西都原古墳群見学と西都原考古博物館展示室

昭和27年に国の特別史跡に指定されている古墳群です。
標高60~80mの通称「西都原台地」を中心に、標高30mの中間台地や標高10m前後の沖積地に3世紀末から7世紀にかけて築造された古墳群で、その数は319基が分布しています。その範囲は南北4.2km、東西約2.6kmにも及びます。

西都原(さいとばる)古墳群の概要

特別史跡西都原古墳群は、宮崎県のほぼ中央、一ツ瀬川の右岸、西都市街地の西の通称「西都原台地」とその周辺の中間台地や沖積地にあり、その範囲は南北4.2km・東西2.6kmに及んでいる。指定面積は58haを超える。

古墳は3世紀末から7世紀にかけて築造され、前方後円墳31基、方墳2基、円墳286基で総数319基である。

小山の頂上に目印の石柱が立っているので、古墳だということがすぐわかる。

墳長10mもないような小さな円墳から100m近くの前方後円墳まで数え切れないぐらいの古墳が存在している。

下の写真(202号墳)のように、前方部と後円部の高さにあまり違いがない前方後円墳は、6世紀終わりに造られたものだそうだ。高低差や前方部の形・幅等によって、造られた時期を考えることができる。

内部の見学ができる古墳

206号墳(鬼の窟(おにのいわや))

唯一の古墳

外から見ると、小高い山になっているように見える古墳。

「実際にはどんな形をしていると思いますか?」

とガイドさんに聞かれたが、土手の上に小山があるようにしか見えない。

実際は、土を盛った外堤の中に周溝があり、その中心に円墳があった。このように外提をもった古墳は、全国でも今のところ数基だと言われている。

古墳群の中で、唯一の開口した横穴式石室で、6世紀の終わりから7世紀に造られた。直径37m、高さ7.3mの2段築成の円墳。

外提から内堀に入るのに16段ほどの階段があるので、結構高い外堤であることがわかる。内堀は空堀で、排水溝があり水がたまると外に水を逃がすように造られている。

外堤には、死後の世界と現世との境界をはっきり区別する働きがあるそうだ。

石室の作り方

先ず1段目の石を置き、その周りに土を置き突き固める(版築法)。2段目3段目と同じように造っていく。最後に天井石を載せる。今までに、何度も地震に遭っているのに、現在の姿で残っているのはすごい!

玄室

入り口から羨道(せんどう)という通路の奥に、死者を埋葬する墓室(玄室)がある。長さ4.8m、幅1.75~2.45m、高さ2.15mとかなり広いスペースである。出土された棺釘の種類から、追葬(羨道部分)が行われたことがわかる。

早くから盗掘が行われていたので、出土品は少ないが考古博物館に展示されている。また、室内にも排水溝があったが、復元する時に、床を20㎝かさ上げしたので、現在は見ることができない。

それにしても天井石の大きさには驚かされる。どうやってこんな大きな石を???

鬼の窟伝説

神話に登場するコノハナサクヤヒメはとても美しい姫だ。そのためこの辺りに住む鬼は、お嫁に欲しいと父親のオオヤマツミに頼んだ。鬼にやりたくないので、できそうもない条件を与えた。一晩で大きな窟を作るということだった。しかし鬼は力持ち、張り切って約束の時間より早く完成させた。そこでちょっと一眠り。

まさかできるはずがないと思っていたオオヤマツミだが気になって様子を見に来た。何と出来上がっているではないか。なんとかしなくては。窟から石を1個抜き取り、台地の下に投げ飛ばした。

目を覚ました鬼は「完成したので、姫をお嫁にください。」と言った。オオヤマツミは抜いた石の所を指し、「ここに石がない。未完成ではないか。嫁にはやれん。」と言った。鬼は騙されているとも知らず、泣く泣くこの地を去って行った。

鬼にとってはなんとも気の毒な伝説!

13号墳(前方後円墳)

前方後円墳とは?

