震災遺構「中浜小学校」語り部ガイドコース

90人の命を守り抜いた小学校。
ここであったことを、
あなたの目で見て、考え、読み取って、
未来の災害へ備えるための知識に
替えていってください。

体育館跡

現在受付の建物の場所に体育館があった。体育館は海から一番離れた場所にあり、津波の引き波のエネルギーが大きく、体育館を壊したが、手前にあった校舎を守った。山元町では津波は4回起きた。

日時計

校舎の前には日時計があり、斜めになっている針は北斗七星の方向を指している。中の丸い盤には、東日本大震災をはじめ、関東地震・スマトラ沖・チリ・阪神淡路大震災などの地震・津波の震源地の方角がわかる。

置いてある石は、地震が発生した3月11日14時46分の時の太陽の位置を表している。

手すりには色分けしてあり、小学校の授業割りを表している。

校庭

津波が来た後、校庭はがれき等は何もない状態だったので、津波翌日に救助用のヘリコプターが校庭に降りることができ、一晩校舎で過ごした90名全員をスムーズに救助することができた。

津波の石碑

明治29年と昭和8年に起きた大津波を伝承する石碑が山元町の海岸に建てられていた。しかし山元町で多くの方が津波で亡くなったことを考えると、文字に書かれた石碑だけでは伝えるのは難しいと思い、ガイドさんたちは自分たちの言葉で伝えようと、語りべの会を立ち上げたそうだ。

津波の高さ

10mの高さまで津波が来たという印が校舎にある。平成元年に校舎建設の際、地元住民の防災対策(津波・高潮)の意向を受け、2mかさ上げがおこなわれたので、実際は12mほどの津波の高さだった。この2mが実は生死を分けた。

敷地全体のかさ上げ

小学校の回りには、約300軒1000人ほどの住民が住んでいたが、家の土台以外跡形もなくなった。現在は農業法人がネギ・ニンジン・さつまいも・じゃがいもなどの畑として利用している。海岸線は以前、松林が200mほどの幅で仙台港からずっと続いていた。松林が流されたり、枯れたりしたため、高くなった防潮堤を見ることができる。

時計塔

コンクリート製時計塔の柱が根元から押し倒されているのを見ると、津波のすごさがよくわかる。不思議なのは、東西方向に起きた津波なのに、なぜか北に向いて倒れたいることだ。 

職員室

1階入り口に一番近いところに職員室があり、その部屋の黒板には当時の各学年の生徒の数がペンキで書かれているのが今なおその当時の状況を感じる。

教室

海に近い角の教室は奥の窓も突き破り、民家にあった柱とかハウスのものが校舎内に入ってきている。

玄関

玄関の外と中を仕切る枠やガラスがすべてない状態だった。

多目的ホール

玄関入った正面には、給食を始めいろいろなことをおこなっていた多目的ホールがある。南から来た津波と東から来た津波でこのあたりが撹拌されたと思われる。等間隔にあった赤いモニュメントは、位置により倒れたものとその位置に残っているものがある。

廊下上の天井のパネルはすべてなくなっていた。その天井にひっかかっているものに、外に置いてあったという竹馬の片割れがあったが、どうしてここまで来たのか不思議だ。

図工室

ここにたくさんあった銅線や鉄線が震災直後にすべて盗まれた。他の地域でも学校のロッカーから財布がすべて盗まれたという話も聞いたが、本当に情けないし、憤りを感じる。

震災当時の写真

防潮堤が決壊した写真や津波前と後の町並みの違いが判る写真が掲示されている。

津波によるがれきの量は、山元町の通常1年間のごみの量の150年分出たそうで、2年かけて処理し、小学校前の新しく作られた県道や防潮堤の基礎部分などに使われた。

映像13分(撮影・録音禁止)

地震・津波の状況や当時の小学校の対応(校長・先生)と小学校で一晩過ごした時の状況などの映像を見た。

震災前の町並みと小学校校舎の模型

語りべの会と生徒たちで作った震災前の町並みが展示されている。中浜地区全体の地形・町並みや小学校の横を流れる川が津波の通り道になったこと等がわかった。

段ボールの生地で作られた校舎の模型は、生徒の防災学習用として作られ、目線を校舎の模型の位置まで下げると津波の高さがわかる仕掛けになっている。 

地震の前触れ

東日本大震災がある2日前に比較的大きな地震があったので、翌日(震災前日)全校生徒向けに防災の話しをした。学校管理職の打合せでは、避難手順・時間などを確認した。

マニュアルでは高台にある坂元中学校に避難することになっていたが、地震発生20分後に津波が来るという情報が入り、避難時間がなかったため小学校にとどまった。もし避難していたら、途中低地があったため津波に襲われていた可能性があった。どちらが正解か簡単には結論は出せない。

校舎内で一晩過ごした時に暖が撮れた毛布

体育館にあった毛布を先生や地域の人たちが避難していた屋上の屋根裏倉庫から取りに行った。毛布は、濡れないように封がしてあったので、暖が取れた。

2階の様子

2階の廊下を通って外壁を突き破っていることや天井のパネルがないことを見ると、2階での津波の猛威がわかる。天井近くにある津波到達点のパネルを見ると、2mかさ上げがされていなかったら、屋上まで津波が到達していたことになる。

黄色いハンカチプロジェクト

校舎の北側空き地(元墓地)には、被災された方たちが縫製して作った黄色いハンカチに、伝えたいメッセージや思いなどのコメントが書かれたもの400枚ほどがたなびいている。毎年1月14日のお焚き上げの時に奉納している。

屋上

30分間に4回の津波が来た。

手すりには、3枚の写真が掲げられている。

  1. 遠くから撮った小学校に津波がぶつかる写真
  2. 屋上から撮った第4波の引き波の時の写真
  3. 翌朝の朝陽が出た時の写真。

右奥のドアが開いている屋根裏部屋で90名の方が一晩過ごした。救助されたときの状況がそのまま残っている。(写真撮影禁止)段ボールを敷き、毛布を掛けて最低気温2度の中、過ごした。

やまもと語りべの会

2013年11月、沿岸部の記憶、古里の自然や歴史、山元町のすばらしさを町内外に発信し、後世に伝え残すことを目的に発足。 語り部メンバーは、元学校長、元町職員、防災士、町内外に居る「やまもと語りべ大使」など構成されている。当時のことを語ったり、震災後から見てきた町の変化、町の魅力などを語るなど、参加者のニーズに合った案内を実施。

団体窓口
山元町震災遺構 中浜小学校
所在地
〒989-2111 宮城県亘理郡山元町坂元久根22番地2
電話番号
0223-23-1171

ツアープラン情報

ツアー名
震災遺構「中浜小学校」語り部ガイドコース
料金
5,000円(ガイド1人、20名まで)
拝観料別途有料(一般400円、小中高生・団体割引あり)
開催日時
9:30〜16:30
ツアー時間
約90分
予約受付
20 日前まで
お問い合わせ
山元町震災遺構 中浜小学校
TEL
0223-23-1171
定休日
毎週月曜・年末年始(12/28〜1/4)
営業時間
9:30〜16:30
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