車中案内150分コース

お客様が乗ってこられたバスや車にボランティアガイドが乗車する車中案内(徒歩による街歩き)で、被災の大きかった地域をご案内しながら語り伝えることを行っております。

大川小学校

小学校の回り一帯には商店街や住宅があった。この辺りは、東日本大震災までは災害にほぼ無縁の地域だったことも被害を大きくした。

小学校裏の山の奥は海

地震後校庭に生徒が集まった後、先生の指示がすぐに出なかった。

ハザードマップはあったが、地区では災害時の避難の取り決めがはっきり周知されていなかった。

三角地帯に向かう途中で津波にあい、生徒74名(うち4名は行方不明)教職員10名の命が亡くなった。

立っているところは学校外で、校庭から三角地帯に向かうルートをグレイのコンクリートで示している。狭いスペースの中を逃げようとした。

多くの生徒が亡くなったので、当初は遺族から学校を残さないでほしいという声がほとんどだったが、生き延びたお子さんから「楽しかった学校生活の思い出もある」ので残してほしいという意見を聞き、住民の方々が話し合いを重ね、最終的に遺構として残すことに決まったそうだ。

丸みを帯びたモダンな校舎だった
建物を繋いでいた渡り廊下が津波の影響で崩れていた

窓ガラスのサッシはほとんど残っていない。腰壁のコンクリートも崩れて跡形がない状態になっている。

崩れた渡り廊下を近くで見ると、支えていた柱の太さにびっくりする。いとも簡単に津波によって倒された。校舎側の入り口が口を開けたようになっている。

野外音楽堂の外壁に書かれた卒業生たちの絵は残っていて、もの悲しさを誘う。奥の山肌にある津波到達点の看板は近くで見ると意外に低く、改めて何とかならなかったのかと思ってしまう。

野外音楽堂の奥から5年生がしいたけを育てていたという裏山がある。当時はもっと木があって、地震で倒れる心配があったため、ここから登って避難する判断にならなかったそうだ。

大川震災伝承館

まだ4名の生徒が行方不明で、そのうちの1名のランドセルが大事な思い出の品物として自宅にあったものが、津波がきた15時37分前後で止まった時計などとともに伝承館に展示されている。 

震災後、津波の影響で住宅が無くなり河口が広がったように見える写真が、震災前の状況と比較できるように写真が並べられている。その他、8年間続いた裁判についてのパネルの展示があった。

現在は、地域と学校が一緒になって防災をおこなわれるようになったそうだ。

雄勝町

石巻市雄勝町は、大川小学校から車で10分ほどのところにある漁師町で、地元の石を使った硯の生産地としても有名だ。修験者の祈祷の舞と言われる春季例祭(旧暦3/14~3/15)の時に奉納される雄勝法印神楽は、国の無形重要文化財に指定されている。雄勝町も津波で大きな被害が出た。現在は、湾一面を防潮堤で囲われている。

雄勝硯伝統産業会館

1396 年頃すでに産出されていたと伝えられている硯の素材を使った食器
壁材や東京駅の屋根にも使われている
東京駅南口地下1階に飾られている大壁画と同じ図柄

別棟には、雄勝町の海産物などが売られている。

震災遺構門脇小学校

門脇小学校は、石巻市中心地の海近くにあった。裏山にある日和山に日頃から避難訓練がおこなわれていたので、地震後、下校済みだった低学年の一部を除く270名が直ちに校庭に集まり、避難を開始した。

津波の高さは1.8mほどだったが、建物は火災による被害が大きかった。

小学校があった門脇地区には約1700世帯・5000名の方が住んでいて、約400名の方が亡くなった。石巻市全体では、死者3187名・行方不明415名(令和3年2月末現在)。

震災が起きる2日前にも地震があり、石巻市鮎川地区では50㎝の津波があったので、高い津波は来ないだろうと思ってしまったかもしれないとガイドさんは話された。

残った体育館

鮎川地区の車庫にしまってあった消防団のポンプ車が、津波後に見たらグジャグジャの状態だった。

校舎2棟並んだ奥の建物は、火災の被害を免れた。現在は、展示コーナーとして利用されている。

火災の被害があった校舎内は、その時の雑然とした状態になったまま展示されている。

門脇小学校の思い出

明治6年創立の歴史のある小学校で、門脇地区の震災前の町並みや学校の思い出の品などが展示されている。

震災後の校庭の様子や教室の様子の写真

校舎からの脱出

生徒が避難した後に、校舎の2階に避難していた地域の人たちを、学校に残っていた先生たちが校舎の裏側から裏山になる日和山に教室にあった教壇を渡して避難させた。また体育館に避難していた人たちには、教壇をはしごとして活用し、日和山に避難した。

地震発生直後の地元のラジオ局のアナウンサーの声を流しているコーナーがあり、緊迫感が伝わってくる。

震災が起きてからどのようなことが起きたかを写真を中心に説明している。

地元の石巻日日新聞が新聞発行できなかったため、6日間にわたり手書きで壁新聞を市役所・病院・避難所などに貼り出した。

震災1か月後に、門脇地区に住んでいた方が流された仕事場兼自宅に、皆を元気づけようと貼り出した。ご自身も別の場所で仕事をしていて、車から投げ出され、九死に一生を得たそうだ。下の写真は当時掲げられた看板。その場所には現在3代目が掲げられている。地域の子供たちが2代目・3代目の看板を書いている。

仮設アパートの展示

実際に使っていたものを移設してきた。通路幅は当時のままに造られている。

石巻観光ボランティア協会

石巻・大震災まなびの語り部だけでなく、市内各所の歴史についてのご案内も行っております。

団体窓口
石巻観光協会
所在地
〒986-0822 宮城県石巻市中央2-21 かわまち交流センター
電話番号
0225-93-6448

ツアープラン情報

ツアー名
車中案内150分コース
料金
乗車・車中案内
90分 3,000円
120分 4,000円
150分 6,000円
まち歩き・バス乗車は別途料金となります。
(震災遺構門脇小学校入館料は別途必要となります)
開催日時
9:00〜日没まで
ツアー時間
150分
予約受付
7 日前まで
お問い合わせ
石巻観光協会
TEL
0225-93-6448
定休日
年末年始
営業時間
9:00〜17:45
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