佐賀城下「歴史民俗館めぐり」

旧古賀銀行をはじめ、7か所ある歴史民俗館は、旧長崎街道沿いにあり、館内の見学とともに、歴史的建造物が立ち並ぶ界隈を、ガイドのうんちくを聞きながら歩くツアーは、佐賀市の歴史を十分味わえます。それ以外にも、野中烏犀園を始め、江戸・明治時代から続くお店を回りながら、お店の人の話しを聞き、地域の人々との出会いも他にはない魅力です。そのほかのツアーも含めて、ディープな佐賀市の街歩きを一緒に楽しみませんか。

旧古賀銀行

第一声が、「永遠の39才の・・・」で始まり、途中でいくつかのダジャレを入れて、見学者を和ませながら、話しをされたガイドさんから、佐賀市は300年の歴史があり、見どころ満載とのこと。

最初に訪れたのは、72番目に登録され、明治18年にスタートし、一時期は九州の五大銀行の一つだったという、明治39年に建築された旧古賀銀行の本館を見学する。設計は、佐賀県唐津市出身の辰野金吾で、東京駅などを手掛けていて、外壁のレンガの継ぎ目である目地が、覆輪目地(ふくりんめじ)といって、ふくらんでいるのが特徴の一つだが、東京駅でも見られるそうだ。非常に手間がかかり、高度な左官技術とのこと。中に入ると、中央が吹き抜けになっていて、広がりを感じさせる空間で、中央は、コンサートが定期的に開かれるスペースになっている。奥には、当初からあるイギリス製のマントルピースがあり、雰囲気のいい喫茶コーナーになっている。建物は当初半分の大きさで、後に建て増しをした証しが床下にあり、展示されていて見ることができる。2階には、頭取室があり、応接用のいすは当時のもので、座ることができる。2階の吹き抜けから1階を見ると、内装の重厚さがよくわかる。展示コーナーでは、江戸時代に入って100年程度経過した時に、退廃を嘆き、藩に仕える心構えを説いた鍋島藩士山本常朝の言葉を、田代陣基(つらもと)が書き写したという「葉隠」を紹介していた。初めて聞いた言葉だったが、三島由紀夫が、戦争中からの愛読書として読んでいて、人生に影響を受けたことを聞いて、興味を持った。

長崎街道沿いを歩く1

佐賀市歴史民俗館は、7つの建物(旧古賀銀行・古賀家・旧三省銀行・旧牛島家・旧福田家・旧森永家・旧久富家)の総称になっていて、各建物を自由に見学できる。(私たちが訪れた時、旧福田家は改装中で見ることができなかった。)

旧馬場家

旧古賀銀行前の道は、旧長崎街道で、旧古賀銀行の前の家は、馬場家といって、藩医の家だったそうだ。

その東隣には、八坂神社があり、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が祀られている。北の入り口は珍しいらしい。南にあるお城の位置から見て、鬼門のためではないかといわれている。

旧中村家

道を挟んだ東隣には、古賀銀行の前身の両替商として、明治19年にスタートしている建物で、明治39年に、旧古賀銀行本店ができるまで使用され、その後は個人宅として使用。現在は、テナントとして、ヨガをする店舗が入っている。

旧森永家

江戸時代から煙草の製造・販売をおこなっていて、明治時代には、「富士の煙」という銘柄が評判よく、大隈重信公も愛用していたそうだ。明治37年に、煙草の製造・販売が専売制に変わったため、呉服商に変わったとのこと。現在は、紅茶専門店など3店のテナントが入っている。

旧牛島家

江戸時代に建てられているが、現在の場所に移築修復された建物。土地は奥行きがあり、このあたりの昔の商人の家は大体、道沿いに家があって、中に川をはさんで、家があり、道があるそうだ。川は、荷出し・荷受け用に使用していたとのこと。

旧三省銀行(さんしょうぎんこう)

米の取引が主だった銀行から金融取引となったそうで、昭和に入ってから病院になったとのこと。写真ではわかりにくいが、屋根が丸くなっているのは、泥棒除けではないかとのこと。窓の銅板は火事除けだそうだ。

長崎街道を歩く2

旧久富家

木造3階建てで、履物問屋を営んでいて、当時の看板は今も残っている。テナントとして、9店に貸し出されている。2階は、10㎡程度の仕切りになっていて、装飾やアトリエなど、家の雰囲気にマッチした店が多く、思わず覗いてみたくなる楽しさがある。

南蛮寺跡

94m×86mの敷地に、1608年~1640年まで教会があり、大きな敷地だった。取り壊された後に、長崎街道として整備されたり、家が建ったとのこと。

江頭郷土玩具店

織物工場だった建物で、ここにも覆輪目地があるが、旧古賀銀行と設計者は違うそうだ。現在は、日本全国の人形を自分の趣味で集められた物を展示していて、見てもらいたいという思いがあり、現地を案内しているとのこと。

