戦時遺構群ゆっくり散策ツアー

戦時遺構が残る町、川棚町をゆっくり散策。時が止まっているその場所を、その目で、その体で、感じてみてください。きっとあなたに何か語りかけてくれるはずです。魚雷艇訓練所跡、片島魚雷発射試験場跡、疎開トンネル工場跡など、の遺構をご案内します。

片島魚雷発射試験場跡

明治時代、富国強兵のもと、横須賀・呉・佐世保・舞鶴に、海軍の本拠地ができ、佐世保の工廠で多くの軍艦が造られたと同時に、武器の一つである魚雷の製造もおこなわれ、性能を確認する必要があった。魚雷の性能のポイントは、1.まっすぐ行くかどうか、2.燃費がいいか、3.速度がどの程度か、の3点で、 佐世保からほど近く(20km程度) 、波が静かで、機密性が高いエリアだった川棚町片島が選ばれ、大正7年(1918)に出来た。当初の建物は、いい材料を使って、いい仕事をしているので、とても頑丈にできている。あくまで、試験するための設備なので、工員の数は多い時で、20人程度とのこと。魚雷は海からクレーンで持ち上げて、トロッコで運んでいたそうだ。今残っている大きな建物の屋根がないのは、老朽のためとのこと。

空気圧縮喞筒(そくとう)所、冷却水槽

空気圧縮喞筒所は、魚雷をトロッコで運び込み、油と空気をエンジンの中に詰め込む作業を行っていたそうだ。ここで試験を行っていた九一式という魚雷は、昭和7~8年に造られたもの(皇紀2591年に造られたところから命名されている。皇紀とは、神武天皇即位年から数えられていて、元年は西暦前660年)で、大正6年(1917)の建築当初とは違い、大きなコンプレッサーが必要になり、機械を中に入れるために、天井を高くしたそうだ。そのため、当初の壁と比較して、上の方は壁厚が薄い。魚雷は、1.5~2km先をめがけて、発射させるため、相当な精度を要求されていたように思う。コンプレッサーを動かすと熱を発するので、冷やす必要があり、横の大きな25mのプールに、水を溜めて使っていたそうだ。発射試験をした後、魚雷は海水にまみれているので、真水で洗ったり、点検整備もおこなっていたとのこと。昭和18年(1943)には、川棚海軍廠工場から魚雷が運び込まれていたそうだ。魚雷の燃料は灯油で、燃料倉庫として利用されていた石組み倉庫がプールの横に見受けられる。工場の横には、小高い山があり、標高54mで、魚雷がまっすぐ行ったかどうかの確認をするための観測所があったとのこと。

発射場

発射場に向かうと、トロッコのレール跡がくっきりあり、重さ850kgの魚雷を運んでいたそうだ。丸い穴の開いたところには、吊り上げ用にクレーンが収まっていたとのこと。海に浮かぶ建物は、ソナーの試験場跡だそうだ。

疎開トンネル工場

疎開トンネル工場前の空き地を降りて、山方面を見ると、九州のマッターホルンと言われている山が目に入る。虚空蔵山(こくうぞうさん)という川棚町のシンボルで、標高608mとのこと。(写真右奥)

川棚海軍工廠に空襲があっても、被害がないようにと作られた疎開トンネル工場。当時の人のパワーはすさまじい。ちなみに、いくつかの穴が繋がらないのは防空壕で、中でつながっているのをトンネルというそうだ。 

川棚臨時魚雷艇訓練所跡

戦局悪化に伴い、特攻用の魚雷艇の開発がおこなわれ、昭和19年くらいから希望者を募り、航空特攻隊を希望していた人が特攻の飛行機が足らなくなったため、魚雷特攻を志願したそうだ。魚雷艇の長さは6mくらいあり、1人乗りと2人乗りがあるとのこと。フィリッピンや沖縄へ輸送船で行って、魚雷艇を浜に豪を作って隠しておいて、夜襲で特攻し、出陣する時は、パイロットの服を着て行ったそうだ。魚雷艇は、65馬力のエンジンを積んで、自走するとのこと。戦局が厳しいこともあっただろうが、1~2か月間訓練して、にわか仕込みの状態で特攻に行っていたそうだ。そのため、訓練中に亡くなった方もいて、特攻で亡くなった方を含めて、3511名が亡くなったとのこと。初めて知って、多くの人が亡くなったことにびっくりした。浮き上がらないように、鉄下駄をはいて海の上の船を攻撃する伏龍特攻隊の絵もあり、結果ではなく、行動することが重要だったのかと思わざるを得ない。

訓練所跡の管理は、当初は遺族中心におこなわれていたが、世代が変わるにつれ、今は風化しないようにと、自治会で守っているそうだ。令和3年4月から実物大の魚雷艇の震洋(しんよう)艇の展示をおこない、現地で見ることができるとのこと。毎年5月第2日曜日には、慰霊祭がおこなわれ、5年ごとに、海上自衛隊が参加しているそうだ。

川棚町戦時遺構ボランティアガイド協議会

戦時遺構が残る町、川棚町をゆっくり散策。時が止まっているその場所を、その目で、その体で、感じてみてください。きっとあなたに何か語りかけてくれるはずです。魚雷艇訓練所跡、片島魚雷発射試験場跡、疎開トンネル工場跡など、の遺構をご案内します。

所在地
〒859-3614 長崎県東彼杵郡川棚町中組郷1518-1 川棚町役場産業振興課商工観光係内
電話番号
0956-76-8335

ツアープラン情報

ツアー名
戦時遺構群ゆっくり散策ツアー
料金
ガイド料1人200 円(資料代)
1~100名まで
開催日時
平日9:00〜17:00
ツアー時間
時間は、内容により変わります。
予約受付
5 日前まで
お問い合わせ
川棚町戦時遺構ボランティアガイド協議会
TEL
0956-76-8335
定休日
土日祝
営業時間
平日9:00〜17:00
このツアーに申し込む