史跡根城(ねじょう)案内コース

南北朝時代、南朝方の武将・南部師行(もろゆき)が建武元年(1334)に築城して以来、領地替えまでの約300年間、八戸地方の中心として栄えました。主殿や工房・納屋・馬屋などの建物が忠実に復原され、安土桃山時代の根城の面影を現代に伝えています。

概要

甲斐国南部郷出身の南部師行(もろゆき)が1334(建武元)年に、陸奥国国司の北畠顕家の指示で根城に城を築いた。平城(ひらじろ)で、8つの曲輪(くるわ)があり、南部氏が約300年居城していた。 

ちなみに南部氏は、甲斐武田家一門になる。

太平洋戦争が始まった昭和16(1941)年12月13日に、国の史跡に指定された。

青森県には、津軽地方と南部地方があるが、南部地方はこの南部氏の名前から来ている。

堀跡

三番堀

三番堀は本丸から数えて3番目にある堀ということで名付けられている。広場から国道104号線を挟んだ外にあり、地名はカタカナで「サンバンボリ」と書くそうだ。

堀の中では一番大きくて、幅約20mの二重の空堀となっていて、これから発掘される予定だ。

発掘済みの堀跡

広場内にある堀跡は、踏み固められた跡があり、戦国時代には通路としては使われていたのではないかと言われている。

曲輪跡

8つの曲輪があったうち、本丸以外の曲輪は1978(昭和53)年から11年かけて発掘調査がおこなわれ、整備された。それまでは、果樹園であった。芝生内は自由に入ることができるので、小さい子供達の遊び場として重宝されている。

豊臣秀吉の時代の奥州仕置後の1592(文禄元)年に、「不必要な城は埋めろ」と諸城破却命令が発せられて、城の堀は埋められた。

本丸跡

東門と北門

本丸に通じる入口が二つあるのは全国的に珍しく、東門は人用、北門は馬用に分かれている。東門につながる道には小石が敷詰められていたが、北門にはなかった。

本丸の内の仕切りは板材を使っていたことが、発掘調査からわかっている。柵は、ヒバ材が多く使われていたそうだ。ヒバ材が使われた理由は腐りにくく、縦に割れるので加工がしやすいことだ。ちなみに、杉は腐りやすい。

東門は格式がある屋根付きの棟門(むなもん)、北門は簡易の門になる。

納屋

東門から入ると、最初に目に入ってくるのが竪穴式倉庫だ。北海道・北東北にしか見られないそうで、入口は狭く、30cmほど半地下になっていて、米・味噌・梅漬けなどを保管していたと考えられている。

外から見ると縄文・弥生時代の住居のようだが、中に入ると柱・梁があり、雪などの重さに耐えうる構造になっている。縄文・弥生時代の建物には梁がない。屋根は茅(かや)屋根で、この辺りではくず屋根と言う。柱は腐りにくい栗の木で使っている。

主殿

復元された主殿は、1590年代の建物と考えられていて、礎石がない掘立柱建物でできている。掘立柱建物は柱が腐りやすいため、20~30年しか持たないので、建武の新政(1333年)から江戸初期までの300年の間に13回建て替えをしている。建坪は164坪。(年賀などの諸行事をおこなう建物だった。玄関らしきものがないので、行事など多人数の場合は縁側から出入りしたと思われる。)

屋根は、ヒノキ科の椹(さわら)の板を使った栩(とち)葺で、板材の厚さ約2mmの杮(こけら)葺きに比べ、9~30mmの厚さになる。何枚も重ねないので手間がかからない。

風炉・火出鉢

主殿の中に入ると、最初の部屋で鏡開きの食卓を見せている。その一角には、お茶の湯を沸かす風炉(ふろ)(写真手前の矢印)と明かり取りに使う火出鉢(写真奥の矢印)がある。風炉は通常茶の間に置くもので、鉄や瓦質でできている。ここでは瓦質のものが発掘されている。明り取りの火出鉢は、大きめの石をすり鉢状に加工し、その中で薪を燃やし、明かりを取った。

二之間

この部屋では、鎧と小袖を着て無料で記念撮影ができるイベントが定期的に開かれている。奥にある弓は世平弓(よだいらのゆみ)と言い、北畠顕家から当主南部師行に拝領したものになる。国の重要有形文化財の指定されている。展示品は複製品になる。 

広間

広間では、1590年頃の鏡開きの儀式が再現されている。鏡開きはもともと武士の行事だった。松の内が明けた小正月(15日)におこなわれる。食材は質素で、大根・大豆・山椒の実・豆腐と濁り酒(この地方では「どんべ」と呼ばれている)が御膳に用意されている。

建物復元

敷地には、約2万個の柱穴があり、図面にすべて落とし込んだ。1300年代から江戸時代まで17期に分かれることがわかり、そこから現在復元されている1590年代の建物の柱穴を約2年かけ抽出した。

倉庫スペース

主殿の奥には広い通路があり、倉庫として使われていたのではないかと考えられている。

柱の太さから考えて、2階建ては難しいが、中2階があり、はしごで上り下りして物を保管していたと考えられている。

画像を選択してください

祈祷之間

祈祷之間には真言宗の加持祈祷のセットがあり、病気治癒や戦勝を祈願して、護摩を焚いた。戦争の結果によっては、祈祷をおこなったお坊さんに責任が及ぶ場合もあったそうだ。

祭壇跡?

本殿裏手の土が盛り上がっていた付近から、平安時代終わりから鎌倉時代初めに作られた常滑焼の広い口の壺が見つかっている。壺の中にお経を入れたお経塚ではないか。青森県の古道(奥大道)に沿ってあるので、平泉の仏教文化が伝播したと考えられる。

工房

地面から35cmほど下がった竪穴式建物は武器を作る工房で、作業台として使われていた石や鎧の小札が出土している。

野鍜治場

鉄鍋や銅銭を溶かして、再利用する場所として利用されていた。当時は、銭貨を中国から輸入し、使用していたが、銭貨不足のため、にせ銭が全国的に流通していた。にせ銭も多く発見されている。

鍛冶工房

鍛冶工房として使われた地面から90cmほど下がった竪穴式建物がある。下北地方で造られたと思われるたたら製鉄を加工して、こちらに持ってきた。その粗鉄を、るつぼを使って鉄を熱し、溶かして鋳型に入れて刀のつばや刃物類を作ったのではないかと考えられている。鉄を溶かす火力には、熱量が高い松の生焼きの炭が使われていたと考えられる。

板蔵

当主と家族用の生活用品や衣類を保管していた倉庫で、火災から守るために、6cmの厚さの板が使われていた。

根城(ねじょう)史跡ボランティアガイドグループ

中世において北奥羽の中心であった史跡根城は、詳細な発掘に基づく日本最初の中世城郭が復原され、「日本100名城」にも認定されています。 お客様に喜んでいただけるよう、わかりやすく楽しいガイドを心がけています。

団体窓口
史跡根城の広場
所在地
〒039-1166 青森県八戸市根城字東構35-1
電話番号
0178-24-9114

ツアープラン情報

ツアー名
史跡根城(ねじょう)案内コース
料金
無料
ツアー時間
約60分
予約受付
7 日前まで
お問い合わせ
史跡根城の広場
TEL
0178-24-9114
定休日
月曜日・12月中旬〜4月中旬
営業時間
10:00〜15:00
このツアーに申し込む