
江戸時代、毛利二万石の城下町として栄えた歴史と武家屋敷の街並み。かつて、明治を代表する短編作家と評される国木田独歩が寄寓した坂本邸などをご案内します。古い町並みを残す船頭町と、その界隈の街歩きガイドもはじめました。また、国定公園日豊海岸の一角であるリアス式海岸の鶴見半島。自然と食を満喫するバス乗車ガイドを行っています。
概略説明
佐伯市は、2005年に8か市町村が合併し、九州で一番広い市で、大阪府と同じくらいあり、 面積903.4㎢。九州最東端の岬・鶴御崎があり、朝陽が九州で最初に上がる。国定公園が二つあり、海側は日豊海岸国定公園で、リアス式海岸になっていて、サンゴ礁の北限といわれ、猫も多い深島(ふかじま)がある。山側は祖母傾(そぼかたむき)国定公園で、ユネスコエコパークに登録されている。佐伯には、美味しいものがたくさんあり、水産業が盛んだそうだ。
大手前から養賢寺(ようけんじ)までの700mが、「歴史と文学のみち」で、日本の道百選の一つになっている。江戸時代、佐伯藩には四教堂(しこうどう)という藩校があり、その流れを受け継ぐのが佐伯小学校だ。佐伯藩は、2万石の小藩にもかかわらず、学問に力を入れていて、武士の子弟など300人くらい学んでいたそうだ。
三の丸櫓門
佐伯のシンボルで、正式名称「佐伯城山三の丸櫓門」といい、渡櫓門(わたりやぐらもん)という形式になっていて、佐賀・長崎・熊本とここにしかないそうだ。門の左手の石垣は、のづら積みで、門の右手の石垣は、打込み接ぎで造られていて、門の両側で積み方が違うのは珍しい。石垣の石は、海から持ってきた石なので貝殻を見つけることができる。櫓門がスロープになっているのは珍しく、1637年築で県指定重要文化財になっている。
三の丸御殿は、3代目の藩主の頃、佐伯城本丸と別にふもとに建てられた。三の丸の跡地は文化会館になったが、現在御殿の一部を移築して公民館として利用されているそうだ。
矢野龍渓顕彰碑
矢野龍渓(やのりゅうけい)は、佐伯出身で、 四教堂で学び、ジャーナリスト、小説家など明治のマルチ人間として活躍されたそうだ。国木田独歩を教師として、佐伯に呼んだことでも知られている。
佐伯文庫跡
学者大名といわれた佐伯藩8代目が、長崎に買い付けに行って、本八万巻集め、日本三大文庫の一つとのこと。学問好きで、四教堂を始めた殿様でもある。現在、佐伯に残っているのは2千冊で、残りは中国に戻ったり、宮内庁で保管されたりしているそうだ。
小藩だったが、本を集められたのは、水産業が盛んだったからではないかとのこと。「佐伯の殿様 裏で持つ」という言葉もあるそうだ。
城山
城山は、144mの高さで、一番上りやすい道で独歩碑の道と呼ばれている道は、距離にして800mあり、それ以外にも登城の道・翠明の道・若宮の道の3ルートある。
佐伯城は、続日本名城の城百選の一つで、登城の道は、昔武士が登城するために歩いた道がそのまま残っているのが珍しいので、お客様には人気があるそうだ。佐伯城は、城の形が鶴の羽を広げたようになっているので、佐伯城を別名鶴屋城といわれている。
武家屋敷通り
山際通りといわれていて、三の丸から通りに入る左手には、番所があり、馬小屋があったそうだ。道の広さは、馬一頭通れるほどの道幅で、屋敷のあったと通りの逆側は沼地だったが、昭和になってから建物が立ったそうだ。
土屋邸
6代の藩主の時に、豊後森藩から一緒に来られた家で、落羽松(らくうしょう)という珍しい木がある。庭がきれいだ。
矢野龍渓の生家跡
父親が東京の葛飾の県知事になって、東京に移り、慶応に入ったそうだ。生家は、寄付され、現在は小学校のプールとして使用されている。
薬医門(やくいもん)
もともとは矢を喰いとめる門の意味だが、医者が好んで作ったともいわれている。
大名行列
見学した時期がちょうど桜の咲く頃だったが、その時期にはさいき春まつりがあり、菊姫様が市民から選ばれ、菊姫行列があるそうだ。道筋には、3万本の竹灯籠が並び、夕方はとても幻想的だが、コロナの影響で見学した年はなかった。
汲心亭
昔は米蔵だったところに、憩いの場所として作られて、枯山水の庭を見ながら、抹茶を300円でいただくことができる。
安井(あんせい)
江戸時代に、御典医今泉元甫(げんぽ)が飲料水に苦しむ城下西町の人のために、掘った三つの井戸・三義泉(さんぎせん)のひとつで、昭和の時代まで使われていたそうだ。
山際史跡広場
上級武士山中家の屋敷跡。
国木田独歩館
国木田独歩が下宿していた家が、国木田独歩館として開放されている。国木田独歩は、千葉県人で、英語と数学の教師として矢野龍渓が呼び寄せたそうだ。21才の時に、体が弱い弟と共に来て、10か月間のみ滞在だったが、あちこち歩き佐伯を書いた本を何冊も残している。
建物は、11代藩主の別邸で、お浜御殿といわれていたものを、坂本家が移築し、2階がなかったのを足した部屋に、国木田独歩は7歳下の弟とともに下宿し、教頭の待遇で給料が良かったそうだ。
観光交流館
昭和11年に、相当なお金をかけて建てられた立派な建物で、その後つたや旅館として 営業され、市民にも親しまれていた。昭和初期の建物にしては、大変モダンなつくりになっている。平成27年に、観光向けに開放され、現在は、会議や催しとしても利用できる。
長屋門
女中や門番さんが住んでいた建物の門。
上級武士宅
当時のままの屋根や門がそのまま残っている。
養賢寺(ようけんじ)
佐伯藩(毛利家)の菩提寺で、今でも修行僧がいるため、中の拝観はできない。臨済宗の妙心寺派のお寺で、御成門もある。
五輪の塔
毛利家のお墓で、2万石の大名にしては立派なお墓なので、相当な財力があったことがこれを見てもわかる。もともと佐伯氏がこの地方を大友氏の配下として、400年間治めていた。大友氏滅亡後、豊臣秀吉の家来だった森家が、毛利輝元から毛利の名前を拝命し、天領の日田から佐伯に来て、270年続いた。

さいき観光ガイドの会
江戸時代、毛利二万石の城下町として栄えた歴史と武家屋敷の街並み。かつて、明治を代表する短編作家と評される国木田独歩が寄寓した坂本邸などをご案内します。古い町並みを残す船頭町と、その界隈の街歩きガイドもはじめました。また、国定公園日豊海岸の一角であるリアス式海岸の鶴見半島。自然と食を満喫するバス乗車ガイドを行っています。
- 所在地
- 〒876-0848 大分県佐伯市城下東町8-19 佐伯市城下町観光交流館内
- 電話番号
- 0972-28-5656
ツアープラン情報
- ツアー名
- 歴史と文学の道
- 料金
- ガイド1回につき 2,000円
※旅行会社からの申込みは別途料金になります。
- 開催日時
- 9:00〜18:00
- ツアー時間
- 1時間
- 予約受付
- 7 日前まで
- お問い合わせ
-
さいき観光ガイドの会
- TEL
- 0972-28-5656
- 定休日
- 年末年始期間(12月31日~1月3日)
- 営業時間
- 9:00〜18:00