ゆるり土佐市お遍路旅(お遍路道コース)

「土佐遍路道 青龍寺道(塚地坂)」は、高知県の道で初めて国史跡に指定されたお遍路道で、塚地坂の歴史や点在するお遍路の遺物などを紹介します。頂上では土佐湾を望みながら、土佐市銘菓のお接待をお楽しみください!また終盤には、高知県で3市町村でしか発見されていない、岩肌に描かれた少しゆるい石仏「磨崖仏(まがいぶつ)」もご覧いただけます。
※休憩を挟みながら約2kmの整備された山道を歩きます。途中下山は難しいコースですので、不安な方は一度ご相談ください。

概略説明

土佐市内にある四国霊場35番札所の清瀧寺(きよたきじ)から36番札所の青龍寺(しょうりゅうじ)に向かう途中にある塚地峠(塚地坂)には、88ヵ所の寺院を巡るお遍路スタイルになる以前から利用されていた道だと推測される石造物が、今もきれいな状態で多数残っており、土佐遍路道「青龍寺道」として、2016年10月に高知県で最初に史跡に登録された。道として史跡に登録されるのは珍しい。

青龍寺は、弘法大師が中国で修行していたお寺の名前で、弘法大師ゆかりのあるお寺となる。弘法大師が唐(現在の中国)に修行に行き、帰国する際に師である恵果和尚の恩に報いるため、日本にも青龍寺を建立したいと「寺院建立の景勝地に留まり給え」と東の空に向かって独鈷杵(とっこしょ)という法具を投げたところ、現在の奥の院の松の木に刺さっているのを見つけ、この地に寺院を建立したと言われている。現在、その独鈷杵は青龍寺に大切に保管されており、仏事などに使用されている。

お遍路は、歩いて周ると1200km、車だと1400kmになる。四国の人は、バスツアーや町内で周ることがあり、住んでいる近くから周る人もいるそうだ。

夜売りの道

塚地峠を越えると、宇佐の港に出る。昔は土佐地方ではナンバーワンのかつお漁の盛んなところで、カツオを積んだ船が港に着くと行商人たちが、日暮れの塚地坂や新居坂を通って土佐市の中心地や高知市方面に売りに行っていたところから「夜売りの道」と呼ばれている。宇佐町にある真覚寺の江戸時代の住職の日記には、カツオを運ぶ職人に出会った時の絵が書いてある。

遍路墓

塚地の塚はお墓の意味で、この辺りは石屋さんが多い。峠の入り口には、途中で亡くなった人達の遍路墓があり、地域の人たちが埋めたものだそうだ。お遍路さんは亡くなったら墓を建ててもらうように、襟にお金を入れておく。墓の数も結構あるので、昔は決死の覚悟で出かけたのだろうか。ちなみに、お金のない人は、墓は建たない。 

遍路墓の一つを見てみると、「高松領阿野郡坂出村百姓類」明治4年4月20日と書いてあり、当時は通行切手(手形)を持って遍路に出かけていたので、どこの人かが判るようになっている。

塚地峠までの上り道

峠までの距離は840mあるが、100mごとに標識があり、植物の話しを聞きながら登るため、坂もそれほど苦にならずに上ることができた。

ヘラシダ

30㎝くらいまで葉が育つ。

ウラジロ

葉の裏が白い。しめ飾りに使われる。

シシガシラ

茎にたくさんの葉をつけているようにみえるが実は1枚の葉になっている。

ネズミモチ

実がネズミの糞に似ている葉がモチノキの葉に似ているところから命名された。

実を中国では漢方薬に使っている。

滋養強壮・美容液

漢方名:女貞子

お遍路さんが木に札を掛けている。

地元の人のカツオの食べ方の話しを聞く。

  • カツオが揚がったその日は、刺身にして食べる
  • 次の日はたたきにして食べる(早めに腐る)
  • 残ったら、火に入れて煮る(生節にする)
  • 更に冷蔵庫に入れて何日かしたら、火を入れて焼く

どんどん乾燥させていき、カビをつけると鰹節になる

土佐市宇佐町は、土佐節発祥の地と言われていて、天正の頃(1573~1591)和歌山から来た漁師が鰹節の製法を播磨屋亀蔵に伝授し、延宝年間(1673~1680)五代目佐之助が改良を加え現在に伝わる土佐節を完成させたと言われている。

遍路道を1番から順番に周るのを順うちというが、閏(うるう)年(4年に1回)に逆うちと言って、反対から周ると3倍のご利益や功徳が得られるという話しもあり、これには逸話がある。

