陶郷中尾山散策~窯元「中善」見学コース

はさみ観光ガイド協会は、やきものの町である波佐見町のすばらしさをできるだけ多くの人に感じていただきたく日々活動しています。
やきもののほかにも、自然と歴史がこの地にはあふれており訪れるお客様に波佐見町の魅力をお伝えできるように努めています。
皆さんのお越しをお待ちしております。

概略説明

波佐見町は、長崎と佐賀の県境に位置していて、盆地の気候なので、夏暑く冬寒い。人口は、1.5万人で、日本全体人口が減っているが、波佐見町は昭和30年から人口が変わっていない。長崎自動車道のインターチェンジ近くに大企業の工場誘致されていることと基幹産業の焼き物業界が頑張っていることが理由だそうだ。長崎の海岸線は日本一長く、北海道より長いが、長崎の自治体の中で波佐見町だけ海がないとのこと。焼き物以外の産業は農業中心で、蒸気で田んぼが汚れるという理由のため、波佐見町内を鉄道は通っていない。

焼き物産業

波佐見町の東エリアに焼き物工場が集中している。事業所は220か所くらいあり、工程を分業制にしていて、小さい工場が多く、従事者は合計2~3千人(人口の2割程度)だそうだ。工程を大きく分けると、(1)土造り (2)石こうでの型つくり (3)石こう型を流し込んで生地を作る成形つくり (4)窯元(焼く、絵付け) (5)販売(商社)の五つがあり、(3)の成型業者が80社程度、(4)の窯元が100社程度、(5)商社が40社程度あるとのこと。

波佐見焼

有田焼・伊万里焼は有名だが、波佐見焼の名前はあまり聞かない。それは江戸時代、波佐見の生産量は日本一だったが、伊万里まで馬車で運ばれ、北前船で日本各地に伊万里焼として出荷されていたことによる。明治に入ってからは、有田に鉄道の駅ができ、有田に製品を持ち込んで有田焼として売っていたためだそうだ。20年くらい前に牛肉産地偽造事件が起きてから、産地を明確に表示するように指導されてから、波佐見焼という名前を使うようになったので、波佐見焼と呼ばれることは結構新しい。

焼き物

焼き物には、土から作る陶器と石から作る磁器の2種類あり、今使われているほとんどの食器は、色が白く軽くて強い磁器から作られている。江戸時代、中尾山で陶石が取れ、ここに窯を開いた。波佐見(大村藩)・有田(佐賀藩)・三河内(平戸藩)は同じ地域にあるので、陶工は行き来していたので、技術は同じだったと考えていい。江戸時代は藩が違い、佐賀藩は藩の規模が大きく、藩窯を作り、絢爛豪華な作品を作って献上していて、有田焼は派手で値段が高い。三河内焼も同じように献上品を作っていたのに対して、大村藩は、2万7千石の小国で、波佐見焼は地味で庶民向けで安く、生産量が多かった。

現在の陶石は天草陶石を使っていて、日本の焼き物の8割使われているそうだ。

くらわん館(陶芸の館)

ガス窯内部

燃料の変遷により、焼き方が変わってきていて、現在のガス窯の内部のパネルの展示がされている。昔は大きな登り窯で焼いていたが、今はコンパクトな窯になっているとのこと。

磁器

粘土で作る陶器は奈良時代からあったが、白くてきれいな磁器はなかったため、中国から輸入していたので、かなり高かった。400年前、朝鮮人陶工を日本に連れてきたことから磁器の焼き物が始まり、波佐見でも始まった。陶器と磁器の見分け方は、磁器はたたくと澄んだ音で 衛生的・日用食器向きに対して、陶器は鈍い音がして、陶器の湯呑を使っていると茶渋が染みて水が入ってくる。

波佐見での焼き物のはじまり

1598年に豊臣秀吉が亡くなり、文禄・慶長の役が終わり、朝鮮から引き上げるときに、焼き物の産業は貴重だったため、肥前の大名は朝鮮人の陶工を連れて帰ってきた。きちっとした数字はわからないが、波佐見も最初に窯を開いた李祐慶(りゆうけい)をはじめ、5~6家族は来ていて、待遇はよかったらしい。

波佐見での最初の窯が、畑ノ原窯で、窯室24・登り窯の長さ55mあり、陶器が焼かれていたが、一部磁器も焼かれた。

青磁の時代(1630~1650)

