
建物や水路など、古い街並みが今も残る美しい小京都・小城を案内する地元ガイド。長年この場所で過ごしてきた方ならではのエピソードも交えながら、歴史を解説しつつゆったり街を歩いていきます。小城公園や須賀神社などの名所を巡るコースも様々で、季節によって移り変わる道端の花や景色を楽しみながら散策。最後は小城名物の小城羊羹を堪能します。小城の暮らしの様子が感じられるガイドツアーです。
概略説明〜前編
本日の見学コースは、いくつかのコースのダイジェスト版になるとのこと。
- 小城公園コース
- えびす巡り
- 須賀神社と羊かん資料館コース
小城公園
概要
小城公園北の駐車場から小城高等学校あたりにかけて、江戸時代の小城藩邸があったところだとのこと。小城藩は、小城鍋島家として鍋島(佐賀)藩の鹿島・蓮池・小城の3つの支藩の一つだったが、7万3千石あり、鍋島支藩の中で石高は一番多かった。小城藩初代元茂公は佐賀鍋島藩の長男だったが、本藩を継げなかった理由があったそうだ。右の写真の門は正門跡として建てられたものだが、その前にある石橋は江戸時代のもので、藩邸に関するもので現在唯一残っているそうだ。
駐車場前に小高い丘があり、現在の小城公園の一部だが、当時はこの小高い丘を利用して庭にした。その小高い丘が前方後円墳だったことは、昭和47年に発掘調査をしてわかったそうだ。
小城市にある清水川が名水百選に選ばれていて、そこから沢山の水路が引かれ、町内に水が通っているとのこと。また、小城公園には、ソメイヨシノの桜の木が3千本あり、さくら名所100選になっているのと同時に、歴史公園百選にも選ばれている。
佐賀の乱 甲戌烈士(こうじゅつれっし)慰霊碑
江藤新平を中心に起こした佐賀の乱のときに、殉死した 旧小城藩士13名の慰霊碑がある。亀の上に乗っているところから、亀の碑と呼ばれているそうだ。戦死者の碑には、亀に乗っていることはよくあるとのこと。あなたのことは忘れないという意味があるそうだ。江藤新平は小城市に4年間住んで、その後佐賀藩塾弘道館で学んだとのこと。
前方後円墳
標高36m、全長50mで、古墳の形や出土したものから4世紀後半に造られたものだとわかり、佐賀県内では古いものだそうだ。茶筌(ちゃせん)塚古墳と名付けられているのは、千利休の弟子織田有楽斎が始めた流派「有楽流」で使用された茶筌が治められている茶筌塚があるところから名づけられたのだろうか。
後西院御製碑
小城鍋島家2代藩主鍋島直能(なおよし)公が、後西天皇(退位後)と18人の公家がここの桜を詠んだ和歌をいただいた句の碑を、小城公園の一番高い所に飾るということで、明治8年に佐賀県で最初に公園として認可されたそうだ。天皇以下公家の方々はこちらに実際に来たわけでなく、想像で歌を詠んだとのこと。
前方後円墳の一番高い所から東方面を望むと、江戸時代には手前に武家屋敷があり、奥に町人の町があったそうだ。小城公園の北側は西小路と北小路と呼び、上級武士が住んでいた。今でもその地名が残っているとのこと。
鐘つき堂跡
鐘つき堂には、大きな鐘があり、朝昼晩と町人の町から二人位毎回出て鐘をついて、四方八方に鳴り響いていたそうだ。残念ながら、太平洋戦争の時に、供出したのでお堂はなくなったが、痕跡として石垣だけが残っている。
烏森稲荷神社
京都の伏見稲荷のように、鳥居が連なっているので写真スポットの一つだそうだ。前方後円墳になっている丘から降りて来たが、下から来る参道もあるとのこと。商売・芸事・家内安全・五穀豊穣などにご利益があり、お堂には天井に絵があり、龍の頭が見えた。
春雨の碑
神社を南に進むと、芝生の広場が出てくる。ここには江戸時代別邸があり、その南には小城藩2代鍋島直能が作った自楽園という庭があったそうだ。広場の一角には、長崎の丸山で作られた端唄「春雨」を、小城藩士の柴田花守が作詞した縁で造られた春雨の碑がある。端唄とは、江戸後期から幕末にかけて江戸で流行した三味線音楽の一種とのこと。現在1年に一度、長崎検番(芸妓衆)のきれい所がきて踊るそうだ。
小城鍋島家の話しをいくつか聞く。初代鍋島元茂(もとしげ)公は徳川家光に仕え、剣術の達人で柳生宗矩から柳生新陰流の免許皆伝を許された。母親の身分が低かったため、佐賀本藩の藩主鍋島勝茂公の長男にもかかわらず、佐賀本藩を継げなかった。2代藩主直能(なおよし)公は、家光公に仕えていて、和歌が得意でその他にも23くらい免許を持っていたそうだ。奥様が水戸家から嫁いできていたため、3代藩主元武公は水戸光圀公と親しかった。また3代は、5代綱吉公に仕えていて、初代から3代目までは、文武両道だったとのこと。