伊予の国にいた豪商の衛門三郎が、托鉢をしていたお坊さんを追い払い、何度も来るので、ほうきを使って鉢を8つに叩き割ったら、次の日から来なくなった。ところが翌年から8人の子が毎年1人ずつ亡くなったので、なぜかと近くのお寺で聞いたら、追い払った人が弘法大師だったとわかる。そこで、謝るために弘法大師を追っかけて遍路道をぐるぐる回ったが、同じ方向に回るため、会うことができなかった。

21回目にハタと考え、逆に回ったらどうだろうかと考え、逆向きに歩くと12番札所辺りで、息絶え絶えになって、弘法大師にようやく会うことができ、謝ることができた。弘法大師から何か願いがないかと聞かれ「住んでいるところのお殿様になりたい」と言ったので、石に弘法大師と衛門三郎の名前を書いて手に握らせた。まもなく本人は亡くなったが、その翌年にお城に男の赤ちゃんが生まれ、手に石を握っていた。その石にその時の名前があった。 

手やり石

昔は字を読めない人がいたので、手で方向を示した。手の形は、彫ってあるものと浮き出ているものの2種類ある。(下写真は彫ったもの)

塚地峠

見学したのは1月の冷えた日だったが、峠に出ると暖かく感じた。峠を境に北と南では寒暖の差があるそうだ。

下の写真は、フジツツジという品種で、春に花が咲いてとてもきれいとのこと。ちなみに、花を命名したのは郷土の植物学者の牧野富太郎氏。

休憩所

正面に広がる海の景色で魅了される。奥の島には、36番札所がある独鈷山も見える。

正面に見える宇佐港からジョン万次郎が1841年1月27日(旧暦1月5日)に出港して、その後遭難したそうだ。

お接待

ここでお接待を受ける。お遍路さんの気分を味わう。

山道の中で話しを聞いたネズミモチの実から採った薬膳茶(女貞子)と地元の銘菓「真珠もなか」をいただく。真珠のアコヤガイの形をしていて、中に牛皮を真珠に見立てた餡が入っている。宇佐湾では真珠の養殖が盛んだったそうだ。

遍路道(下り)

引き続き草木や昔の話しなどを聞きながら、下っていく。

豆シダ

葉を二つに折ると鳴るそうだが、冬で乾燥しているせいか鳴らなかった。

普通の山の風景だが、昔は段々畑になっていてミカンなどの栽培おこなわれていたそうだ。

今は全く面影がない。

石垣の上には田んぼがあった。

道沿いにある大きな石には、

「之より青龍寺まで49町半(約5.4km)」

と彫ってあり、道しるべの一つとなっている。

枯れない水で、「大師の泉」と呼ばれているそうだ。

磨崖仏

風化が激しいが、石に江戸時代初期に彫られたと言われている磨崖仏が描かれている。 

極楽浄土にいる鳥の迦陵頻伽(かりょうびんが・体が1つで頭が3つ)、椅子に座っている弘法大師、薬師如来、阿弥陀如来、不動明王、地蔵菩薩などが描かれている。

安政地震の碑

約300年前に起きた地震による犠牲者を追悼する碑がある。当時の津波がここまで来たという証でもある。そのおかげで、昭和21年の南海大地震の時には、犠牲者がほとんど出なかったそうだ。

ツアーを終えて

江戸時代の面影の残る遍路道を歩き、2時間ほどの行程でしたが、遍路気分を味わうことができました。単独で歩くのはなかなか難しいと思いますが、地元の人と一緒に自然や歴史に触れながら歩くのは楽しく感じました。

土佐市ドラコンガイドチーム

高知市のお隣、車で30分ほどのところにある土佐市。 国史跡指定のお遍路道「土佐遍路道 青龍寺道(塚地坂)」や古くから鰹やうるめイワシなどの漁で栄えた漁師町「宇佐町」など、土佐市の海側を中心に地元ガイドがご案内いたします。

団体窓口
土佐市観光協会
所在地
〒781-1101 高知県土佐市高岡町甲1892-7
電話番号
088-881-3359

ツアープラン情報

ツアー名
ゆるり土佐市お遍路旅(お遍路道コース)
料金
1名 3,000円(保険料、税込)
※ 特産品のお土産付き
受入れ人数 2名以上
(20名以上の場合、団体として班分け対応)
※ 別途タクシー代が1台当たり720~820円かかる場合があります。
※キャンセルポリシ・・
2日前までキャンセル料なし
前日からキャンセル料として体験料100%
当日連絡なしで集合時間から10分経過した場合はキャンセルとみなします。
開催日時
通年(6,8月は除くが、対応できる場合があるので相談ください)
9:00~15:00
ツアー時間
約2時間
予約受付
5 日前まで
(ただし、団体の場合は1か月前)
お問い合わせ
土佐市観光協会
TEL
088-881-3359
定休日
お問い合わせください
営業時間
8:30〜17:30
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