高松は、自然災害(台風・地震など)が少なく、また、魚・野菜・柑橘類や肉など食べ物がおいしいこともあり、日本で住みやすい都市ランキング第3位になっています。退職してから移ってくる人が多いのが特徴です。
概略説明
天正15(1587)年に讃岐に入った生駒親正が、翌年から築城に着手した高松城は、瀬戸内の海水を堀に引き込み、日本三大水(海)城の一つと言われている。
生駒家はお家騒動があり4代54年しか続かなかった。その後、水戸家から徳川家康の孫で水戸光圀公の兄の松平頼重が12万石領主として入城した。松平家は12代228年続いた。
当時20万坪あった敷地は現在2万4千坪で、昭和29年に高松市の所有となり、翌年から一般開放されるようになった。国の史跡として指定されている。
高松は、自然災害(台風・地震など)が少なく、魚・野菜・柑橘類や肉など食べ物がおいしく、日本で住みやすい都市ランキング第3位になっている。退職してから移ってくる人が多い。
松ぼっくりのクリスマスツリー
天守閣と同じ高さの26.5mのツリーを公園内の松ぼっくりを使って作られていて、クリスマス前から1月末くらいまで二の丸跡に展示されている。敷地内に松が1000本ほどある。
高松市は松の盆栽が日本一だそうだ。
生駒家の庭園
二の丸跡近くに生駒家の枯山水の庭園があり、石を滝に見立てたところがあり、激流に逆らい滝を鯉が登ると龍になり空へ舞っていくという登竜門の故事にちなんで造られている。
鞘橋(さやばし)
鞘橋は生駒家時代からあったが、当初屋根や横の囲い(てすり)はなかった。江戸中期に屋根と手すりができた。橋は天守閣に行く唯一の通路で、敵が来たら橋を切り落とす仕掛けになっている。
堀は海水なので、鯛・チヌ・ボラ・ふぐなどが泳いでいる。
天守閣
平成17~25年にかけて、天守台の石垣をいったん解体した後積み直すという修復工事がおこなわれた。石垣の積み方は野面積みで、角の斜めの所は算木積みになっている。
天守閣の高さは42.5m、地下室があり3層5階建てで、四国では一番高かった。姫路城の天守閣は45mでほぼ同じ高さだ。今後復元する計画がある。天守台に向かう階段の高さが不ぞろいになっていて少し歩きにくくなっているのは、天守閣があった当時の状態を復元してあるためだ。天守閣跡の楚石は田の字に並んでいて、海に近い石使っているせいか貝殻の化石を見ることができる。
石垣の中にハートマークに石があり、見つけることができると幸福になれるという話しがある。
堀
堀が海とつながっているので、満潮時は堀に海水が入り、干潮時は海に堀の水が流れる。堀の高さが満潮時で6m、干潮時は4~5mと、水位が変わる。。
堀に近づいてみると、鯛が寄ってくる。堀に浮かんでいる船は、12~2月を除く時期に、お客様を乗せて堀を遊覧するそうだ。
月見櫓・水手(みずて)御門・渡櫓
1676年頃に完成した水手御門・月見櫓を造るために石垣を増設した。生駒家時代の石垣(写真左)と松平家(写真右)の石垣が積み方がまるっきり違うことが分かる。
水手御門
この門から船に乗って参勤交代のため江戸に向かったと言われ、堀と海がつながっていた。
正面に見える女木島は鬼ヶ島ともいわれ、桃太郎伝説で鬼がいた島と言われている。
月見櫓
月見櫓は、北の丸の隅櫓として、出入りする船の監視をするために建てられた。藩主が江戸から船で帰られるのをこの櫓から見たことから、着見櫓ともいわれている。高松城には、全部で18の櫓があった。
高さ14.5m・ 3層3階で、白い漆喰に黒い板塀が入っているのは徳川家の紋になる。全国に2つしかない。屋根は、1階が切妻、2階が唐風、3階が入母屋造りと形を変えている。
国の重要文化財に指定されている。
被雲閣(ひうんかく)庭園
大正6(1911)年に被雲閣を復元されたときにあわせて枯山水の庭園が造られた。
北側の入り口手前には、石をわざと凸凹にした崩れ石垣の上に、京都の建仁寺と同じを細工の建仁寺垣と凝った造りになっている。
被雲閣庭園には、29種類の灯篭がある。
墓石などに使われる高松産の庵治石(あじいし)の灯篭、高さ4mもある春日灯篭、昔は高松も雪が降ったことがありその時に灯りをつけたといわれる雪見燈籠、占いに使っていた奥の院灯篭、曲線の石でできた本菊灯篭、月見灯篭など。
