大友氏館跡庭園ガイド

大友氏館跡庭園の解説を中心に、大友氏遺跡や大友宗麟の魅力をわかりやすくご案内しています。
豊富な知識だけでなく、明るい笑顔とおもてなしの心でお客様をお迎えいたします。
私たちと一緒に楽しくまわってみませんか。

見どころ・聞きどころ

  1. 大分市を中心に繁栄した大友家400年の歴史
  2. その中心にあった大友館の全貌に触れる
  3. 復元された庭園の話しを聞きながら、当時に思いをはせる
  4. 南蛮BVNGO交流館の映像コーナーで大友宗麟の業績を知る

概略説明

鎌倉時代から戦国時代の終わりまでの400年間、豊後の地を治めたのは、大友氏であった。その歴代大友家当主が政治の中心地としたのが、「大友館」である。

「大友館」は、第21代大友宗麟から第22代大友義統(よしむね)のころに最大級の広さになり、庭園も広大な池を持つものに改修された。館の広さは200m四方。これは、当時の大名屋敷の中でも最大規模であり、大友家の繁栄を象徴するものでもあった。2001年に国史跡となり、現地でその広大さを感じることができる。

大友氏の衰退と共に、土に埋もれてしまった「大友氏館跡」が発見されたのは、1996年頃のことである。1998年から本格的に始まった発掘調査は、2021年4月現在、ようやく半分程終了したそうだ。大友氏館跡全体は、2030年の大友宗麟生誕500年に向けて、歴史公園として整備を完了する計画が進んでおり、2020年春には庭園の復元完成。現在一般公開をしている。

大友氏館跡は、大分駅から徒歩20分ほどで来ることができるので、多くの方に来てほしいとのこと。

庭園

現在残っている他の大名庭園と比較すると、庭園の池が非常に大きく、珍しい。東西に67m・南北に30mあり、特徴は中島を隔てて、西と東で違う景色を持っていることだ。西側は丸い小さな石を敷き詰めた州浜(すはま)と少量の景石(けいせき)で構成されたなだらかなイメージ、東側は大きな景石を多数配しており躍動感あふれている。この二つの景色をあわせ持っているのが、大きな特徴だ。

国指定史跡に指定されているので、適切に保存しなければならないため、実際の庭園は40~50㎝下に画期的な工法によって保存し、地表面を当時の状態に再現している。なお、庭園にある黒っぽい景石は実物で、当時大分川の中・上流域から運ばれた凝灰岩や安山岩と呼ばれる石材だ。白っぽい石はガラス繊維セメントで造られたレプリカで、「型」を作成して実物と全く同じ形になっている。

西側の池の前には白い玉砂利を敷いた場所がある。ここでは実際に玉砂利が発掘されており、大分市佐賀関にある白ケ浜から持ってきたものである。現在の白玉砂利は、国外産のものを使っている。

池の水は、池底からの湧水と館の外側から水を引いていた。なお当時は、庭園を回遊する通路はなく、建物から庭園を眺めていたそうだ。東側の池近くには、茶室と思われる建物や臨時的に水を流した滝などがあり、お客様を楽しくもてなす工夫がされていた。

発掘の際に池底で見つかった花粉や種から基づいて、庭園の木を選定している所も特色の1つで、ただ当時の木の配置までわからないので、庭園史を研究されている大学の先生に監修をお願いし、配置したそうだ。季節ごと(春夏秋冬)にテーマを設けてあり、庭園を訪れた方に四季折々楽しんでいただけように植えられている。

庭園の中には眺望スポットがあり、池越しに野生のニホンザルの生息地で有名な高崎山を望むことができる。高崎山には南北朝時代に大友氏が築城した高崎城跡があり、山頂に土塁や曲輪、堀などのお城の跡を見ることができる。

大友館と府内のまち

1551年、ここ大友館は大友宗麟とフランシスコザビエルが会見した場所。この2人の出会いがきっかけとなり、大分でのキリスト教保護と南蛮貿易が始まる。港には海外からたくさんの船が訪れ、当時「府内(ふない)」と呼ばれた大分市中心部は、国際的な貿易都市として大きく栄え、博多や堺と同じかそれ以上だったそうだ。その後、ポルトガルの貿易商人だったアルメイダが大分に訪れ、医師の免許を持っていたので、宗麟の許可を得て病院や育児院を建て、牛を2頭飼って乳児にミルクを与えたという事実も残っている。