南里邸

江戸時代の建物で、綿太物や輸入の雑貨を取り扱っていた。この家の裏にも川があり、船で荷物を運ぶために利用していたそうだ。棚路(たなじ)という石の階段があり、荷物の上げ降ろしをおこなっていたとのこと。店の前にある木の柵は、雨除けだそうだ。

野中烏犀園(うさいえん)

烏犀園は、中国で1000年前に処方された漢方薬で、日本で最初に自分で作って飲んだのが、徳川家康といわれ、各大名が作りなさいと許可を下ろしたので、昔は日本全国にあったが、現在はここ一軒のみだそうだ。へび・さそり・サイの角・トラの骨・きつねのきも・とりかぶと・蚕・解毒の役目があるといわれている天然の水銀など変わった原料を含めて58種類の薬が調合されていて、滋養強壮剤として飲まれている。昔の容器は、有田焼で作られていて、西南の役の時、西郷隆盛が去った後に、烏犀園の空容器がたくさん残っていたという逸話があるとのこと。野中烏犀園は、江戸時代初期創業で、約400年、現在は13代当主とのこと。建物も江戸時代のもので、入り口入ると、上げ戸があり、今も上げ下げしているそうだ。

仲良し恵比須

江戸時代(約250年前)に作られた石像で、大きな魚かごを抱えたえびす様と、小わきに鯛を抱えたえびす様が仲良く手をつないで座っているめずらしいえびす様。

池田醤油醸造店

明治時代から商売を始めて、110年ほどになる醤油醸造店で、当初は駅前にあったそうだ。

肥前通仙亭

佐賀市の地場産品交流会館の建物。佐賀は、お茶の発祥地で、高遊外売茶翁(こうゆうがいばいさおう)は煎茶を浸透させたお坊さんで、京都で通仙亭というお茶の店を開いたとのこと。

成就院橋(じょうじゅいんばし)

成就院橋にかかる川は、裏十軒川と言い、川幅が今の倍あり、船が入ってきていて、ちょうど旧牛島家の裏手の川になる。昔は、太鼓橋になっていて、ここを渡って北に進むと、町人街で、南側(お城側)は武士街だった。武士街側の手前の道を、馬責馬場(うませんばば)といい、にぎやかなところに近くにあり、えらい方が馬で来て、馬を待たせていたところという意味があったそうだ。その南の道を通小路といい、椎小路・・・と続き、大隈重信邸がある所まで、小路に、名前がついているとのこと。

旧古賀家

旧古賀銀行まで戻り、その東側にあるのが、旧古賀銀行の頭取を務めた古賀善平の住宅で、明治17年築とのこと。毎年2月~3月にかけて、「佐賀城下ひなまつり」がこのあたりで開催されていて、ひな人形の古いものと新しいものと飾られているそうだ。例年旧古賀邸には、鍋島小紋の柄でできた雛飾りが展示されている。現在休館中の旧福田家には、佐賀錦(織物の一種)のお雛様が飾られているとのこと。

旧古賀邸内は、お城にあったのではないかという板戸やふすま・組子細工の欄間など素晴らしい物が多くある。また、勝海舟の書を始め、著名人の書もたくさんあり、良く来ていた大隈重信が泊まっていた部屋を含めて畳の部屋が15あるそうだ。2階からの眺めも素晴らしく、明治時代にタイムスリップしたような雰囲気の風景だ。庭には、庭師さんが部屋を上がらずに裏庭に行けるような仕掛けがあるとのこと。

佐賀市観光ボランティア

旧古賀銀行をはじめ、7か所ある歴史民俗館は、旧長崎街道沿いにあり、館内の見学とともに、歴史的建造物が立ち並ぶ界隈を、ガイドのうんちくを聞きながら歩くツアーは、佐賀市の歴史を十分味わえます。それ以外にも、野中烏犀園を始め、江戸・明治時代から続くお店を回りながら、お店の人の話しを聞き、地域の人々との出会いも他にはない魅力です。そのほかのツアーも含めて、ディープな佐賀市の街歩きを一緒に楽しみませんか。

所在地
〒840-0801 佐賀県佐賀市駅前中央1丁目4-17 佐賀市観光協会旅行課内
電話番号
0952-37-7489

ツアープラン情報

ツアー名
佐賀城下「歴史民俗館めぐり」
料金
1グループ1,500 円
(10名様まで。10名毎に、1,500円追加)
最少催行人数2名から、有料施設・駐車場・傷害保険にかかる費用は、お客様負担です。
開催日時
平日9:00〜18:00
(土日祝休)
ツアー時間
90~120分(時間は、内容により変わります。)
予約受付
7 日前まで
お問い合わせ
佐賀市観光ボランティア
TEL
0952-37-7489
定休日
土日祝
営業時間
平日9:00〜18:00
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