この時代波佐見では、青磁の磁器が造られ、非常に高級品で、滋賀県彦根城・新潟県高田城・仙台の城跡などから当時造ったものが出ていて、裕福な人しか買えなかったと考えられている。

海外への輸出(1650~1690)

中国の内乱で中国からの輸出が減ったため、肥前一帯から東南アジアに多く輸出され、輸出量が増えた。波佐見も窯が増え、大村藩として皿山役所ができ、直接的な管理体制が築かれたそうだ。

※ 皿山とは、窯場のあった所で、陶磁器を生産していた場所を指す。

くらわんかの時代(1690~1860)

中国の内乱が収まり、中国の輸出が再度始まり、肥前の輸出量が減ったため、国内向けに生産されるようになり、波佐見は磁器の大量生産をおこなった。

江戸時代、東海道が京都から大坂まで延長され、淀川の港町・商人の町として賑わった枚方宿では、三十石船という船に乗って枚方宿にやってくる客に「餅くらわんか、酒くらわんか」と酒肴を茶碗で売る「くらわんか船」が名物だった。30人ほど乗れる船(長さ17m×幅2.4m)が160艘ほど淀川を行き来していたそうだ。その時に使用された茶碗を波佐見で作っていたとのこと。 

大量生産するために、10枚重ねて焼いたり、絵付けも雑で一筆書きのものなどを作っていた。一例として、判を使ったコンニャク印判や重ね焼きの蛇の目釉剥ぎが紹介されている。

最盛期の登り窯

大量生産時期の登り窯は、山の斜面を階段状にして、薪の本数を減らすため、たくさんの窯室を作った。当初は、一つの窯の大きさが2m×2mだったが、江戸中・後期は幅70~80㎝×奥行き50~60㎝の窯室で、大新登窯は世界最大級の登り窯で、窯室39室・長さ170mあり、1回焼くのに2か月かかったそうだ。

江戸時代末期~明治・大正

酒・醤油を入れるコンプラ瓶を、東南アジアやヨーロッパに輸出されていたとのこと。

明治時代

天草陶石を使用するようになり、白色が際立ってきたため、明るくなり、絵付けの技術も進んだ。

源さん

くらわん館の名物「源さん」は波佐見で一番の働き者で、波佐見焼の説明をおこなっている。

鬼木の里

毎年9月23日にかかし祭りがあり、170体ほど並び、1か月間ほど展示されているそうだ。かかしは、ローマの滝、チコちゃん、藤井聡太4段×加藤一二三9段のはさみ将棋、スーパーボランティアの尾畠春夫さん、大坂なおみなど、時代に合わせていろいろなものを展示されているとのこと。

また、鬼木の里は段々畑になっていて、棚田百選にも選ばれているそうだ。

中尾山集落

概略説明

窯ができたのが1644年で、それから370年ほど焼き物が作られていて、現在18軒の窯元がある。この近くの陶石場から陶石が掘られていたが、明治になり天草陶石が入ってきてからは掘られていないそうだ。

大きなレンガの煙突は8本あり、燃料は石炭を使っていた当時のもので、今は使われていないが、長崎県のまちづくり景観遺産の指定になっているため、撤去されていないとのこと。小さな煙突は、ガス窯用煙突として、現在使われている。

登り窯の長さ世界1位、2位、4位が中尾山にある。高台から正面に見える中尾上登窯(なかおうわのぼりがま)は世界2位の登り窯跡で、160m以上あり、現在復元中だが、窯のレンガは火を入れないと強くならないので、復元は難航しているそうだ。登り窯の右の斜面は、当時谷だったところで、物原といい、失敗品を全部捨てていたとのこと。発掘調査は、物原を調べておこなわれる。窯に火を入れる窯炊は、炎の色や状態を見て温度の判断していたので、相当大変だったことが想像できる。

江戸時代は、波佐見焼の生産量の半分以上をここで作っていて、狭い集落の中に数千人住んでいたため、職人さんは2階に住んでいて、総2階建ての家が多いそうだ。現在は、150軒300人程の方々が暮らしているとのこと。昔陶石を砕くために、川の流れを使ってシーソーのようにして砕く唐臼(からうす)が150基あったそうだ。