大友氏遺跡概要

大友氏遺跡は、大友氏館跡のほか、4つの遺跡を合わせた5つの遺跡で構成される国指定遺跡とのこと。

旧万寿寺跡

臨済宗・五山十刹(ござんじっさつ)のお寺の一つで、とても位の高く広大な敷地があった。

推定御蔵場跡

蔵と広場のある空間で、大友氏に関連する施設があったと考えられている。

唐人町跡

大友館に隣接する外国人居住地。唐人町は全国各地に点在するが、当主の館の近くにあったのは珍しいそうだ。

上原館(うえのはるやかた) 

大友氏館跡が見つかる前は、大友氏の唯一の館と考えられていた。4mを超える土塁が良好に残っている。大友氏館跡より一回り小さいが、高く盛って防御性が高い館である。

大友氏館跡

下の写真は、発掘調査中の大友氏館跡。大・小の穴がたくさんあいているが、これは建物の柱跡や井戸・ごみを捨てた穴跡とのこと。

大友宗麟は茶の湯に通じていて、千利休からも評価を受けていた記録が残る。高価な茶道の道具を持っていたことでも知られており、大友氏館跡の発掘調査でも茶道具が出土している。

また、当時の祭事や宴会などで使われるかわらけという素焼きの皿が、大量に出土している。

今後大友館の中心建物の復元が計画されている。発掘調査成果をもとに、当時の絵画や当時の建物の様式を残す現存する建築物などを参考に検討しているそうだ。

南蛮BVNGO交流館

南蛮BVNGO交流館は、「豊後王・大友宗麟に出会って、触れて、よくわかる」をコンセプトに、大友氏館跡の中に設置したガイダンス施設だ。展示物やパネル、映像を見て大友宗麟や大友氏遺跡のことをまず知って欲しい。さらに、町歩きしたり、ガイドを聞いてもらうとより理解が深まる。

衣装コーナー

ザビエルや宗麟、利休など戦国時代に生きた人たちの衣装を試着し、記念撮影ができるが、コロナの影響で中止の場合もあるとのこと。

ガイダンスコーナー

大友氏400年の歴史や大友宗麟の業績を説明している。

映像コーナー

歴史ゾーンでは、大友宗麟がヨーロッパでは豊後王といわれていたことなど宗麟の半生を紹介する映像(約7分)が、シアターゾーンでは、20年に及ぶ遺跡の発掘調査で明らかになった大友館や豊後府内の町の様子をCG映像を交えて紹介している。(約11分)

展示ケース

府内のまちの発掘調査で出土された華南三彩鶴型水柱と呼ばれる中国産の焼き物。鶴形の水柱は珍しく、国内でもほかに沖縄と宮崎でしか出土していない。当時の繁栄ぶりを示す一品。

大友氏遺跡史跡ボランティアガイド(南蛮BVNGO交流館)

大友氏館跡庭園の解説を中心に、大友氏遺跡や大友宗麟の魅力をわかりやすくご案内しています。 豊富な知識だけでなく、明るい笑顔とおもてなしの心でお客様をお迎えいたします。

所在地
〒870-0025 大分県大分市顕徳町3-2-45
電話番号
097-578-9191

ツアープラン情報

ツアー名
大友氏館跡庭園ガイド
対象
【予約受付について】
事前予約制。急なお申込みでガイドが手配できない場合はお断りすることがあります。
料金
ガイド料 無料
開催日時
ガイド営業時間
10:30~16:00
南蛮BVNGO交流館
9:00~17:00(入館16:30まで)
ツアー時間
30分〜
予約受付
7 日前まで
お問い合わせ
大友氏遺跡史跡ボランティアガイド(南蛮BVNGO交流館)
TEL
097-578-9191
定休日
月曜日休(ただし、第1月曜は開館し、翌日休館。祝日の場合は翌日休)・年末年始(12月28日~1月4日)
営業時間
ガイド営業時間
10:30~16:00
南蛮BVNGO交流館
9:00~17:00(入館16:30まで)
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