4世紀中頃~後半に造られた柄鏡形前方後円墳。前方後円墳は中央政権との関係を持つ中で築造を許可された地域の権力者(豪族)のお墓ではないかと考えられる。残念ながら居館はわかっていない。

前方部の端に立って後円部を見ると、細く長い前方部と高さのある後円部を持つ柄鏡形前方後円墳だとよく分かる。

博物館が開館の日は9:30~17:00まで、自由に見学できる珍しい古墳だ。

13号墳の模型と葺石(ふきいし)

次の写真の手前には13号古墳の1/20の模型。造られた当時はこのように全面葺石で覆われていた。何か所か縦に区画石列がある。

区画ごとで石の葺き方が異なっていることが多いので、作業が分担され、人によって違いが出ているのではないかとする説がある。

現在は、盛り土をして保存整備されている。

※ 葺石(ふきいし)は古墳の表面を葺いている石で、墳丘斜面に使用され、平坦面では通常使用されないことから、盛土流出を防ぐ目的があったものと考えられている。河原石や礫石が使われていることが多い。4~5世紀の古墳に見られる。

埋葬施設

入り口のドアを開けると広い空間の中に、長さ7.9mの粘土槨がある。粘土と石で作った土台に丸太を割り裂いて作った木棺(割竹形木棺)を乗せ、粘土と石で覆ったものだ。棺の長さに驚かされる。

中が赤みを帯びているのはベンガラで魔除けとか死者復活を願う意味があったという。

西都原考古博物館

2004年に開館した県立博物館で、南九州の旧石器時代~古代にかけての歴史や文化の紹介とそれらに関連する資料(レプリカを含む)の展示が行われている。この館の特徴の一つに石器や土器、古墳の模型など資料の一部が直接触れることが挙げられる。

旧石器~縄文時代

旧石器時代に起きた姶良カルデラによる巨大噴火により、南九州の地勢が形成されたといわれている。その時代の石器の展示物に実際に触ってみて、感触を味わってみた。

やがて気候の温暖化により照葉樹林が広がり、豊かな恵みをもたらすことで縄文文化が花開くこととなる。この時代では土器が作られるようになり、博物館では様々な形や文様のある土器が展示されている。

西都原古墳群

古墳時代の展示コーナーでは、男狭穂塚(おさほづかこふん)・女狭穂塚(めさほづかこふん)の1/60の模型と西都原古墳群の出土資料(レプリカ含む)などが展示されている。

埴輪子持家

西都原古墳群の170号墳(円墳)で発見された埴輪で、5軒の家が組み合う埴輪は日本唯一だそうだ。展示されている資料はレプリカで、本物は東京国立博物館に収蔵されている。

13号墳から出土した鏡

写真右上の鏡は、実際に見学した13号墳(前方後円墳)から出土した三角縁神獣鏡。古墳の内部主体見学施設では、下記写真のように出土した時の状況を再現している。

地下式横穴墓

男狭穂塚・女狭穂塚模型の奥の展示コーナーでは、西都原4号地下式横穴墓をはじめ、国富町や小林市など県央から県南各地で出土している地下式横穴墓から出土した資料が展示されている。

地下式横穴墓の玄室(内部)は密閉された空間のため、人骨や鉄製品が良好な状態で出土することが多いそうだ。

宮崎県えびの市島内地下式横穴墓では、人骨が良好な状態で出土している。展示されているものが本物と聞き、びっくりした。

骨が赤くなっているのは、埋葬時にベンガラを塗っていたのではないかとのこと。赤くなった人骨が見つかるのも珍しいそうだ。

西都原ボランティア協議会・西都市観光ボランティアガイド協議会

西都原考古博物館の展示室の案内・解説や、周辺に広がる西都原古墳群の案内などを行っています。

所在地
〒881-0005 宮崎県西都市三宅西都原西5670
電話番号
0983-43-5116

ツアープラン情報

ツアー名
西都原古墳群見学と西都原考古博物館展示室
料金
無料
開催日時
9:30〜17:30
ツアー時間
相談のうえで決定(各1時間程度)
予約受付
30 日前まで
お問い合わせ
西都原ボランティア協議会・西都市観光ボランティアガイド協議会
TEL
0983-43-5116
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営業時間
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