鏝絵の見学

観光協会安心院支部では、ボランティアガイドが鏝絵見学や写真撮影希望の方に鏝絵の制作工程、歴史、特徴などのご案内をしています
中心街の約30ヶ所程度にある「鏝絵」の見学、仏教説話の地獄極楽を生前体験できる、ミステリアスな「地獄極楽」など、名所や旧跡もご案内しています。
また、巨石群のストーンサークルがなぞめく「京石」はペトログラフも発見されて話題となっています。
ペトログラフ=通常は岩絵と呼ばれる。また線刻(画・文字)と呼ばれたり、岩面彫刻、岩石線画、岩面陰刻と訳されることもある。

概略説明

鏝絵(こてえ)は、左官が壁を塗る鏝(こて)で絵を描いたもので、漆喰装飾の一技法です。漆喰は、貝殻と木炭を重ねて焼いた灰で作る。宇佐市安心院(あじむ)町には、鏝絵が約100個、見学できるのは約70ヶ所あるそうで、大分県でも安心院近辺に鏝絵が集中して作られたのは、長野鉄蔵、山上重太郎、佐藤本太郎などの腕のいい左官職人を輩出したことが第一の要因とのこと。また、安心院は日田や玖珠と中津、別府を結ぶ交通の要となっていたことから、各町村との経済交流が盛んで、比較的に裕福な家庭が多かったこともあるそうだ。 安心院の鏝絵の特徴は、ユーモラスな雰囲気を持ったものが多い。

鏝絵1(宇佐市安心院支所内 展示)

家が朽ちかけていた所にあった鏝絵で、明治時代に作られていて、「鏝絵をください」とガイドさんが何年もかけてお願いして、ようやくもらい受けることができたそうだ。鏝絵の回りを木や発泡スチロールでしっかり梱包して、2階の妻壁からはがして下に降ろす。作業は、大工さんに頼んでやってもらうが、鏝絵が普通より大きかったため、クレーンを使って引きはがすなど、普通の費用の3倍以上かかったそうだ。その後、展示場所にも苦労したが、安心院複合支所が新しくでき、展示してもらうことができた。

安心院に鏝絵ができたのは、明治に入ってからで、民家の母屋や蔵に鏝絵を作ることが多く、左官さんの技術やアイデアで作られていて、百年経っても色が変わらないのがすごい。

安心院複合支所~国道500号線~鏝絵通り入るまで

安心院高等学校の正門前

高校の正門前に飾られていて、移設された鏝絵で、雨戸の戸袋にあった鏝絵で、「下さい」と言ってもらった来たそうだ。松と鷹が描かれていて、松は不老長寿、鷹はお金が貯まるようにという願いが込められている。高校生に、安心院の歴史を感じてもらうため掲示されている。

鯛釣りえびす

明治時代の鏝絵で、魚を入れるカゴに入りきらないほど大きな鯛を釣ったことを表している。安心院複合支所に飾ってある鏝絵と同じ家でもらったもので、こちらは雨戸の戸袋にあったもの。えびす様は商売繁盛を願い、下の水は火事が起こらないようにと描かれているそうだ。

鶴と亀

明治43年時代製作の鏝絵で、夜はライトアップされている。ガイドさんが20年前見たときは鶴2匹だったのが、今は鶴と亀に変わったそうだ。自動車整備工場の社長の家にあったものだが、整備の技術を使って1匹の鶴を亀に書き換えたそうだ。鶴も亀も長生きという意味では、同じだ。

鏝絵通り

安心院の町中に入り、本町鏝絵通りと名付けられた通りを、歩いて鏝絵を見て回る。昔の鏝絵は、施主さんの家にいいことが起こるように、また悪いことが起こらないように、左官さんがお礼に描いたものだそうだ。漆喰は、貝殻と木炭を重ねて焼いた灰で作り、海藻で粘り気を出す。鏝絵が始まったのは、1800年代で、当初は筆で色を塗ったため、家の中で飾っていたが、漆喰の中に自然の色を混ぜて塗る練り込み法になってから外で飾るようになった。自然の色とは、ベンガラ(赤色)とか焼いた松のすす(黒・ねずみ色)や黄砂(土)を使った黄色などだ。古い鏝絵には、ナンバーが振られているが、道路から見えるものをカウントしていて、道路から見えないものや登録していない家は、カウントされていない。鏝(こて)の字を、ウナギと読む人がいるそうだ。確かに間違えやすい。

松と鷹

明治20年の製作されたもので、移設されて家の軒先にある。松の葉は、緑色が出ないため、青色で書かれている。

招き猫

昭和の初めに作られた物で、漆喰ではなく、セメントで作られている。セメントで作っても、鏝で作ったものは鏝絵だそうだ。別府の旅館にあったもので、対になっていたそうで、左手を上げている猫は県立博物館に展示されているので、相当貴重なものらしい。

