日置市観光案内

JR伊集院駅南口の観光案内所を起点に、日置市内の名所・旧跡やパワースポットなど、おもてなしの気持ちをこめてご案内いたします。
団体のお客様は、バスに乗って周遊の案内も受け付けております。
「伊作城跡と名所案内」
「吉利麓周辺散策」
「陶芸の里 美山散策」
「島津義弘公ゆかりの地」
その他ご相談ください。

伊作城跡・空堀

伊作城は鎌倉初期に築城したと伝えられていて、代々伊作家の居城として使われていた。南北750m・東西1050mで総面積50ha(50万㎡)で、一番高い所は標高73mと、南九州屈指の山城となっている。

山頂や斜面を平らにして造られた「曲輪」が27か所あり、各曲輪は「○○城」と呼ばれ、木造の建物(城)があった。虎口(曲輪への出入り口)や曲輪の周りには、土塁と呼ばれる土手があり、曲輪と曲輪の間には、深い谷と言ってもいいほどの大きな空堀で仕切られている。伊作城(いざくじょう)の本丸は、亀丸城という名前が付けられている。

本丸跡には「島津氏中興の祖」とたたえられる島津忠良やその孫義久、義弘等、戦国島津4兄弟と姉妹たちの誕生石もある。

伊作家は島津家の分家で、戦国時代初期(16世紀初頭)に当主だった島津忠良の時代に勢力を拡大し、1526年に、忠良の息子の貴久が島津本家の養子となったが、勢力争いが続き、1550年代に本拠を鹿児島内城に移し、ついに島津本家の当主になった。そして、島津貴久の子義久・義弘の時代に入り、薩摩大隅、日向を統一し、その後、九州をほぼ統一するまでになった。

空堀

堀の壁が垂直のようになっているのは、シラス台地の特徴を利用して崩れないようにまっすぐ切られている。10mを超える深さがあるが、造られてから年月が経ってるので、元々はもっと深かったと思われる。空堀は、城を守るための大きな溝で通路に使われることもあった。

大汝牟遅(おおなむち)神社

1538年に、伊作家10代島津忠良が、加世田を攻めるのにあたり見事成就したあかつきには、流鏑馬を毎年奉納すると戦勝祈願し勝利したことから始まった。流鏑馬の奉納行事は、毎年11月23日におこなわれる。

境内のイチョウの木やクスの木に願掛けするとご利益があるといわれ、門から拝殿を見て左手のイチョウの木は男性、右手の木は女性が、木に手を当て、願掛けすると元気になるといわれている。

拝殿脇にある御神木(樹齢約900年)の大クスの木は、木を3回撫でながら願い事を唱えると叶うといわれている。

千本楠

大汝牟遅神社の参道東側にあり、神秘的雰囲気が漂う十数本の巨楠群がある。推定樹齢900年ほどで、パワースポットとして人気が高い。

天昌寺跡(永吉島津家菩提寺)

関が原合戦で、西軍だった島津義弘を逃すため、敵中突破のしんがりを務め、非業の死を遂げた島津豊久は、佐土原城主(現宮崎市佐土原町)だった。しかし西軍が負けたため、佐土原を追われた豊久の遺臣たちは、永吉(日置市吹上町)に移り住み、その後永吉島津家を再興した。天昌寺跡には、豊久の墓をはじめ、歴代の永吉島津氏の墓が並ぶ。

豊久の父佐土原城主島津家久は、兄に島津義久・義弘がいて、島津貴久(忠良の子)の4男になる。

よしとし軍議場

軍議場は、吉利麓の御仮屋跡に2021年3月にオープンした。江戸時代末期に活躍した薩摩藩家老小松帯刀は、吉利の領主だった。

軍議場は、鎧・兜が40領弱あり、男性・女性・子供も着付け体験することができる。また、甲冑を着て、昔の雰囲気残る麓周辺を散策できる。 

甲冑は、織田信長、徳川家康モデル等、重さ12~13kgあるが、動きやすく作ってあるそうだ。ふるさと納税の資金を活用して軍議場は建てられ、会議室としても使うことが出来て、軍議のような雰囲気も味わえる。

外にある広場では、チャンバラ合戦などのイベントもおこなう予定がある。

江口蓬莱

シラス台地でできた地形で、中国の山水画に出てくる仙人が住むといわれる蓬莱山の風景に似ていることから、地域の名前江口に蓬莱をつけて、「江口蓬莱」とよばれている。また、江口浜はマリンスポーツのメッカで、サーファーがよく訪れ、夕日がとてもきれいだ。

美山(薩摩焼)

