生誕300年を記念して、地元の名士・川崎克氏の私財で、1942(昭和17)年に建てられた。建物の中には芭蕉さんの伊賀焼で作られた座像があるが、芭蕉が亡くなった日の10月12日の芭蕉祭の時に開門される。その時には俳句の表彰がおこなわれ、特選に入ると扉の上部に俳句が貼り出される。ガイドさんもチャレンジしていて、2度の入選を果たされている。

建物は、平成22(2010)年に国の重要有形文化財に指定されている。

伊賀上野城

高石垣

築城の名手・藤堂高虎が築いた高さ約30mある石垣は、大阪城と日本一・二の高さを競う。堀の水は、湧水のため涸れることはない。

平楽寺

伊賀上野城の位置には古く平清盛が建てたと言われる平楽寺の大伽藍があったと伝えられている。右写真の後ろに見える石垣は藤堂藩時代の石垣だが、平成20(2008)年の発掘調査で、石垣内側に古い石垣が現れ、藤堂高虎が来る前の筒井定次時代のものではないかと考えられている。

天正伊賀の乱

伊勢の北畠家に入った織田信長の次男・信雄(のぶかつ)が、天正6(1578)~7(1579)年に伊賀に攻め入ろうとして伊賀勢に押し返され、父織田信長の怒りをかった。その2年後の天正9(1581)年に、信長の命じた4、5万の軍勢が伊賀国に6方向から攻め込み、平楽寺を始め神社仏閣を焼き尽くした。伊賀勢は抵抗もむなしく敗走し、最終的に和睦となった。その翌年、織田信長は本能寺の変により自害した。

天守閣(別名:白鳳城)

関ケ原の合戦後、徳川家康は大坂の豊臣家方の包囲網の一角として、伊賀と彦根が重要拠点と考えた。そこで、伊賀・伊勢安濃津に徳川家康の信頼厚い藤堂高虎を、彦根に徳川四天王の一人井伊直政を据えた。高虎の5層の天守閣は建築途中で暴風のため倒壊した。その後、大坂の陣で豊臣方が滅んで徳川幕府が城造りを禁じたため、天守閣は再建されなかった。

現在の天守閣は、高虎の築いた天守台に昭和10(1935)年に地元選出の代議士・川崎克氏が私財を投じて復興した純木造天守である。

忍び井戸

小天守内(上の写真左の2層の建物)にある忍び井戸は、現在の深さ9mでわずかに水が湧いている。かつては15mの深さで三方向に横穴があり、秘密の抜け道であったと伝えられている。

天守閣内

伊賀焼

伊賀は、400万年前琵琶湖の底だった。底には粘土質の土があり、その土は信楽焼と同じ土になり、焼き物が盛んだ。伊賀焼は、ガラスが解けたビードロと灰釉(はいゆ)がかかった釉薬(ゆうやく)に特徴がある。

天守閣内には、「古伊賀」と呼ばれる筒井氏時代の「筒井伊賀」や藤堂氏時代の「藤堂伊賀」が展示され、また現在の陶芸家の作品も紹介されている。

藤堂高虎の兜

豊臣秀長に仕えていた藤堂高虎が豊臣秀吉から拝領した唐冠形兜(とうかんなりかぶと)に注目。左右の長い脇立が特徴。

高虎が藤堂玄蕃良重に与えたもので玄蕃家に伝えられていた。

松尾芭蕉の旅笠と文台

旅笠→芭蕉から旅笠を譲られた弟子で近江の明照寺(現・彦根市)の僧李由が笠塚の碑を建て笠のレプリカを作ったものを川崎克氏が入手した。

二見文台→芭蕉が弟子に送ったといわれる文台。天板の裏側に「うたがふな湖も花も浦の春」の句と夫婦岩が書かれている。

天井の大色紙

三階の天井は、折り上げ格天井(ごうてんじょう)の1m四方の各コマに大色紙46枚がはめられている。これらは天守閣を建てた川崎克氏が交流のあった政治家、文化人から送られたもので、横山大観・川合玉堂などの日本画家、尾崎行雄・近衛文麿など政治家や著名人の書画があたかも天井絵巻のように並んでいる。

伊賀伝統伝承館

伊賀の組みひもは、甲冑や刀の飾りに使われていた。色とりどりに染められた絹糸の1本1本が光に映え、交わりあって輝く美しさが特徴になる。

キーホルダーやブレスレットを40分ほどで組みひも作りの体験ができる。

だんじり会館

だんじり会館は、江戸時代の藤堂藩の永蔵(米蔵)をイメージした建物。「上野天神祭のダンジリ行事」は、毎年10月25日直近の週末3日間でおこなわれる。祭り行列の際、神が宿る祭壇の役をしている「しるし」の後ろ(尻)を「楼車」が巡行するところからだんじり(楼車)と呼ばれるようになった。9つの商人町が競ってだんじりを作り、うち3台が会館に展示されている。

2016(平成28)年にユネスコ無形文化遺産に「山・鉾・屋台行事」33件の一つとして登録されている。

3日目の日曜日におこなわれる神幸祭では、神輿行列を先頭に、鬼行列、9基のだんじりが続く。悪疫退散と五穀豊穣を祈念する鬼行列では、大御幣や悪鬼そして伊賀流忍者の元祖といわれる役行者(えんのぎょうじゃ)が登場し、ひょろつき鬼が続き、最後に鬼たちを従えた鎮西八郎為朝が現れる。ひょろつき鬼は、道いっぱいにひょろつきながら、ユーモラスなしぐさで大人を笑わせ、子どもを泣かせる。

特産品販売コーナー

だんじりを見学した後は、特産品販売コーナーを通って出口にでる。忍者の携帯食と言われる「かたやき」や伊賀上野は水がいいので酒がおいしい。ほかに、醤油、漬物・和菓子などが置かれている。

カルチャーボランティアガイド「いがうえの語り部の会」

忍者や芭蕉など、観光スポットをただ訪れるだけではなく、文化やルーツの解説などを交えながら伊賀上野をご案内いたします。地元ならではの語り部の話を聞きながら、旅をいっそう楽しんでみませんか?

団体窓口
伊賀上野観光協会
所在地
〒518-0873 三重県伊賀市上野丸之内122-4 だんじり会館内
電話番号
090-9264-1360

ツアープラン情報

ツアー名
上野公園ダイジェストコース
料金
ガイド1名につき協力費1,000円
(各施設の拝観料は別途要)
※ ガイド1名につき、15名程度
※ 12時30分を含むお昼を挟んでのご案内は、昼食代1,000円をご負担いただきます。または昼食をご一緒させていただき、ガイドの昼食代金をご負担願います。
開催日時
8:30〜17:15
ツアー時間
2時間30分〜3時間
予約受付
10 日前まで
お問い合わせ
伊賀上野観光協会
TEL
090-9264-1360
定休日
12月29日〜1月1日
営業時間
8:30〜17:15
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