城下町コース

徳川四天王の筆頭の酒井家が1622年に庄内藩主として入部以来、現在に至るまで鶴岡で暮らし続けています。藩校致道館をはじめ鶴ヶ岡城跡の面影が残る鶴岡公園周辺をゆっくり巡ります。

概要

戦国時代末期から江戸時代初めは、山形の最上家が庄内地方を支配していたが、1622年に最上家が領地没収になった後、徳川四天王の筆頭だった酒井家が信州松代から入部し、明治時代に入るまで庄内藩を治めた。当初14万石だったが、総検地や新田開発などで実質20万石となる。

最上義光(よしあき)の時代、酒田の港にウミガメが揚がり、縁起が良いということになり酒田の城を亀ヶ崎城と名乗ったことで、鶴亀の縁起のよさから鶴岡にあった大宝寺城を鶴ケ岡城と名乗るようになった。

鶴ケ岡城三日町口木戸跡

自然の川・内川が城の外堀(とぼり)の役割をしていて、川から城外に出ると町人町になり、川の城内側は武士町となる。

三日町口木戸跡の碑がある前の橋は、明治時代に入り、最初に知事(県令)になった三島通庸(みちつね)が橋から鳥海山・月山・金峰山の三つの山の頂に雪が見えたことから三雪橋と名付けられた。江戸時代、城内に入ってくるときには木戸口があって、通行手形がないとは入れない。木戸口が全部で11なのは、十一の口の語呂合わせで「吉」を呼ぶからと言われている。

鶴岡カトリック教会天主堂

明治36年建築で、高さは約24mあり、国の重要文化財に指定されている。外国の神父さんが設計して、日本の大工さんが作った。

庄内藩家老屋敷があった場所に建てられたので、武家屋敷の門は当時のままになっている。

声が響き音響効果があるこうもり型天井で、中央の身廊と二つの側廊の三廊式になっている。祭壇と逆の後ろにはパイプオルガンがあり、横のらせん階段を上り演奏する。

ここにしかないものが二つある。

一つは窓ガラスの絵で、ステンドグラスではなく、2枚のガラスの間に絵をはさみステンドグラス風に仕上げたもの。通称「貼り絵」と言われている。高価なステンドグラスが使えなかったためだ。 

もう一つは黒いマリア像になる。ろうそくの明かりのススではないか、地中に埋もれていたためなど諸説あり、なぜ黒いかはよくわかっていない。

祭壇と逆の後ろの一角には告白室がある。

旧風間家住宅丙申堂の石置屋根

庄内地方の昔の商人の家の屋根は、石置屋根が主体だった。ちなみに武家屋敷は茅葺きが多かった。明治29年に建てられ、現在国の重要文化財に指定された風間家住宅の屋根として、石置き屋根が使用されている。杉皮で屋根を葺いた後に平らな石を置いた。石の数約4万個で重さ約30tあり、石の重さに耐えられるように、梁がすごく、台風や強風でも石は飛ばない。雪降しはする必要がないそうだ。天井にシミ程度で雨が漏ることはない。こういう屋根の正式名称を、杉皮葺き石置屋根と言う。

屋根を見ると、たんぽぽが生えているので、葺き替え時期に来ている。石を洗って戻す作業が約20年に一度おこなわれる。今日は中に入らず、外から屋根だけ見る。

城の馬出

馬出は城への入り口(虎口)の前に堀を隔てて設けられた小さな曲輪(スペース)のことで、築いていた御影石(金峰山の石=金峰石)が最近見つかり、話題になった。

荘内神社

明治10年本丸址に創建された神社になる。

宝物殿

神社本殿横に、酒井家や神社のものを展示されている宝物殿がある。鞍、竹製の弓具、砲術(萩野流)用火縄銃などが展示されている。火縄銃は、荘内大祭時には実際に演武がおこなわれる。荘内大祭は、大名行列を模した祭りで10月に開催される。

その他祭りとしては、鶴岡天満宮例祭で毎年5月25日に開催される天神祭りが有名で、菅原道真公が53才の時に太宰府に流されたので、53才の人が毎年選ばれて町を練り歩く。そのほかに、「化けもの」と称し、老若男女の別なく派手な花模様の長襦袢に角帯を締め、手拭いと編み笠で顔を隠し、徳利と盃を手に、祭りを見物している人たちに無言で酒を振る舞う。3年間正体がわからないと願いが叶う奇祭だ。

一つ目の写真の木は荘内神社内にあるヒイラギで、通常の葉はトゲがあり触ると痛いが、ここの葉は丸みを帯びていて痛くない。老木になるとこういう現象になるそうだ。

二つ目の写真の木は葉に厚みがあり、文字を書くことができる。「タラヨウ」という木で、暖かいインドでは葉がもっと大きくて葉の裏で経文を写したそうだ。葉に文字を書くので、ハガキの木と言われている。郵便局に鉢植で置いてある所もあるようだ。

大寶(たいほう)館(館内撮影禁止)

大正4年に大正天皇即位を記念して創建された建物。人物資料館として、明治時代以降活躍した鶴岡ゆかりの人の資料が展示されている。

鶴岡城址公園

鶴岡城址公園の桜は、日本さくらの名所100選に選ばれている。その中でも特に珍しい桜は、木が横たわる形で伸びている桜になる。

致道博物館

致道博物館がある場所は鶴ヶ岡城の三の丸にあたり、古くは庄内藩の広大な御用屋敷があった。旧庄内藩主酒井家より資料・美術品や土地・建物などが寄付され、昭和25(1950)年に致道博物館としてオープンした。

