鳥栖・轟木宿〜田代宿散策コース

長崎街道の二つの宿場町としての歴史、鉄道の町としての歴史、そしてえびすさんとしての歴史と、複数の歴史を感じることができます。

長崎街道・轟木宿

轟木宿は、佐賀藩の東北端にある藩境の宿場町で、東の出入り口には、出入りする人や物のチェックが厳しかった「番所」があり、川を渡れば対岸は対馬領だと。宿場の三種の神器、「制札場」、「人馬置床(問屋場)」、領主が領外に出入りの時必ず宿泊や休憩する「御茶屋」が備わっていたとのこと。旅籠は13軒あり、古人の日記などには、宿場の賑わいが記されているそうだ。また、参勤交代等で、共揃えする「勢屯(せいどまり)」があったと聞く。コンパクトだが、すべて備わった宿場であるようだ。

日子神社前のプレートに、伊能忠敬測量基準点とシーボルト観測地点とあり、シーボルトは、出島の商館長の供として江戸参府の折、この位置で太陽高度を測定し緯度と、佐賀・柳河の位置から経度を割出し、轟木の位置を特定したそうだ。忠敬は、神埼と千栗方面からこの制札場まで計測し、さらに田代宿に向かって計測していったそうだ。

日子神社

佐賀初代鍋島藩主直茂公が、英彦山神社(福岡県添田町)の信仰厚く、ここから勧請され、お茶屋の一角に祀られていたそうで、後に今の位置へ移築されたとのこと。境内には、元禄7年(1694)の石燈籠や元禄13年銘の鳥居が見られた。

長崎街道を田代宿に向かって歩く

日子神社から東に向かうと、川の手前の右側に、「長崎街道・轟木番所」の銘板が見える。川の名は、番所に因み通称「番所川」と呼ばれる驫木川、徒渡し(かちわたし)で2列の飛び石があったそうだ。川の中央が藩境で、渡れば対馬領とのこと。

さらに街道を進むと、左側に小さい恵比須像が見つかる。「昭和十年(1935)一月十日」と台座に刻み込まれていた。以前は大黒様が並んでいたそうだが、盗難にあったらしい。30mほど先に、明治22年(1889)旧鳥栖駅が開業した時に製作されたセメントでできた恵比須像に会う。風化が激しいが、恵比寿像だと判る。

所々に長崎街道を示す看板がある。

街道は三叉路から左に進む。右に江戸期に勧請(かんじょう)された火伏の神「秋葉神社」、向かい側に江戸期に菜種油製造を生業とした「吉竹家(屋号・油屋)」、その一軒先に、昔「みやき酒屋(松本家)」という屋号の大酒造屋さん(今は3分の1程)が軒を並べ、当時の繁栄が偲ばれる。ここから直線道1kmは、商人の町(薬種等の小売店などが多い)で、江戸初期に町建てされたと聞く。町名も古さを感じる「瓜生野(うりゅうの)村(町)」。瓜生野の人々に親しまれている鳥栖「八坂神社」は、正安元年(1299)京都八坂神社の御神霊を勧請したと云われ、既に700年を超える由緒ある神社だ。

田代宿

田代宿に近づくと、地蔵堂の前で追分につく。自然石に、「右:さか、左:くるめ道」と刻まれている。伊能忠敬は、轟木宿制札からここまで計測し、田代宿へ向かっている。

宿場に入ると、「町本陣」を示す標識が左にある。脇本陣のことで、伊能忠敬一行も本陣とし、プチャーチンとの交渉で長崎に向かった川路聖謨(かわじとしあきら)も利用したらしい。この通りは旅籠街で、その先の三叉路に「高札」、向かいに「問屋場(現・久光製薬)」の標識が見える。右折し左側に、「上使屋(御茶屋)」、「代官所(現・田代小学校)」、「線刻恵比須」が並んでいた。この界隈が町の中心で、普段は本町(上町と下町)と呼ばれていたという。

田代郵便局の前に、「田代八坂神社」がある。代官所寄贈の藩主名が刻まれた鳥居が立つ。疫病退散を願い勧請されたらしいが、江戸期には、害虫風水害のご利益を願う領民の信仰が厚かったと聞く。隣接して、三つの寺があり、小さな寺社町が形成されていた。

田代宿の街道筋にも、いくつかの古い民家があった。九州各地に薬を置く、配置売薬や木蝋業を生業とした民家であった。代官所通用門が移設され、現在も残っている。矢喰門と言って、敵の矢弾から家を守るためように造られ、4本の柱の中心よりも前に長く張り出した建築方法だそうだ。棟木の破風には、対馬藩主の家紋が飾られている。移設された家の持ち主は、和ろうそく関係の櫨蝋(はぜろう)業をやっていた方だそうだ。

田代宿の街道沿いにも、いくつかの古い家などがある。置き薬用の薬を袋詰めし、各地に薬を置いていた配置売薬業が田代宿は盛んだったため、そういう家が複数残っていたり、和ろうそく用の蝋絞り(ろうしぼり)業を営んだ家などがある。

田代宿の東の出入り口で、先に見た追分石と同じものを見た。「左:こくら・はかた道、右:ひこ山道」と刻まれていた。肥前は英彦山信仰が盛んで、ここから英彦山に向かったそうだ。長崎街道が整備される前の古い道で、日田へも通じているそうだ。

鳥栖観光コンベンション協会 ボランティアガイド

鳥栖市は、長崎街道の二つの宿場町、対馬藩田代宿・佐賀藩轟木宿があり、歴史を感じさせる所が随所にあります。藩またぎならではの歴史もあります。また、明治20年代には、鉄道が走り、明治38年にできた鳥栖駅はいまだに現役で、当時の面影をいくつも残しています。駅周辺のえびすさん巡りとともに、ガイドの豆知識や昔話を聞きながら、ガイドの話しを聞いてみませんか。

所在地
〒841-0051 佐賀県鳥栖市元町1380-5 鳥栖観光コンベンション協会内
電話番号
0942-83-8415

ツアープラン情報

ツアー名
鳥栖・轟木宿〜田代宿散策コース
料金
無料
開催日時
平日8:30〜17:15(土日休)
ツアー時間
40〜120分
(時間は相談に応じますので、お気軽に問合せください。)
予約受付
10 日前まで
お問い合わせ
鳥栖観光コンベンション協会 ボランティアガイド
TEL
0942-83-8415
定休日
土曜・日曜日
営業時間
平日8:30〜17:15
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