中尾山集落の町歩き

道を下りながら正面に見える山の頂上付近は石むき出しになっていて、昔陶石場だったことを感じさせる。小さな工場が多く、こだわりの焼き物を作っていて、人気の窯元が多いそうだ。焼き物が始まった当初は、登り窯を薪を使って焼いていたので、中尾山集落のような山の中で焼かれていたが、燃料の変遷により、大正の頃から石炭窯になり、平地でよくなったので、工場は麓に降りて行った。くらわん館の周りには、大きな工場が多い。狭い集落の中に、神社は5か所あるのは、窯に火を入れる前の神頼みのためだそうだ。

まちづくりの一環で、欄干に焼き物を仕込んであり、ライトアップできるようにしてある。4月第一土・日に、桜陶祭開かれ、多くの人でにぎわうそうだ。

一真窯

18軒ある窯元の中から、一真窯さんに案内いただいた。磁器を直接かんなで削って作っていく独特の窯元さんとのこと。

しかし、今は印刷物のクオリティが高くなって、印刷ものだと分かりにくくなっている磁器が増え、手彫りの魅力をどのように伝えていったらよいか、悩んでいるそうだ。シンプルものが受け入れられているので、かんなを使った一抹紋様などの彫絵細工をして、彫り方を少しずつ変えながら作っている。種類をたくさん作ることで個性が生まれてきて、手彫りの良さ・白磁の良さ、そして控えめな色を付け、シンプルをコンセプトに、少量多品種生産でやっているそうだ。白磁手彫りシリーズ、色染めがんなシリーズ、色染め流しシリーズ・・・色々なシリーズを考えて作っているとのこと。

ガス窯を使用していて、16~17時間かけて焼き、焼く前と比較すると1割強縮むそうだ。昔の石炭窯、薪窯だと、2~3倍の時間がかかっていたとのこと。ご主人の話と商品を作るまでの努力に感銘し、工場横の販売店で、いくつか買わせていただいた。

中善

麓にある窯元で、生地屋さんから成型品が持ち込まれ、その後の工程をここでおこなう分業制でおこなっている。先ほど見た一真窯さんは、全工程自分の所でおこなわれているのではないかとのこと。生地の状態は、触っただけで壊れるので、まずは950℃で6時間かけて、素焼きをおこない、火を通すことで強度がでて、焼きあがると白色からピンク色になる。焼くときの注意することは埃を付けないことだそうだ。ちなみに、950℃は火葬する時の温度と同じくらいとのこと。

最近よく見る磁器でできた歯ブラシスタンドは、多く出るそうだ。

蝋(ろう)付け

例えば、急須の内側など釉薬を付けたくない箇所には、蝋を付ける。

絵付け

判を押し、絵付けしていく作業

釉薬を付ける作業

釉薬を塗った後、釉薬で器が床につかないようにする作業

煙とか炎の影響を受けないように、ボシという容器に入れて焼く。1300℃で14時間かけて焼くため、夕方窯入れして、朝窯出しする。

窯出しは、6時間ゆっくり冷やす。急に取り出すと割れるそうだ。第一次の商品チェックをおこなう。

最終検査場

器全体を回しながら見ていき、割れているときは音が違うので、音の違いや高台(こうだい)は注意してみていく。この後、出荷される。

はさみ観光ガイド協会

はさみ観光ガイド協会は、やきものの町である波佐見町のすばらしさをできるだけ多くの人に感じていただきたく日々活動しています。 やきもののほかにも、自然と歴史がこの地にはあふれており訪れるお客様に波佐見町の魅力をお伝えできるように努めています。 皆さんのお越しをお待ちしております。

所在地
〒859-3711 長崎県東彼杵郡波佐見町井石郷2255-2
電話番号
0956-85-2290

ツアープラン情報

ツアー名
陶郷中尾山散策~窯元「中善」見学コース
料金
基本
お客様1名 500円
(2時間まで、30分超過ごとに200円)
※1名のみの場合、1,000円
目安:10~15名に、ガイド1名
※団体料金あり
開催日時
9:00〜17:00
ツアー時間
基本120分(時間は、内容により変わります。)
予約受付
7 日前まで
お問い合わせ
はさみ観光ガイド協会
TEL
0956-85-2290
営業時間
9:00〜17:00
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