「陸前高田を忘れないでほしい」、「各々の地域での防災意識を高め未来へ伝えてほしい」との思いから、被災地の現状と復興状況を被災地域を巡りながら、地元ガイドが体験談を交え案内します。
帯同していただいたガイドさん
- お名前
- 佐々木 武雄 さん
- ガイド歴
- 10年
- 趣味・特技
- 旅行・歴史探訪
- 一言PR
- 被災地と非被災地との懸け橋に・・・
道の駅高田松原
道の駅は、高田松原津波復興祈念公園の一角にあり、2019年にオープンした。国立のため、外には店が一切ない。建物の屋根の延長線上に、旧道の駅があり、復興の軸と言われている。
屋根下の白いパネルの穴は、震災で亡くなった人の総数を表していて、現在18,000ほどの穴が開いている。毎年3月になると、夕方から穴から明かりが出て弔う行事がおこなわれている。
奇跡の一本松・陸前高田ユースホステル(震災遺構)
亡くなった方がいない建物を前提に、後世に残して語り継いでいこうと5つの震災遺構がある。その震災遺構のうちの二つ「奇跡の一本松」「陸前高田ユースホステル」を対岸越しに望むことができる。震災前には防潮堤はなく、海岸には白い砂浜と幅2.5㎞に渡り7万本の松林が広がり、日本百景の一つに選ばれていて、岩手の湘南と言われていた。
建物や江戸時代に植林された松など造られたものが、地震・津波という自然の前に無残な状況となったが、記憶はだんだん薄れていく現状を見ていると、震災にあった当事者としては複雑な気持ちになる。
気仙中学校(震災遺構)
気仙中学校のある気仙地区は歴史ある古い地域で、伊達藩の北境に位置し、江戸時代は政治経済の中心部だった。
中学校横を通る気仙川は、津波が5㎞程遡上し、津波被害の導火線となった。震災当日の夜まで10波まであり、中学校の屋上に達する高さ(14.2m)まで津波が来た。海沿いにある気仙中学校では地域の人たちを含めて、日頃から「点呼しない・とにかく上に逃げろ」という教えを受けながら、津波の避難訓練(年4~5回)がおこなわれていた。下写真の奥に高台があり、訓練通り逃げて全員助かっている。
ガイドさんが住んでいたのがこの気仙地区で、家族の中で地震が起きた時の待ち合わせ場所を1か所・2か所と複数決めていた。電気がない・電波は使えない前提で、山のほうに逃げる、すべて初期行動が重要。川・橋は怖い、車は怖いと家族で日頃から話していた。
高台
今立っているところは元々山だったところで、山を切り崩し、その土を市街地のかさ上げ工事として活用された。そしてこの高台に、新しい住宅地が造られた。
眼下に広がっている川沿いの空き地には、以前は住宅が広がっていた。川の奥には町の中心地だったが、もともと湿地帯だったところに町を作った。津波で昔に戻ってしまった。
陸前高田駅
現在、気仙沼~大船渡間は線路に道路を作り、バス専用になって、バスが走っている。JRなので、JRの切符を使用し、駅舎もある。
駅をはじめ市民会館・博物館・ショッピングセンターなど市の中心的な建物は山から切り崩した土を使い、10mのかさ上げ工事がおこなわれ、その上に建てられている。
まちの縁側
交流施設として世界的に有名な隈研吾氏が設計した建物で、地元の気仙杉を使用し、地域で古くから伝わる大工集団「気仙大工」の意匠が取り入れられている。
陸前高田市立博物館
2022(令和4)年11月5日にオープンされる博物館。かさ上げした土地に建てられているが、津波用の避難階段が設置されている。
慰霊碑
陸前高田で1500人を超える方が亡くなったうち、約9割の方々が市の中心部にいた。すぐに避難行動をせず、逃げるのが遅かった。女の人は屋根瓦が落ちたり、塀のブロックが倒れ、「怖い怖い」と言って動かなくなってしまった。一旦非難した後、携帯電話や車を取りに、ペットを救いに、そして大事な書類や金庫を取りに家に2度戻りしてしまう男の人が多かった。
100回大きな地震が来て1回も津波が来なくても、101回目の地震で津波が来るかもわからない。心の防潮堤を作ることが重要で、逃げる気持ちを常に持っておく。津波の速度は60~80㎞あるので、津波が来てから逃げるでは遅い。
市役所・体育館・市民会館・県や市の名前についた大きな施設に逃げたくなり、誰々さんも来たから安心してしまう。市民会館に逃げた人は全員亡くなり、あらゆる要職の方々が命を落とされた。
沿岸部の人たちは、避難訓練を何度もしているからどこの地域も逃げている。消防団員は海近くにある6mの水門を閉めた後、地元の人に声をかけると、地元の人から「あんたたちも一緒だから逃げな。本当の津波が来たら6mなんか何の役にも立たない。」と言い、逆に消防団員に避難を促した。
震災後は、水が無いことが一番困った。そして、盗賊が出没しあらゆるものを奪っていった。高校の中まで入って、ロッカーをあさって、金目のものはすべてなくなっていた。途中からは住民たちもあきらめの境地だった。
米沢商会
慰霊碑のある高台から下写真の左に見えるビルは個人所有のもので、屋上上の煙突のところまで上がって助かった。ビル所有者が津波の怖さを後世に伝えるため、保存するそうだ。
目の前には空き地が広がっているが、震災前は町の中心地で奥には陸前高田駅があった。個人の住宅は建てることができない。この空き地の使い道は、若い人が増えるものをしてほしいと願っている。
旧定住促進住宅(震災遺構)
2棟あったうちの一つが震災遺構として残っている。5階で14.5mの高さまで津波が来た。震災前の写真を見せてもらうと、団地前には民宿、横にはホームセンターがあり、奥には住宅地が広がっていたことがわかる。
エアコンの室外機などがそのままの状態になっていて、津波の被害の生々しさを伝えている。
ここに住んでいた子供たちは、海水パンツをはいて浮き輪をもって海に行けるぐらいの距離だったそうだ。
旧道の駅(震災遺構)
従業員たちは隣にあった観光ホテルのバスで一緒に早めに逃げて助かっている。数名の人が屋上に上り、助かっている。
陸前高田観光ガイド部会
千年に一度といわれる東日本大震災により、多数の人命と歴史や文化の証を失った陸前高田市。 津波の状況、復興の経過、避難のあり方、今後の課題、被害にあいながらもそこに住んでいるからこそお話できることがあります。 そして再認識した先人から伝えられてきた遺訓の大切さを皆様に伝えて、これから起こりうる災害に少しでも役立てて頂ければと思い活動しています。
- 団体窓口
- 陸前高田市観光物産協会
- 所在地
- 〒029-2205 岩手県陸前高田市高田町並杉300-2 まちの縁側 陸前高田市観光物産協会
- 電話番号
- 0192-54-5011
ツアープラン情報
- ツアー名
- 未来へ語り継ぐ陸前高田・標準90分コース
- 料金
- ガイド1名
1~9人まで 5,000円
10~29人まで 6,000円
30人~ 7,000円 - 開催日時
- 9:00〜日没(年末年始休)
- ツアー時間
- 約90分
- 予約受付
- 1 日前まで
- お問い合わせ
-
陸前高田市観光物産協会
- TEL
- 0192-54-5011
- 定休日
- 年末年始
- 営業時間
- 8:30〜17:30