八幡浜まちなかガイド

八幡神社を中心に開けた商港「八幡浜」。
明治から大正期、「伊予の大阪」と呼ばれた商人の町。県内の主要都市では戦災を免れ、まちなかには当時の面影を残す建物があちこちに残っています。私たち「みてみん會」と意外な発見の旅、ご一緒しませんか?

概略

八幡浜(やわたはま)の名は、八幡(はちまん)様の浜から来ていて、少し高台にある八幡(はちまん)神社は、昔は岬に突き出たところにあった。江戸時代に少しずつ埋め立てられ、港・商工の町として発展していった。

北近江の戦国大名浅井長政が織田信長に負け、一族は八幡浜に落ちのび、宇和島藩の大庄屋となり、大きな屋敷を構え、明治時代以降役所となっていた。

八幡浜は戦災を免れていたが、焼夷弾から官庁施設を守るため、重厚な町並みのあった市役所(現在の美術館・図書館)周辺の本町は、当局の命で建物疎開(※)が行われ、解体された。その1週間後にポツダム宣言受託となり、終戦を迎えた。なので、解体エリア以外にいくつか古い建物が残っている。

※建物疎開とは…都市への空襲の備え。火災による延焼を防ぐため、建物を壊して防火帯を造る事。全国では61万戸が壊された。

坂本歯科医院跡

坂本歯科医院は、大正から昭和初期にかけて建てられた借家形式の建物で、その一部が戦後~1995年にかけて歯科医院となっていた。閉院後は空き家のまま老朽化が進んでいたが、隣の清家貴金属店と併せて、現在は「坂本歯科医院を活かす会」により建物の再生活用が図られている。昔から八幡浜には多くの借家が立ち並び、リアス式海岸に立地した極小な土地を工夫した市民生活の物語が偲ばれる。

表の歯科医院の看板は、歯科医(女医)の弟にあたる坂本榮太郎氏(彫塑家)の製作で、篆書(てんしょ)体で彫られたユニークな作風もあって市民に愛されている。

現在内部では、かつての待合室や診察室を利用して、坂本家から見つかった資材を中心に「戦争と八幡浜ミニ展」も開かれている。

※ 展示内容は雰囲気で変更あり。

奥の部屋(かつての清家貴金属店側)では食器類のフリーマーケットも実施されている。

当時の貴金属店時代に使われていたキセルの管(ラオ竹)など現在では珍しい発見もある。

旧市立図書館

1951年築の旧市立図書館は、1960年の文芸春秋で日本を代表する建築家10人の一人に選ばれた松村正恒が設計した建物だ。松村正恒は、総合デザイン教育をおこなったバウハウスの設計思想を学び、1947~1960年の間八幡浜市の職員として、国指定重要有形文化財の八幡浜市立日土(ひづち)小学校をはじめ、市の建物を多く設計した。現在この建物の利活用が検討されている。

石垣

八幡浜市のいたるところに青石による石垣の美しい風景が広がっている。青石(緑色片岩または緑泥片岩)を主体とする三波川変成帯という地層上にある佐田岬半島は、かつて銅鉱山で栄えたこととも関連し、沖合に浮かぶ佐島には、明治26年に製錬所が開設されたほど。

(洋上精錬としては住友の四阪島製錬所より12年早い)

八幡神社

八幡神社は717(養老元)年創建で、1300年を超える神社。

次写真の鳥居は、1678(延宝6)年に建てられたもので、延宝鳥居と言い、県内で最も古いもの。

二宮忠八

寄付の石碑に名前がある二宮忠八は、八幡浜の偉人と言われ、ライト兄弟が人を乗せ初めて飛んだ飛行機よりも12年早く、模型飛行機を日本で初めて飛ばしたが、人を乗せた飛行機の開発は軍(国)に採用されず、日の目を見なかった。後に忠八は京都(現八幡市)の自邸内に飛行神社を創建。神主として飛行機で亡くなった人を弔った。

境内

神社の境内から町並みを見ると、先ほど見た旧市立図書館が手前にあり、背景に見える権現山(向灘地区)は、日本一の日の丸ミカンで知られるブランド産地。

石垣の彫り物

本殿を囲っている塀の下の石には、ひょうたんと盃や宇和島藩主伊達家の家紋「竹に雀」に因み、笹竹が彫ってあり、縁起のいいものとされている。

八幡浜の市街地を望む

八幡神社から下る坂道から港方面を眺めると、江戸期より埋め立てで発展してきた市街地を望むことができる。

大法禅寺

臨済宗妙心寺派1649年創建の禅寺で、開祖は岡山で修行したので、備前池田家の家紋「備前蝶」が屋根瓦に入っている。

鐘楼

総ケヤキでできた立派な鐘楼で、梅紺屋(稲生家)により、昭和5年に建立された。

禅僧西山禾山(かざん)和尚の豪快な笑いを表現した「禾山笑(かざんしょう)」は明治時代の有名な彫刻家平櫛田中(ひらくしでんちゅう)が製作した。国立博物館とここの2体あり、時々公開される。平櫛田中は岡山の人で、禾山和尚から仏教の教えを聞きに参禅し、謦咳(けいがい)に触れた。(尊敬する人に直接話しを聞く)

木造家屋の細工

持ち送り

庇(ひさし)を支える木材で、欅(けやき)の一枚板に装飾が彫られ、寺社建築に由来する意匠の一つ。その後庶民の間ではやり、やがて商家などにも使われるようになった。

袖壁

隣家への防火目的で造られたもの。

船つなぎ石

八幡浜は「伊予の大阪」と言われ、大いに賑わった港町で、交易船をつないでいた石(もやい石)が町中に残されており、昔の海岸線だった頃の名残でもある。

高橋邸

茶室を取り入れた数寄屋造りの建物で、門の両側の木の板は舟板が使われている。船の解体材は、潮水にさらされて腐りにくく、詫び寂びの風合いがあり、数寄屋建築の材料として重宝された。

玄関に入る石畳の細工

数寄屋造りの技法で、高さをそろえて敷き詰めるので、石の揃え方・配置などが難しく、高い技術が必要となる。

菊池邸

江戸時代から海運業を基本に様々な商品を扱い、幕末期には宇和島藩の御用商人でもあった。また、戦前は町長・戦後は市長だった菊池清治氏の邸宅跡で、主屋は明治6年に建てられた。

桜の木でできた立派な上がり框(かまち)や欅の大黒柱など、良材が質実に使われ、玄人好みの設えが感じられる。

八幡浜ボランティアガイド「八幡濱みてみん會」

港町八幡浜(商人が活躍して「伊予の大阪」と異名をとった)の町並みを市民の目の高さでご案内します。案内人が生活している町に"ええとこ再発見"して、訪問者に伝え、交流を創りたいと願っています。

団体窓口
八幡浜みなっと みなと交流館
所在地
〒796-0087 愛媛県八幡浜市沖新田1581番地23
電話番号
0894-21-3710

ツアープラン情報

ツアー名
八幡浜まちなかガイド
料金
1団体2,000円(10~15名まで)
まずはお問い合わせください
開催日時
通年(年末年始除く)
ツアー時間
60〜120分程度
予約受付
14 日前まで
お問い合わせ
八幡浜みなっと みなと交流館
TEL
0894-21-3710
定休日
年末年始(12月29日~1月3日)
営業時間
9:00〜21:30(受付時間は18:00まで)
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