1864年に江戸中屋敷の一部を移築したと伝えられる藩主の隠居所である御隠殿(ごいんでん)やその奥座敷から望む国の名勝に指定された酒井氏庭園をはじめ、明治10年代に建てられた旧西田川郡役所と旧鶴岡警察署庁舎そして江戸時代に建てられた湯殿山山麓田麦俣民家の3棟が移築され、展示されている。3棟とも重要文化財に指定されている。

旧西田川郡役所

・旧西田川郡役所は現在工事中につき、中の見学はできない。江戸時代末期から明治時代初期の資料が展示されている。

旧鶴岡警察署庁舎

明治17(1884)年築で、昭和32(1957)年移築されている。

取調室

取り調べする人が座る椅子の前に、取り調べされる人が座るところは一段低くなっていて、テレビで見る江戸時代の奉行と罪人の光景を思い出す。このような部屋が2部屋あるが、どういう使い方をしていたかはわからないそうだ。

急な階段を上り、2階に上がると鶴岡市中心部の風景を望むことができる。この建物ができた当時は、一番高い建物だったそうだ。

旧庄内藩主御隠殿(中の写真撮影禁止)

幕末になると参勤交代がなくなったので、江戸の中屋敷を中門とともにお殿様の隠居屋敷として鶴岡に移築された。

屋敷内では釣り竿(庄内竿)の展示がおこなわれている。苦竹(にがたけ)という種類を使用し、継ぎ目のない1本竿で竹の根っこを飾りとして残しているのが特徴になる。長いものだと7m以上もあり、江戸時代足腰の鍛錬になることから、武芸の一つとして釣りを奨励していた。足を滑らして海に落ちると禄高が減らされるというペナルティがあった。   

庭の見える奥座敷の床下には瓶(かめ)が敷き詰めてあり、響くような仕掛けになっている。能を舞うための音響効果だった。

酒井氏庭園

鳥海山を借景としている庭園で、国の名勝に指定されている。

旧渋谷家住宅

1822(文政5)年築で、出羽三山参詣の宿や先達・強力などを生業としていた民家を移築したもの。山峡の雪深い地域に適応した4層構造になっていて、明治に入り養蚕業をはじめ、兜造りと呼ばれる均整採れた美しい茅葺き屋根が特徴になる。

藩校致道館

文化2(1805)年創設の藩校で、当初は現在の鶴岡駅前通りにあったが、11年後の文化13(1816)年に10代藩主酒井忠器(ただかた)が政教一致を図るため、城の近くの今の場所に移した。

表御門

殿様が出入りした藩主御成りの門で、当時建てられたものである。

聖廟

2月と8月に儒学の祖である孔子を祭る釈奠(せきてん)という儀式がおこなわれた。階段が両サイドなのは、真ん中の扉の奥に孔子の像が描かれていて、外に出る時にお尻を向けないためだそうだ。

校舎跡

当時建物があったところには、発掘調査と資料を基に、当時の建物の間取りを平面的に表示している。

講堂

致道館の文字が実際は文字のまわりを彫ってあるが、目の錯覚で浮き上がって見える。

教育方針

朱子学を藩学とする藩が多い中、庄内藩は荻生徂徠の提唱する徂徠学を教学とした。

今でいう小・中・高・大学・大学院の5段階あり、数えの10才で入る句読所(小学校に当たる)は、先生が付いて読み方や書き方を教える。そのあとは自学自習が基本で、自ら考え学ぶ意識を高めることを重んじ、個性に応じてその才能を伸ばした。また会業と言い、数人で自分の意見を言い合う討論会がおこなわれた。

本舎(今でいう大学)に進めるのは、1割以下だそうだ。

御入間(おいりのま)

講堂の奥には10畳の部屋が4つ連なっている。手前の部屋は御台子(おだいす)の間で雑務をする部屋、その次が御三の間・次の間と控えの間が続き、一番奥が殿様専用の部屋で御居間(おいま)と言い、天井や床下には賊の侵入を防ぐ細工がしてある。

御居間で、明治元年9月28日に、13代藩主酒井忠篤(ただずみ)と新政府軍黒田清隆により会談がおこなわれた。逸話として、新政府軍に降伏の会談のため、当初は上座に黒田清隆が座ったが、話が終わった後、殿様に上座を譲って雑談した。殿様を立てる姿に家臣たちは感動した。旧庄内藩士が後に黒田清隆に確認したところ、西郷隆盛の指示だった。その話を聞き、旧藩士たちが次から次へと西郷隆盛の教えを請いに鹿児島へ行き、西郷南洲遺訓として西郷隆盛の言葉を記録した。そういういきさつがあり、現在鹿児島市とは姉妹都市ではなく、兄弟都市となっている。

馬場町のタブノキ

山形県唯一の島の飛島から400年以上前に持ってきた木で、鶴岡の気候で育つのは珍しい。家老の屋敷にあり、手入れが良かったのではないかとのこと。

追記

今回見学できなかったが、鶴岡市出身の時代小説作家・藤沢周平の「藤沢文学」の資料を展示してある藤沢周平記念館が鶴岡公園の中に建っている。

鶴岡市観光ガイド協議会

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ツアープラン情報

ツアー名
城下町コース
料金
ガイド1名 1,000円(税込)
開催日時
9:00〜17:00
※ 年末年始(12/29〜1/3)を除く
ツアー時間
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