重松家別邸の鏝絵 4点

安心院町内では明治17年製作の古い鏝絵の一つで、長野鉄蔵さんが作ったものだそうだ。安心院の鏝絵は、長野鉄蔵さんがお弟子さんとともに広めた。1軒に4枚の鏝絵があり、4枚で安心院鏝絵No.1に指定されている。龍は、火災除け、家の繁栄の願いが込められている。松が三段になったものは、三崖松という重松家の家紋とのこと。寅(右下)が描かれているのは、疫病を防ぐという意味で、狛犬や沖縄のシーサーと同じだそうだ。現在はサッシになっているが、昔は板戸になっていて、その戸袋に描かれていたそうだ。

唐獅子

唐獅子は、中国の想像上の動物で、学問向上の神様と言われ、子どもの頭が良くなるようにという思いが込められているそうだ。妻壁に描かれている鏝絵だ。

安心院の鏝絵は、大黒様・鷹・波・寅・鶴・龍・獅子が多い。

一富士、二鷹、三茄子

平成16年に移設されたもので、縁起がいい題材で長野鉄蔵作。長野鉄蔵は、1848年生まれ。

移設風景の写真を見せてもらう。

恵比寿大黒・鯛の三番叟(さんばそう)

長野鉄蔵作で明治28年に描かれたもの。青色がとてもきれいで、戸袋がまだ残っている。旅籠として使用されていた家で、現在は空き家になっている。打ち出の小づちを持った大黒様と下にいるのが恵比寿様。猿回し役が大黒様、猿役が烏帽子を被った鯛で「めでたい」とのこと。100年経っても色が変わらない立派な絵で、ユーモア性も兼ね備えている。

まちづくり協議会

途中、まちづくり協議会の建物があり、小学生が作った鏝絵やステンシル版画などを掲示してあった。ステンシル版画は、町の中にある鏝絵を描いている。

寅に竹

移設する時に拓本を取り、その拓本を見せながら小学校4年生を対象に鏝絵の勉強をしている風景の写真を見せてもらう。鏝絵の実際の大きさと人を比較してみると、大きさが分かる。安心院の鏝絵で寅を描いたものが8か所あって数が多く、制作当時の疫病などの状況により、魔よけをする意味があったのではないかとのこと。

波とウサギと家紋

明治20年代作で、町の公園ができたので、この場所に移設され、ウサギは子だくさんの動物で子孫繁栄、波は火災から守る家内安全を祈願している。

安心院中心地~国道500号線(別府方面)

安心院の町中から、地獄極楽のある桂昌寺跡に行く途中の集落にも、鏝絵があるということで寄る。明治18年作でいくつかの鏝絵がある。永田さんというお宅で、自分でも鏝絵を作られていて、近々安心院で開催される鏝絵サミットでは、発表者として、登壇する予定にもなっている。

新しい鏝絵 

鏝絵通りにある鏝絵が点々としかなかったので、町の人たちがお金を出して、2004年に15個新しく作ったそうだ。今の鏝絵は、店の様子がわかるように作ってあるものが多いとのこと。鏝絵を作りながら慣れていき、うまくなっていったものも見ることができた。色のついていない鏝絵もあった。鏝絵通り500mほどの中で、古いものと新しいもの併せて30個くらいを見ることができ、歩いてこれだけの鏝絵が見れるのは安心院だけだそうだ。

昔の発動機を使っている大黒様で発動機を発売していた店の鏝絵
絵画風で、昔懐かしい脱穀機を使って稲刈りをしている風景
酒屋さんの鏝絵。おじいさんが酒を造って夫婦で酒を酌み交わしている
婦人服屋ということで、十二単の鏝絵。左上の鏝絵は、永田さんが初めて作った鏝絵
永田さん作。滝を上る鯉を描いている。下にはすっぽんがいる。元祖すっぽん料理のある旅館
印刷屋の鏝絵で、色がなく寅の目にはビー玉が入り、PRINTの看板を加えている
ご夫婦とも鼠年生まれで鼠をモチーフにしている。印刷屋ということでインクやペンも描かれている
お茶屋さんで、分福茶釜が描かれている
左官さんが鏝絵を作っている鏝絵
兄が弟の頭を刈っている床屋さんの鏝絵。博多人形をモチーフにしているとのこと

安心院おもてなしガイドの会

観光協会安心院支部では、ボランティアガイドが鏝絵見学や写真撮影希望の方に鏝絵の制作工程、歴史、特徴などのご案内をしています 中心街の約30ヶ所程度にある「鏝絵」の見学、仏教説話の地獄極楽を生前体験できる、ミステリアスな「地獄極楽」など、名所や旧跡もご案内しています。 また、巨石群のストーンサークルがなぞめく「京石」はペトログラフも発見されて話題となっています。 ペトログラフ=通常は岩絵と呼ばれる。また線刻(画・文字)と呼ばれたり、岩面彫刻、岩石線画、岩面陰刻と訳されることもある。

所在地
〒872-0521 大分県宇佐市安心院町下毛2115 安心院地域複合支所内
電話番号
0978-34-4839

ツアープラン情報

ツアー名
鏝絵の見学
料金
ガイド1名につき
1,000円/1時間 
2,000円/2時間
開催日時
8:30〜17:00
ツアー時間
1ヶ所1時間
予約受付
2 日前まで
お問い合わせ
安心院おもてなしガイドの会
TEL
0978-34-4839
定休日
12/30〜1/3
営業時間
8:30〜17:00
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