渡月橋・雄島・観瀾亭・五大堂めぐりコース

日本三景松島を歩きながら「政宗が育んだ伊達な文化」をお楽しみいただきます。

松島湾について

松島湾ができたのは約6500年前で、川がない(沢水だけ)ため、土砂の堆積の流入がないので、湾ができた当時の水深(1.5mほど)が変わっていないのが最大の特徴になる。船舶航路が浚渫(しゅんせつ)されたところだけ、5mほどに深く掘られている。 

雄島について

松島湾は、東西12㎞・南北8㎞に渡り、楕円形の形をしている。霊場として信仰されてきた歴史を持っている松島の中で、雄島はその中心になる。松島は、歴史上・景観上価値が高い上、特別なものとして富士山とともに昭和27年に、国の特別名勝に指定されている。雄島はじめ松島は火山灰が堆積した凝灰岩の島で、海水の影響で松しか生えない。多くは赤松だが、黒松もあり、赤松と黒松が両方ある島も珍しい。

渡月橋

東から西にかかった橋を東から月が昇るので渡月橋という。ちなみに、南から北にかかった橋は、虹が渡る橋と書いて渡虹橋(とこうきょう)というそうだ。橋に渡る手前で、ガイドさんが撮った海面に映る月明かりの写真を見せてもらう。松島の月は、月が出た時は金色で、上に昇ると銀色に変わることで有名になったそうだ。世界的に見ても月がきれいな場所だと言われている。 

松島湾は水深が浅く波がないので、松島で見る海面に映る月は見事だ。そこに雲がかかると、海に映った月が雲を挟んで途切れ、より風情のある景色を醸し出す。雲の動きで一瞬にして海に映る景色が変わるので、松島の月の風景は素晴らしいとなる。

夏至の満月の夜だけは、月が昇ってもまだ明るいので、写真を撮っても渡月橋が赤く映る。

松島湾入り口は島々に遮られ、狭くて合計1kmもないため、外海から湾に入る海水の量の勢いは限られる。

妙覚庵跡

藤原氏が平泉で繁栄していた頃、松島は天台宗を主とした霊場(れいじょう)となっていた。霊力を得てさまざまな奇跡を起こしたと言われる見仏上人が島を出ることなく22年間修行をした妙覚庵の跡。西行さんがこちらに来て、見仏上人と過ごしていたという逸話は、西行について書かれた撰集抄(せんじゅうしょう)に載っている。それ等を松尾芭蕉が慕って松島を訪れている。 

雄島最古の板碑

弘安8年(1285)8月15日に建てられた雄島最古の板碑。臨済宗になる前の法華経の碑で、この後、密教系の天台宗は武士仏教の臨済宗が勢力を増す。松島瑞巌寺は、北条政子より寄進があり、鎌倉にある建長寺の姉妹寺になる。

奥州御島頼賢(おしまらいけん)碑

御島の頼賢は、弘安8(1285)年の60才から徳治2(1307)年まで22年間雄島妙覚庵で修業した。この得行を後世に伝えるため、弟子たちが建てた高さ3mある碑で、草書で松島の歴史などが書かれている。国の重要文化財に指定されている。

碑の横にある五輪塔は、江戸時代に入り臨済宗である瑞巌寺の女人禁制の日々が多く、女性が雄島に渡り海に通じている穴がある供養する骨塔(こっとう)で、寛文年間(1661~1673年)に建てられた。明治時代に伝染病などの問題で、穴はふさがれた。

坐禅堂

坐禅堂は、伊達政宗の百ケ日の法要の時に京都・妙心寺から連れてきた雲居(うんご)禅師が建てた。坐禅堂から見る景色が絶景ポイントで、中秋の名月の時も座禅を組んだ。

ガイドさんがこの前から撮った2月11日の朝日と8月15夜の月の写真は素晴らしかった。

供養碑

江戸時代に、瑞巌寺が女人禁制の日々が多かったため、供養用として雄島に摩崖仏が掘られた。男性より女性用に彫られたものが約半分とのこと。

観瀾(かんらん)亭

豊臣秀吉が大名を朝鮮に派兵した時、奥方は人質となり、京都(聚楽第)で暮らした。その時に伊達政宗の長女(五郎八姫)が生まれ、3歳の長男は秀吉に気に入られて秀の字をもらい、秀宗と名乗った。後に宇和島藩主となる。その縁で文禄年間に茶室をもらい、慶長3(1598)年に秀吉が亡くなると仙台藩江戸屋敷に運んだ。伊達政宗が亡くなった後、2代忠宗(離縁された五郎八姫の弟)が船で運び正保4(1644)年にここに移した。

中秋の名月の時には、座敷にある金色の屏風に月が映るように建物の位置が東南に設計されている。1年中月見ができるので、観月用に桂離宮同様の月見台が出ていた。

観瀾亭の「瀾」は波瀾の瀾(なみ)という意味で、「月が映す瀾を観る」を意味している。

松島博物館

伊達政宗直筆の書状や寛文年間(1661~1678)に書かれた谷文晁の絵図「松島真景図」、そして街道・村の名前と採れた石高・家臣屋敷などが書かれている仙台領内絵図が、すべて複写ではなく実物が展示されている。

五大堂

五大堂の前進・毘沙門堂は、坂上田村麻呂が創建し、江戸期に伊達政宗が再建した。807年創建当時に慈覚大師が造った五大明王像を安置したことから五大堂と呼ばれるようになったと言われてきた。しかし最近、平安後期の陸奥守だった朝廷軍源頼義が奥州での戦いに戦勝祈願をした時、五大堂不動明王の存在が分かった。この不動明王は京都の東寺、醍醐寺につぐ、日本で3番目に古い一本ケヤキ像になる。

現在、瑞巌寺に保管されている五大明王像は、33年に1回の御開帳の時に拝観できる。

五大堂の軒先の干支12支の細工は、大崎八幡神社(仙台市)同様の鮮やかな五色極彩色で彩られていた。

伊達政宗が五大堂で必勝祈願をして、白石城で上杉景勝を滅ぼし、小田原に行って関ケ原に向かったことも知られている。

松島で一番古い板碑

国道45号線沿いにある板碑は、文永10(1273)年の元号が刻まれていて、雄島で一番古いものより12年早く、松島で一番古い物になる。

瑞巌寺

瑞巌寺山門

扁額には、「桑海禅林」と書いてある。海に面した日本一の禅寺という意味で、瑞巌寺のことを言っている。

瑞巌寺洞窟群

納骨や供養のために造られた洞窟で、鎌倉時代にさかのぼり、江戸時代まで続いた。

参道

松島ボランティアガイド [松島名勝案内]

町内の有志で結成し、日本三景である松島を訪れる観光客に、松島の名勝地を案内するだけでなくおもてなしの心を持って接します。もう一度松島を訪れてみたい気持を持せた松島のイメージアップを図り、松島のPRを図り地域の観光振興に寄与するよう行っています。

団体窓口
松島観光協会
所在地
〒981-0213 宮城県宮城郡松島町松島町内98-1
電話番号
022-354-2618

ツアープラン情報

ツアー名
渡月橋・雄島・観瀾亭・五大堂めぐりコース
料金
1人 700 円
2~4人 1,200 円
5~9人 2,000 円
10~19人 3,000 円
20~30人 4,000 円
30人以上 応相談
※ほかに施設料金がかかります。
[観瀾亭]200 円
開催日時
随時
ツアー時間
120分
予約受付
3 日前まで
お問い合わせ
松島観光協会
TEL
022-354-2618
定休日
無休
営業時間
9:00〜16:00(4月〜11月)
9:00〜15:30(12月〜3月)
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