養老公園案内コース

歴史や観光のほかに、植物や地質の説明もしています。養老が大好きなガイドたちと歩けば、楽しみも膨らみます。

鬼面山谷五郎の顕彰碑

養老公園入口近くにある松風橋の北側に、岐阜県で初の横綱(第13代)となった鬼面山谷五郎の顕彰碑がある。1826年に養老町で生まれ、身長186㎝・体重146kgの巨漢で力が強く、44歳で横綱になり143勝の記録を残したが、2年後に46歳で亡くなった。

養老公園

江戸時代の庶民の読み物として孝子伝説が広く普及したこと、文人の来訪が盛んで養老の景勝が絵や文に描かれたことなどにより、養老の地が広く知られるようになった。また、江戸時代から明治時代にかけて作られた日本の歴史書「大日本史」の中でも「養老孝子伝」が載っている。

明治12年当時大蔵卿だった松方正義が養老公園を訪れた際、「この地は歴史上からも景勝の上からも優れているので、ぜひ立派な公園にするように」と要請し、明治13年に岐阜県下で3番目の公園となった。

現在は、養老の滝を中心に養老山麓に整備されている岐阜県営都市公園で、養老天命反転地・岐阜県子どもの国・テニスコート・パークゴルフ場などがあり、総面積が78.5haと大変広い公園である

孝子伝説 源丞内の碑と像

「大日本史」の中にも載っている「孝子伝説」は、次のような話しだ。

「貧しい木こりが山で薪を拾い、それを売って老いた父親にお酒を買って飲ませていた。ある日木こりは、山中で苔むした石で足を滑らせて気を失った。目を覚ますと酒の香りがするのに気がつき、あたりを探すと香りの良い酒が泉から湧き出ていたので、その酒を瓢箪に汲んで家に持ち帰った。父親は喜んでそれを飲むと、次第に体が元気になった。その後息子は長者となり、親子で幸せに暮らした。」

養老公園内にある養老寺には、孝子の名は源丞内と記されていて、境内には源丞内の墓があり、観光案内所がある「親孝行のふるさと会館」には薪を背負った源丞内の像がある。

句碑・歌碑・顕彰碑

養老公園には、60以上の石碑が設置されている。古くは江戸時代の物もあり、元正・聖武両天皇の行幸碑を始め、元正天皇や当時美濃守だった笠朝臣麻呂や聖武天皇に同行した大伴東人(あずまひと)・大伴家持(やかもち)の歌碑、養老公園の開設の経緯や開設に貢献された方々の顕彰碑、梁川星厳の漢詩や松尾芭蕉や河東碧梧桐の句碑等がある。

主な石碑は観光ガイドが調べてあるので、希望する石碑に案内してもらうとよい。

正岡子規の弟子・河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)歌碑
養老を訪ねた聖武天皇に同行した貴族・歌人・大伴宿祢東人(おおともすくねあずまびと)歌碑
養老町の公共事業に尽力した澁谷代衛(しぶやだいえい)顕彰碑
養老公園に尽力し、旅館「千歳楼」を開業した岡本喜十郎の顕彰碑
元正天皇行幸と養老改元に重要な役割を果たした笠満誓(かさのまんぜい)歌碑
江戸時代後期の漢詩人・梁川星厳の養老改元詩碑

豆馬亭(とうまてい)

明治13年に創建され、北原白秋や河東碧梧桐など多くの文人が宿泊した。当時の記録を展示した資料館が併設されている。

元正(げんしょう)天皇行幸

717年に奈良の都から元正天皇(女帝)が養老の美泉を見に来られ、手と顔を洗うと肌が滑らかになり痛い所を洗うと痛みが和らいだので大層喜ばれて、元号を霊亀から養老に改元することとなった。

遺跡には、元正天皇の行幸碑や万葉集に収録されている天皇が詠まれた歌碑がある。

旅館「千歳(せんざい)楼」

保養地としての養老の将来性に着眼した岡本喜十郎が、元正天皇行幸から約1000年後となる1764年に旅館を開設した。現在の建物は明治13年に再建されたもので、大正天皇が皇太子時代に食事をされた部屋や、山岡鉄舟、横山大観、谷崎潤一郎、など数多くの文人墨客が宿泊し書を残した。玄関の階段横の書は、山岡鉄舟が宿泊した時に書いたものである。

養老神社

正確な創建年は不明だが、境内から湧出する美泉(醴泉(れいせん):菊水泉)にちなむ水神(弥都波能売神:みずはのめのかみ)を祀ったと伝えられている。雨乞い祈願の神社として信仰を集め、不老長寿、学徳成就にご利益がある。

菊水泉

日本名水百選に選ばれていて、元正天皇が見に来られた美泉だと言われている。

元正天皇から立春の暁に菊水泉を汲んで皇居に献上せよと命ぜられた。現在も養老町観光協会が春分の日に若水取りを行い、元正天皇陵に献水している。

湧水付近には、きれいな水にしか生息しない紅斑藻(ベニマダラモ:養老町天然記念物)が生息している。

養老の滝

標高239mにある滝で、落差30m,幅が4mあり、一年中豊かな水量を誇っている。昭和40年頃までは滝に打たれることができたようである。

万代橋北詰に、明治38年に来園された長塚節(たかし)の歌碑「しろたえの 滝浴衣掛けて干す 樹々の桜は紅葉しにけり」があり、当時の様子を思い浮かべることができる。

妙見堂

江戸時代初期(1626年)に雨乞いの霊場として、北極星を仏格化した「北辰妙見菩薩」が安置され、養老の妙見さんとして親しまれた。

寺の宝である木造釈迦如来立像は、同じ頃製作され、増高3.55mで台座の高さが1.33mある。この仏像は一木三体仏で、一体は日蓮宗総本山身延山久遠寺にあり、残りの一体は戦火で焼失した。

明治15年に妙見堂が建立し、妙見大菩薩が安置された。

せせらぎ街道

滝谷川の南側にあり、妙見堂に向かう坂道には、春は桜と三ツ葉ツツジ、秋は紅葉が美しい。滝谷川のせせらぎが聞こえ、静かで癒される道である。

聖武天皇巡幸記念碑

元正天皇が行幸された(717年)18年後の735~737年には、九州から奈良で天然痘が大流行し、100万人以上がなくなったと伝えられている。(人口の約25%)

さらに740年には、「藤原広嗣の乱」が起き、聖武天皇は影響を恐れて関東に行幸する途中、当地に立ち寄られた。

反乱軍を破った朝廷側の将軍が大伴東人で、養老で詠んだ和歌の碑が公園内にある。

養老町観光ボランティアガイド

より多くの人に養老町の良さを知っていただくため、地元の方々が観光ボランティアガイドとして、養老公園を案内いたします。地元ならではの地域に密着した視点でおもてなしの心をもってご案内いたします。

団体窓口
養老町産業建設部産業観光課
所在地
〒503-1314 岐阜県養老郡養老町高田798
電話番号
0584-32-1108

ツアープラン情報

ツアー名
養老公園案内コース
料金
無料
(ただし、昼食をはさむ場合は、昼食代をご負担ください)
開催日時
10:00〜15:00
ツアー時間
約90分
予約受付
10 日前まで
お問い合わせ
養老町産業建設部産業観光課
TEL
0584-32-1108
定休日
土・日・祝日
営業時間
8:30〜17:15
このツアーに申し込む