ソフトテニス発祥の地
自楽園という庭があった跡地の一部には、テニス場がある。小城市はソフトテニス発祥の地で、今でも盛んに行われているそうだ。
蛍川
庭園の一角に、小川があり、水が暖かいためか、ゲンジボタルが4月29日位には出始めるそうだ。その後、上流の祇園川を上っていき、見事なほど蛍を見ることができるとのこと。
四角い犬槇(イヌマキ)
庭園の一角に、樹齢350年のクスノキがあり、正方形に手入れされていて、平面で36畳もあるそうだ。
恐竜の頭に見える犬槇(イヌマキ)
庭園横にある岡山神社の犬槇の中には、恐竜の頭に見える木があり、インスタ映えスポットになっているそう。
神様の木
こちらもクスノキで、神様がこの木を伝って降りてくるという言い伝えがあり、幹に耳を充てると何か聞こえてくるとのこと。パワースポットだと言われているそうだ。
岡山神社
小城鍋島家の殿様を祀った神社。
松鉄碑
初代鍋島元茂公が亡くなったときに殉死した 10人の碑。小城藩で5人、江戸で5人の合計10人。その後、殉死禁止令が出た。
えびす巡り
小城市で120体ほどあり、恵比寿巡りを行っている。最近発見したえびすさんが、須賀神社の駐車場の南にある天満宮の一角にあり、左足が悪く足を曲げている。えびすさんがかかえている宝珠を触りながら願い事をすると叶うという言い伝えがあるそうだ。
深川家住宅近くにあるえびすさんは、宝珠・鯛を抱え・釣竿を持ち・足を曲げていると、完璧なえびすさんとのこと。
須賀神社
深川家住宅
佐賀県遺産として登録されている江戸時代造り酒屋だったお宅。本日は休館のため、中には入れず。建物の作りを見るのが一番だが、蔵と庭もいいらしい。
須賀神社
須賀神社がある山一帯は、鍋島家が来る前の千葉氏の山城になっていたそうだ。上にある神社本殿の左側が崖になっているのは、敵が攻めにくくなっているとのこと。
太閤腰掛石
豊臣秀吉が、文禄・慶長の役の時に、名護屋城に向かうのに陸路で行ったという史実があるので、途中小城によって鳥居のそばにあった石に座ったといわれている。その時に、羊かんを献上したという話しもあるそうだ。
須賀神社
須賀神社に行くには、153段の階段を上る。50段ごとに、少し広くなっているので、2度小休止できるようになっている。神社まで登ると、眼下には、蛍が舞うという祇園川が見える。尾根道を東に進むと、展望台があり、佐賀平野から雲仙普賢岳や阿蘇の山々が見えるそうだ。山全体が、鎌倉・桃山・安土の時代、千葉氏の山城だったそうだ。
村岡羊かん
須賀神社に見学者を案内した時には、村岡羊かんでお茶のサービスをお願いしているそうだ。村岡羊かんは、明治時代の建物で、県の重要文化財に指定されているとのこと。小城市は羊かん屋が多く、村岡羊かんは市で一番大きく、昔は約30軒あったが、今は17軒ほどとのこと。店によって味が微妙に違うので、それぞれひいきにしている羊かん屋さんがあるそうだ。2階は資料館になっていて、携行品として羊かんを持たせていたため、軍御用達の看板があったり、羊かんづくりの昔の道具が展示されている。1階でお菓子と共においしい抹茶をいただいた。
後編はこちら

小城市観光ボランティアガイドの会
建物や水路など、古い街並みが今も残る美しい小京都・小城を案内する地元ガイド。長年この場所で過ごしてきた方ならではのエピソードも交えながら、歴史を解説しつつゆったり街を歩いていきます。小城公園や須賀神社などの名所を巡るコースも様々で、季節によって移り変わる道端の花や景色を楽しみながら散策。最後は小城名物の小城羊羹を堪能します。小城の暮らしの様子が感じられるガイドツアーです。
- 所在地
- 〒845-0001 佐賀県小城市小城町253-21 ゆめぷらっと小城1F(小城市観光協会)
- 電話番号
- 0952-72-7423
ツアープラン情報
- ツアー名
- 小城の風景見学ツアー〜前編
- 料金
- お問い合わせください
- 開催日時
- 8:30〜17:00
- ツアー時間
- お問い合わせください
- 予約受付
- 7 日前まで
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-
小城市観光ボランティアガイドの会
- TEL
- 0952-72-7423
- 定休日
- 土・日・祝日
- 営業時間
- 8:30〜17:00