美山は、鹿児島県内最大の薩摩焼産地で、400年以上の伝統を守りながら、10軒以上の窯元が街の至る所に点在している。豊臣秀吉時代の文禄・慶長の役の後、朝鮮から連れ帰った多数の陶工たちが移り住み開業した地だ。

もともとは焼き物の里だったが、今は窯元を中心に、いろいろな店ができてきて、モノづくりの里に変化してきている。

昔は白薩摩と黒薩摩が主流だったが、現在はいろんな種類の薩摩焼がある。

沈壽官窯

世界的に有名な窯元で、入り口は武家門になっている。薩摩藩が陶工たちをとても優遇した。現在は15代で、初代は1598年に日本に来ている。

正面には、日本と韓国の国旗が掲げられている。

御仮屋跡

江戸時代、美山は島津家が参勤交代の際に休まれる最初の宿泊地になっていて、御仮屋は宿泊できる建物だった。

美山地区の一角にあった建物を移築し、現在は、沈壽官窯の応接室として利用されている。

収蔵庫

歴代の作品や図案、古文書等が残っていて、見ごたえがあり、有料で中を見学できるようになっている。

「収蔵庫」の看板の文字は、司馬遼太郎氏が美山の陶工たちをモデルに書き上げた「故郷忘じがたく候」という本の取材に来たことが縁で、「収蔵庫」という名をつけてもらった。

ショップ

沈壽官窯で作った商品を買うことができる。

登り窯

約150年前からメンテナンスされながら利用しており、現在も使われている登り窯だ。秋の窯元祭り(11月初め)の時等に今は使用されている。

江戸時代窯元は、藩の管轄だったが、明治時代に入り、民間になった。12代沈壽官は、数々の万博に出品し、高い評価を得て海外販路を拡大していった。特に透かし彫り、浮彫の技法の発明は、高く評価された。

沈壽官窯は、現在でも「沈壽官」の名前を継承している。

白薩摩

江戸時代、白薩摩は献上品として、同じ物を10個つくり、一番いいものを藩主に贈り、二番目によいものをこの窯元で控えとして保管し、三番目以降のものは同じものが残らないようにすべて割られた。(右写真は、その残骸だそうだ)

工房

沈壽官窯では、作業はすべて分業制で、江戸時代から続くやり方で、技術が流出されるのを防ぐためだと言われている。

工房は、窓越しに自由に見学できる。

ガラス工房「ウェルハンズ」

美山地区には、ガラス工房もある。ガラス球の中に、レース柄のカラフルな模様が入ったものがあり、目を引き付けられる。昨年の秋のクラフトウィークでは、「あまびえ」の作品が、すごい人気だったとガイドさんに教えてもらった。イタリアのベネチアンガラスの技法で作られていて、1個作るのに、25日間もかかるそうだ。お店の方に作り方について説明を聞いたが、繊細さと根気強さと技術の高さでできていることだけはわかった。あとは、現地に来て、実際にすばらしい商品を見てもらうしか伝えることができない。

徳重神社

島津義弘の菩提寺の妙円寺は、明治2年の廃仏毀釈で廃寺となり明治4年島津義弘公を祭神として本堂跡に神社が建立された。妙円寺は神社から約200m離れたところに、明治13年に再興されていて、島津義弘の位牌がおさめられている。

関が原合戦で敵中突破して帰ってきた時の苦闘をしのぶ「妙円寺詣り」の行事が、鹿児島の三大行事となっている。江戸時代、旧暦の9月14日(関が原合戦前夜)に、鹿児島城下の武士たちは、仕事が終わってから、いつからともなく参拝したのが始まりで、今でも10月第4日曜日とその前日の土曜日に、鹿児島から20kmの距離(往復40km)を甲冑をまとい、参拝する(歩く)行事がおこなわれている。

島津義弘が亡くなった後、殉死者13名の地蔵塔が建てられている。殉死した場所はまちまちで、亡くなった当時は殉死禁止で殉死した家は処罰されたが、亡くなってから13年後に、藩主が憐れんで、義弘公の菩提寺である妙円寺の境内に祀られた。

番外編

戦国時代の島津4兄弟(義久・義弘・歳久・家久を)モチーフにした日置市産はちみつを販売していて人気を得ている。

日置市観光ガイド協会

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団体窓口
(一社)日置市観光協会
所在地
〒899-2502 鹿児島県日置市伊集院町徳重285番地12 日置市観光案内所内
電話番号
099-248-7380

ツアープラン情報

ツアー名
日置市観光案内
料金
・個人(1~4名)
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・1団体様
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開催日時
9:00〜17:00
ツアー時間
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お問い合わせ
(一社)日置市観光協会
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