銀閣寺と同じ模様の手水鉢だが、こちらのほうがかなり大きい。高さ2m・水が11t入る大きさは権威を示すためで、使う目的ではない。1000円かかっている。(現在のお金で1千万円)
松には黒松と赤松があり、見分け方は手を葉に充て、痛いのが黒松、痛くないのが赤松だ。
被雲閣
松平12代松平頼寿(よりなが)が自費で建てた。(当時のお金で20万円(現在価値20億円))江戸時代は藩の公務や藩主の住まいとして使われていた建物を復元した。(建坪600坪・以前の半分)昭和天皇陛下が2度泊まられた。国の重要文化財に指定されている。
映画「椿三十郎」「春の雪」(主演:竹内結子)や水戸光圀の撮影で使われた。
玄関入ると正面に、5代藩主松平頼恭(よりたか)の書いた「被雲閣」の文字が目に入る。
1階・2階とも廊下の天井が高い。
天皇陛下が泊まられた2階の廊下は広く、天井の板は一枚もので造られている。照明の模様は二葉葵で、上加茂神社の家紋が施されている。
12代松平頼寿(よりなが)が泊まるときに使用した1階の部屋は、欄間に松平家の裏家紋(桐の6つの葉)が描かれている。床の間の床柱は、絞り松と言って2~3年かけて模様をつけたものだそうだ。
2階の天皇陛下が泊まられた部屋から海が見え波の音が聞こえたので、「波の間」と言われている。欄間には、鳳凰と桐の葉が描かれていて、
その細工には金粉が施されている。
広い調理場となっている。戦後の一時期に進駐軍が常駐したり、香川県警の宿舎としても利用されていたので、調理場は重宝したものと思われる。香川県警の課長として元首相の中曽根康弘さんもいたそうだ。
天皇陛下が泊まられた2階から窓越しに外を見ると、下の写真の風景が広がる。
陳列館
陳列館では、高松城や歴代藩主に関する文化財や資料・模型・古写真等が展示されている。
徳川家康の第11子の徳川頼房が水戸徳川家として水戸藩主となり、高松藩初代藩主となった松平頼重はその嫡男として生まれた。側室の子で産むなという命令だったが隠れて生まれたため、京都の天竜寺で15才まで過ごした。その後生まれた光圀が水戸家を継いだが、母親が一緒だったため生涯にわたってお兄さんに引け目を感じ悩んだそうだ。そのためか、光圀の子を2代高松藩主にして、頼重の子を次の水戸藩主になった。
その縁で、水戸市と高松市は姉妹都市となっている。また、井伊直弼の娘と11代藩主が結婚したことを背景に、城と城の縁で、彦根市と姉妹城都市にもなっている。
葵の御紋
将軍家の家紋は葵の葉がすべて表、尾張家の家紋は2枚表で1枚裏、紀州家の家紋は1枚表で2枚裏、水戸家の家紋は3枚とも裏だそうだ。高松藩の家紋は水戸家の分家なので3枚とも裏となっている。
艮(うしとら)櫓
元々は東の丸の北東の隅にあった櫓で、北東の方角を丑寅というところから名付けられた。昭和40(1965)年に2年かけて現在地に移設された。月見櫓と同時期の1677年頃に造られたもので、国の重要有形文化財に指定されている。
ツアーを終えて
当時と比べ狭くなったとはいえ、広大な敷地に江戸時代に建てられた櫓や石垣のガイドさんのわかりやすい説明を聞くと、当時の雰囲気を味わうことができました。また、大正6年に復元された被雲閣も、江戸時代を彷彿させる建物の造りや天皇陛下が泊まられた部屋の内装や外の景色に興味が引かれました。
高松市観光ボランティアガイド協会
観光客の皆様に、高松の歴史、文化、自然、物産などの魅力をより深く知っていただくため、地元市民がおもてなしの心で観光ボランティアガイドを行っております。ぜひ、ご利用ください。
- 団体窓口
- 高松市観光ボランティアガイド協会事務局
- 所在地
- 〒760-8571 香川県高松市番町一丁目8番15号
- 電話番号
- 087-839-2416
ツアープラン情報
- ツアー名
- 玉藻公園(高松城跡)コース
- 料金
- 無料
※ ただし、入園料別途
(大人200円、小人100円) - 開催日時
- 10:00〜15:00
(毎週土日は常駐) - ツアー時間
- 約60分
ガイド1名に10人まで
(団体は事前予約してください) - 予約受付
- 7 日前まで
- お問い合わせ
-
高松市観光ボランティアガイド協会事務局
- TEL
- 087-839-2416
- 定休日
- 土・日・祝日
- 営業時間
- 8:30〜17:15