ひじ町ウォーク

歴史に詳しいガイドさんと歩く!
烏喪に城下町ウォーク
海景と湧水に育まれた海の城下町ひじは、豊臣家ゆかりの美しく静かな城址エリアを中心にその風情を感じることができます。
ゆっくりとのんびり歩きながら、見どころを案内します。

見どころ・聞きどころ

  1. 日出城の石垣
  2. 城下公園から見る別府湾
  3. 致道館
  4. 二の丸館前の通り散策

日出(ひじ)町の概要

日出町は、大分県では数少ない町(他は市町村合併で市になっていることが多い)だが、面積28K㎡・2万8千人程度の人口で、山・海に囲まれとても過ごしやすい町のうえ、大分・別府の通勤圏内にもあり、働きやすい環境でもあるそうだ。

日出城址

初代藩主木下延俊は、豊臣秀吉の奥方ねねのお兄さんの子供(甥っ子)だが、関が原合戦は徳川方に付いた。その後、肥後藩初代藩主細川忠興と親戚関係(木下延俊の奥方の兄)で、忠興が当時中津城にいた縁で、日出藩に来ることができたそうだ。江戸時代になってか藩(3万石)ができ、城を造った。現在城跡には、現在小学校が立っている。

日出城の石垣・時鍾

細川家の穴太(あのう)衆の一人が監修して石垣が造られ、野面積みで矢穴も見受けられる。石の大きさは、古い時代のものは大きく、時代が新しくなると小さくなるそうだ。

日出藩は初代~16代まで続き、時鐘は3代藩主木下俊長の時代に造られ、とてもいい音色の鐘とのこと。戦争の際、供出の危機にあったが、地元町民の熱意により取り戻すことができた。現在時鐘のあるところには、元々裏門櫓があった(二の丸館の入り口に復元されている)そうだ。

高浜虚子の俳句碑

石垣を眺めながら坂を下っていき、海の方へ向かう途中、句碑が出てくる。商人たちが俳句を詠むのが好きだったので、松山から高浜虚子を呼び、その高浜虚子が日出町で大正9年に城下カレイのことを詠んだ句が、

「海中に 真清水わきて 魚育つ」

で、日出町で一番有名な俳句だそうだ。

別府湾を望む

海が見える所まで降りていくと、対岸には大分市から別府市が見え、正面には高崎山が見える。入り江では、城下カレイが獲れ、5月には城下カレイまつりが開催され、シーズンは5~7月とのこと。量が獲れないため、江戸時代は殿様漁といわれていて、殿様しか食べることができなかった。鹿鳴越(かなごえ)連山から湧き水が海に流れ込み、生臭くなくとても美味しいが、残念ながら高いそうだ。

軍艦海應の碑

海を見ながらさらに西へ進むと、軍艦海應の碑が出てくる。軍艦海應は、もともと旅客船だったものを、昭和16年に航空母艦に改装され、南方で活躍していたが、昭和20年7月に別府湾に停泊中、攻撃された。その事実を残すために、当時の乗組員が中心になり碑が建てられた。

人柱祠

さらに西へ進むと、人柱の祠がある。昭和35年に海岸遊歩道を整備中に、棺(棺桶)が見つかり、日出城築城当時のものとみられ、城の裏鬼門の位置にあたるため、地盤が弱く難工事だったので、人柱を立てたのではないかといわれている。棺桶の中には、白髪交じりの髪の毛や鎧の金具などが入っていので、老武士ではないかとのこと。

致道館

海沿いを離れ、北にある坂を上っていくと、藩の学校で、1858年15代藩主の時に創立された致道館の建物が出てくる。入り口の門の屋根には、藩の紋(抱き沢瀉(だきおもだか))が見受けられ、藩の建物にはすべて紋が入っているそうだ。中に入ると、1階は先生や藩主の部屋で、2階は教室になっていた。藩主も月に6回くらい来て、勉強を見ていて、30~50人の生徒が寝泊まりしながら勉強していたそうだ。特に優秀な生徒は、藩がお金を出していて、全部で250人ほど通っていたとのこと。

図書館や裁判所などとして利用された後、大分県指定有形文化財に指定された。復元にあたっては、石垣を含めて一度分解して元に戻されたそうだ。三の丸のあったところ(現中学校)に元々あったが、中学校を建てる時(昭和26年)に現在の位置に移築されたとのこと。

旧木下家居所

致道館を出て小学校を一周するように二の丸館へ戻る途中に、明治に入り木下家17代が建てた建物があり、木下家だけが使える駒の紋が屋根瓦に入っていることがわかる。16代までが江戸時代の藩主で、今は19代の方が関東にいて、催しがある時には参加されるそうだ。

鬼門櫓(隅櫓)

さらに二の丸館に向かうと、鬼門櫓が出てくる。災いを招きいれる北東方向(鬼門)の角を欠いているのが特徴で、明治に入り一旦は払い下げられたが、現在はもともとあった場所とは違うところだが、城内の一角に設置されている。

日出町の水

火山でできた鹿鳴越(かなごえ)連山から浸透して何十年もたって湧き出てくる日出町の水はとてもおいしいそうだ。  

城入り口

小学校の校門がある所に大手門があり、入り口の両側の蒲鉾の板型の石垣は、当時のままだそうだ。

日出城は、3代藩主が名付けた暘谷(ようこく)城とも呼ばれていて、町の人には暘谷城の方が親しまれている。

帆足万里(ほあしばんり)

帆足家は代々家老職を務めている家柄だが、帆足万里は政治よりも勉強の方が有名で、大分県の3賢人の一人として名を連ねている。お弟子さんたちは、致道館の先生として生徒を教えていたそうだ。

ひじ町ツーリズム協会

歴史に詳しいガイドさんと歩く! 烏喪に城下町ウォーク 海景と湧水に育まれた海の城下町ひじは、豊臣家ゆかりの美しく静かな城址エリアを中心にその風情を感じることができます。 ゆっくりとのんびり歩きながら、見どころを案内します。

所在地
〒879-1506 大分県速見郡日出町2612-1 二の丸館内
電話番号
0977-72-4255

ツアープラン情報

ツアー名
ひじ町ウォーク
料金
1~4名 500円/人
5~9名 300円/人
10名~20名 250円/人
※ガイド1名につき最大20名まで。
20名以上は、ガイド2名で対応。
開催日時
9:00〜17:30
ツアー時間
30〜60分
予約受付
7 日前まで
お問い合わせ
ひじ町ツーリズム協会
TEL
0977-72-4255
定休日
無休(ただし、年末年始期間のぞく)
営業時間
9:00〜17:30
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